喋んな

「お、おい……聞いてくれよ……」

「――喋ってるんじゃねえよ!」

 煙と硝煙の匂いが浮かぶ戦場、いつまでも続くと思われていた戦争の最中、二人は後方の医療室にいた。


「酷ぇじゃねえかよ……」

「それは俺が一番わかってんだよ! いいから黙れ!」

 白衣を着た男は、患者にして友人である男に向かって思わず怒鳴る。この銃創が化膿したら、間違いなく合併症を引き起こす。だから、男に喋っている余裕なんて無かった。近くにあった医療箱の中から薬を手に取る。

「おい! 今から応急処置するぞ! 手初めに除菌を兼ねた薬を塗るけど、死ぬ程痛ぇから覚悟しろ……」

 医者は知っている。死ぬ程なんて形容したが、この外傷に塗る場合、過去にはショック死の症例が報告されている文字通り地獄の苦しみだ。だが、戦場で土に、硝煙に、化学薬品に、汚れた体には避けては通れない処置だった。覚悟を問うため、医者は直球に言い放った。

「おう、任、せた……」

 弱々しくではあるが、男は微かに頷きながら返事をした。それを横目で確認した医者は処置を開始した。


 男は、痛みに耐えようと、獣のように叫び声をあげる。その苦悶に満ちた声色は、医者に罪悪感を覚えずにはいられない。

「落ち着け! まだ大丈夫だ!」

 医者は言い聞かせるように、さっきと違って優しく語り掛ける。そうして男は幾度と襲ってくる痛みに悶えながらも、仮初の処置を耐え切った。


「はぁ……はぁ……助かった、かな……」

「馬鹿言うな、まだ応急処置って言っただろうが。――多分この傷なら本国に輸送されて病院に入院できんだろうよ」

「……そっか」

 それは、二人の関係が途切れる事を意味していた。安全な後方に行けてもう死ぬことは無いという安堵と、気軽に会うことは出来なくなる寂しさが胸中でせめぎあう。

 

「……そういえば、あの時お前が言おうとした事って――」

 そのまま二人の間に流れた沈黙を振り払おうと頭を働かせ、さっき言おうとしたことを聞いてみた。

「あぁ、お前には言っときたい――」

 だが、その答えを聞ける機会は現れなかった。

 

「先生、いますか⁉」

 自分の部下の看護師が、部屋の扉を蹴破る勢いで開け放ち男の言葉を遮った。

「……患者が寝てたらお前をぶん殴るとこだったが、どうした!?」

 反射的に文句を吐いたが、飛び込んできた部下は、ぜぇぜぇと息を切らしていて、顔は真っ青だ。――いい報告ではなさそうだと直感する。

「たった今前線で交戦が発生し、大量の患者が大急ぎで運ばれてくるそうです!」

「使用された武器と人数は。それによって対応のレベルを見直す必要があるぞ」

「…………報告では、大型爆弾が投げ込まれ、目算で三〇人以上だと……」

「嘘だろ、おい……」

 爆弾は戦場において最も負担をかける武器だ。中途半端に殺傷性が足りないせいで、戦場に投下されたときには、毎回のように病床のベットが患者で埋め尽くされてしまう。――しかも、今回報告に上がった大型爆弾は、敵国が開発中として噂に流れていた奴だろう。カタログ通りの性能ならば、傷病者が三〇人程度で済むはずがない。

 

「わかった、すぐに行くからお前も準備をしとけ! ――すまん、お前は安静にしてろ」

「あぁ、そうさせてもらう……」

 本来ならば経過観察のために暫く診ていたいが、そうも言ってられない。部下に手早く指示を出した後、男に向き直って声を掛ける。返事は多少弱々しいが、返ってくるなら大丈夫だろう。大きく首を縦に振って、医者は病室を去った。

 

 結局、六〇以上の数の傷病者が運ばれ、戦場とはまた違う地獄が展開された。前線はまともな報告もできないのかと憤りたくなるが、それだけ現況は切迫しているという事なのだろう。

「……これで、全員対処できたか?」

「は、はい。現在確認作業中ですが、恐らく大丈夫だと思われます」

 だが、それも一度落ち着きを見せた。報告を受け、詰めかけた医療スタッフは気が抜けたのか揃って大きく息を吐いた。そして、例に漏れず医者も、大きく息を吐いたうちの一人だ。そんな椅子に溶ける様に座り込んでいた時、先ほど報告に来た部下が近づいてきた。

 

「なんだ、夜見回りは絶対にやらんぞ。倒れる自信しかないからな」

「ちがいますって。先ほど本国から輸送ヘリがやってきて、手術予定者を数人運んでいったそうです」

 発作的に牽制したが、どうやら想像とは違っていた。そのまま部下は椅子の前までやってきて、一枚の紙を渡してきた。


「……別れの挨拶しときゃよかったな」

 そこには、朝方処置した友人の名前が載っていた。これで安全な後方に彼も行くことができるだろう。医者はホッと胸を撫で下ろした。


「――司令部から連絡! ゲリラ的に発生した戦闘によって負傷者が出た模様! これより運ばれてきます!」

 その報告に、部屋に全員が悲鳴を上げる。これだけの業務をこなした上に、更にもう一度患者がやってくるなんて。誰しもが悲壮感に満ちていた。


「お前ら! 喋ってる暇があるなら準備しろ!」

 だが、患者は待ってくれない。皆に尻を叩きながら医者は大きな声で叫んだ。


 心のどこかに、一抹の寂しさを覚えながら、医者は席を立った。

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