仲直りの手

「ねぇ、どっちが欲しい?」

 そういって彼女は、握りこぶしを作った右手と左手を私の前に差し出してきた。

「何か入ってるの?」

「それは選んで開けてからのお楽しみ~」

「ふーん……」

 ならば確かめるしかないだろう。私は握られた拳を観察してみる事にした。握りこぶしの隙間から中身を推理しようと、顔を横に傾けながら窺ってみる。

「……めっちゃ固く握ってるね」

 だが、隙間という隙間は見えなくて、真っ黒な影しか私の目には映らなかった。

 

「そりゃ、選ぶ前に言い当てられちゃ困るからねぇ」

「なんかヒント無いの?」

「選んで見てからのお楽しみ~」

 今まで彼女との付き合いはそれなりに長い。ただ、こんな風に相手に選択肢を委ねるとき大抵の事は彼女の掌の上で転がして遊ぶためのものだ。この前も手に持ったジュースどちらかあげると言われて、両方にデスソースが入っていたことをそう簡単に忘れることは出来ない。

 

――そして正直な所、ニヤニヤと笑顔を浮かべる彼女に従うのは癪だ。何とかぎゃふんと言わせたいし、素直に従ったら負けたような気がしてしまう。

「……実力行使させてもらうよ」

「お好きに~」

 一言喋るごとに、自慢げに語る彼女少し苛立った事も手伝って、私は彼女の背後へと周った。

 

「お手並み拝見! 私は何があっても負けないから!」

「――こちょこちょこちょこちょ~」

「ちょ! ふふ……や、やめてぇぇ!」

 私は彼女の脇に手を伸ばし、そのまま指を動かしてくすぐった。効果は抜群のようで、彼女は楽しそうに笑っていた。

「ほらほら、手を離せば楽になるよ~」

「ふふ……絶対に、選ぶまで――ちょ! やめてって!」

 だが、その声には耳を貸さなかった。これは今までの分の仕返しも込めているのだ、私はそれを更に勢いを増すことで返事の代わりとした。


「――ふぅ……ふぅ……」

 そうして一〇分はそれを維持し、私の方が付かれてくすぐるのを辞めてしまった。

 だが、彼女は最後まで握りこぶしを解くことはしなかった。今も肩で息をしながら涙をこらえているのに、最後まで己の信念を貫き通したのだ。

「……しょうがないなぁ、選べばいいんでしょ」

――その姿は、今まで知っていた姿とはかけ離れすぎていて、疑問に何がそこまで彼女を駆り立てるのかが知りたくなってしまった。無理やり聞き出せなかった以上私の負けだろう。

「やったぁ! 私の勝ちぃ!」

 そうして、目の涙を袖で拭いながら、今度は彼女は右手だけを差し出した。

「――あれ? 左手はどこ行ったの」

「そっちは必要なくなった、ってことでオープン!」

 高らかに宣言をしながら、彼女は固く閉じていた手を開いて見せた。

――そこには、砂利のように小さく丸まった紙が一枚握られていた。

「……まさか、また弄んだわけ!?」

「ち、違うって! それ開いてみて!」

 もしやを想像し、髪の毛が逆立ちそうなほどの怒気を放つが、それを勢いよく首を横に振って彼女は否定した。まだ心のどこかに騙されているのではないかという疑念を抱きつつ、指示通りにくしゃくしゃに丸まった紙を、破かない様ゆっくりと開いた。


――いつもからかってごめんね。


 よれた紙面に書かれていたのは、そんな謝罪の言葉だった。跳ね上がる様に顔を上げ彼女の顔を見た。

――そこには涙が浮かんでいた。

「い、いつも……迷惑かけて、ご、ごめんね……」

 私はつかつかと彼女に歩み寄り、正面からぎゅっと抱きしめた。

「――大丈夫、私もさっきは意地張ってた。ごめんね」

 そのまま二人は、暫くの間抱き合った。互いが互いを埋め合うよう、さっきまで作っていた握りこぶしよりも固く、二人は繋がっていた。


「これで仲直りできたよね?」

「……へ?」

「え?」

 いつ私たちは仲たがいをしていたのだろうか。昨日ですら彼女と遊んでいたのにいつ喧嘩をする時間などあったのだろうか。


「もしかして、今日話さなかったから?」

「それ以外何があるの⁉」

「……今日お腹痛かっただけだよ」

「……え?」

 結局、全ては彼女の早とちりだった。


「なーんだ。一生懸命考えたの意味なかったじゃん」

「まぁまぁ、私たちが仲良しってことの再確認出来て良かったじゃん」

 そのまま手を繋いで帰ろうとした時、彼女の左手が固く握りしめられている事に気が付いた。そして、一つの可能性が私の頭に浮かんだ。

「……もしかして、左手は別のものがまだ入ってるの?」

 思い返していれば、くすぐったときも、抱き合った時も彼女はずっと左手だけは握りしめ続けていた。

「正解! 必要なかったけどね」

「で、何が入ってたの?」

 ここまで来たのだ。隠し事は一切なしにしてほしくて、彼女に尋ねた。

「えっ? これだけど」

 そういって彼女は今までが嘘のようにパッと手を開いた。

 

――同時にその差し出された手の中から、何かが私の顔に向かって羽ばたいてきた。

「――ちょ! なにこれ!?」

「あれ生きてた。それさっき拾ったゴキブリ」

 

 絶叫に近い悲鳴を上げながら私は意識を失った。

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