反骨心の矛先

 電車に揺られながら会社に働きに行く一般的な行動は、案外疲れがたまるものだ。特に今までの自分にとってはまるで違う新たな習慣であったらそれは猶更で、体は未だ電車に揺られた疲労が抜けない。

 そんな自分にも、楽しみにしている事がある。

「――いただきます」

「はい、召し上がれ~」

 それは最近結婚した妻の手料理だ。現役時代から、オフシーズンの間は彼女の料理に何度も助けてもらっていた。そして引退した後も、それは変わらない最高の味だ。

 手に持った茶碗に盛られた米粒から湯気が立ち上り、出来立てであることを示していた。そして昔の癖のまま、箸で大きく掬って口の中に運んだ。そのままの勢いで他の皿に盛りつけられた料理も次々と口の中に放り込んでいく。

「ちょっと、がっつき過ぎだって」

「ごめん、美味しくてさ」

「もぉ~お代わりは一杯あるからね!」

 口の中に広がる幸せを一杯噛みしめた。現役生活に悔いが無いかと言われればそれは違うだろう。だが、こうして今、妻もニコニコと笑顔を浮かべ、俺も妻の手料理を思いっきり頬張ることが出来る。それは間違いなく幸せの形の一つだろう。

「――あれ、貴方の後輩じゃない?」

 そういって妻は、付けっぱなしにしていたテレビを指差した。そんな無作法を現役時にやっていたら鉄拳制裁が飛んでくるものだったが、今は大手を振るってみることが出来る。そのままご飯を食べる手を止めないまま、画面を見ていた。


「――では、優勝できた理由って、ご自身ではどう思われてますか」

 妻の言っていたように、写っていたのは自分が現役時代で過ごした部屋だ。どうやら同門の誰かが優勝を果たして、インタビュー取材にテレビが部屋へとやって来たらしい。現役時代に未練を持たないように出来る限りの情報はシャットアウトしてたから、そんな事になっていたなんて知らなかった。これは何かしら送らなければいけない――

 

『はい! 自分的には先輩への反骨心が一番大きかったですかね!』

 その時、画面で返事をしている人物に釘付けになった。

『それは、何か叱咤激励を貰ったとか言うのでしょうか?』

『それも勿論ありますが、優勝が決まったら果たせる約束をしたんですよ』

 そいつは昔と変わらないニヤけた面をしていた。だが、底冷えしそうな目を貼り付け、画面越しに俺を睨んできていた。

『成程!』

『まぁ、先輩方にはから』

 何故か一部分を強調したそいつの声色は冷えて、インタビュワーですら若干腰が引けている。そう、俺はこの目を知っている。


『と、というわけで! 奇跡の怪我から復活を遂げた男、○○力士のインタビューでした!』

『ありがとうございました』


 吐き捨てるように呟いたそいつの言葉が、自分の幸せを、音を立てて崩していく音がした。



「おい! 見たかよあいつのインタビュー!」

「なんや、ビビってんのか?」

 美味かった飯を食う気分は失せ、半分以上を残して席を立った。妻からは体調不良を心配されてしまった。それを利用するのは心苦しかったが、夜風に当たりに行くと言って外に出てきて電話をした。だがそいつは俺と同時期に現役を退いた同期で、心配など一切してないようにペラペラと喋っていた。

 

「そりゃビビるだろうよ! 俺達はあいつから逃げ出したようなもんだろ!」 

「俺は底が見えちまったから、さっさと辞める予定やったけどな。――まぁ、多少早まったのは否定しねぇけどよ」

――そう、そして俺たち二人が辞める原因になったのが、あの後輩だ。確かにちょっとオイタが過ぎた事は間違いない。一生に残る傷をつけてしまったことも俺達のミスだ。だからこそ、彼は笑っていったのだ。

 『優勝するまで我慢してあげますよ』

 あいつは、やると言ったら必ず実行する、そういう奴だった。今あいつが何をするか何も分からないのに、それなのにこの危機感の無さはなんだろうか。そういえば、電話の向こう側も何やら騒がしい。

「……もしかして、お前酒入ってないか?」

「そりゃ入ってるで! 後輩の優勝はめでたいからなぁ!」

「――お前な! あいつの最後の言葉忘れたのか⁉」

「……知らんなぁ!」

 一瞬は考えたのだろうが、それでも一瞬だった。同期は何も考えずに酒を飲んでいたことも手伝い、すっかり忘れてしまったようだった。

「そうかよ!」

 苛立ちが募り反射的に通話を終了させる。もうあいつは救えないだろう。


「はぁ……はぁ……」

 怒りの所為で、息があっという間に上がる。

――さっさと帰ろう。そしてそのまま対抗策を考えよう、そう考えていた時、手に持った端末が通話音を響かせる。

「かけ直してきたか――もしもし!」

 どうせ、同期がかけ直してきたのだろう。発信者を確認もせず電話を乱暴に取った。

――その声は、さっきテレビで聞いた声だった。電話口から聞こえるその声は、自分たちを追い出した時と、同じだった。

「――先輩、

「……お、おい。待ってくれよ。おいって!」

 既に通話が切られていると気が付いたのは、それから数分後だった。


 何をされるのだろうか。どんな復讐を、あいつは果たすのか。


 それが今はひたすら怖かった。


 あぁ、生意気だった奴の、なのに。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る