大嫌いと言えなくて

「ねぇ!? 俺の事嫌いになったんでしょ!?」

 ヒステリックに叫ぶ彼を、私はどこか冷めた目で見ていた。

――またか、そう呟きたくなったのは何回目なのだろう。

 だが、それは最悪の選択肢だという事を、私の身体に残る青紫の痣が一週間前に教えてくれた。

 

「ううん、君の事が大好きだよ」

 毛ほども思ってない言葉を紡ぎながら、彼に一歩歩み寄る。わざと立てた足音に、面白い位に体を震わせるが、それを無視して彼に抱き着く。

「――ね、大丈夫でしょ」

「…………うん」

 そう言って安心したのか、彼は私に腕を回しながら赤ん坊のようにワンワン泣き始めた。

「よしよし、大丈夫だからね」

 頭をポンポンと撫でながら、今日も私は自尊心という名の器に、愛情という水を再び注げた音が聞こえてきた。



「ねぇ! なんで俺に何も言わずに友達と会ってるのさ!?」

 仕事の休みが重ならなくて、三カ月振りのデート、待ち合わせ場所で顔を合わせた時、出会い頭に飛んできたのはそんな罵声だった。

「――えっ? なんのこと?」

 だが、仕事に缶詰だった自分は、会社の人間以外と会うこと自体も三カ月振りなのだ。彼の指摘に全く身に覚えがなく、思わず疑問で返してしまった。

「誤魔化すわけ!? 俺全部知ってるから⁉」

 元々、気難しい性格だった彼は、自分の思い通りの会話の流れや物事が進まないと怒りっぽくなってしまう。今も公衆の面前なのに、唾を私の顔に飛ばしながら怒りを爆発させてしまった。周囲の人達は腫物を見るような目線を向けながら、ちょっとずつ遠巻きにされて行っていた。その同乗する視線が突き刺さることに、すぐに耐え切れなくなって、私は慌てて彼の腕を掴んだ。

「と、とりあえず、いったんご飯食べながら話そ! お金は私が出すから!」

「……なら、一旦許してあげる」

 彼の許しも出たところで、私たちはその場から逃げるように退散していった。


「で、一体あれは誰なんだよ⁉」

「ちょ、声大きいって……」

「――で、誰なんだ?」

 そうして近くのファミレスに入り、席に案内されてすぐに彼は再び大きな声で話し始めた。その大声に慌てて彼に注意する。先ほどまでとは違い、近くに店員がいる事に見渡した時に気が付いたのか、叱ることはせず、私を睨みながら声を小さくした。

「そもそも誰って言われてもさ、私は会社以外の人と会うのは久しぶりなんだよ……電話で言ったじゃん」

「そうやって俺を騙すんだろ? 俺をからかって楽しい?」

 それから、全く話が進まない平行線が続いた。した、してないの押し問答は、互いに証拠なんてないから泥沼に二人で沈んでいくような感覚だった。時計の針が一周する頃、何の注文もしない店員さんが注文を聞きに来なかったら、恐らく永遠に続いてかもしれない。

「……で、本当に会ってないんだな?」

「だから何度も言ったじゃない。貴方に会うのが楽しみだったって」

 互いに慌てて注文したコーヒーを片手に文字通りのコーヒーブレイクが行われた。まだ湯気が立ち上るそれを飲みながら、彼の表情が穏やかになっていったのが伝わっていて、泥沼から抜け出すことが出来たことを確信した。カフェインの効果が出てるのだとしたら、これから彼のお弁当に多少混ぜ込んだら効果がでるかもしれない、そんな事を呑気に考えていた時だった。

 

「よ、よかったよぉ……」

 だが彼の情緒は不安定で、今度は彼はカップを弱々しく机に置きながら、子供の様に泣き出してしまった。

「えっ⁉ ちょっと何で泣いてんの⁉」

 信じてた人に言い掛かりをつけられ、少し怒っていたが、その豹変ぶりに私は慌てて慰めた。そのままおいおい泣く彼は、嗚咽交じりに思いの丈を吐露した。

 

――貴女が私には勿体無くて、自分の彼女でいてくれるのが嬉しい。だから、いつ自分から離れて行ってしまうのが怖かった。そんな時に友人に貴女の写真を見せたら、美人だと言われて咄嗟にとられると思ってしまった。そうしたら、友人と貴女が会ってるんじゃないかと思うようになってしまった。


「ご、ごめ゙ん゙な゙ざい゙い゙い゙」

 泣きじゃくりながら彼は許してくれと頭を下げた。そんな愛おしい姿を見てたら、自分の怒りなんてどっかに飛んで行ってしまった。

「――大丈夫だよ」

 だから、そっと頭を撫でて一言呟くことで、私は許すことにした。そうしたら、一瞬ぽかんとした顔をした後、より一層泣いたのは困ってしまったけど。


「それで……お願いがあるんだ……」

 そうして、ひとしきり泣いた後、彼は一つの提案をしてきた。



 

「って事があったよ~」

「なんでそんな明るいのか分からないけど、大変だったわね……」

 そうしてデートが終わって諸々の準備を終えた後、そういえば相談をしていた友人に連絡をしていなかったことを思い出して電話をかけ、今回の顛末を結果を伝えた。

「それさ、別れちゃいなよ。彼、明らかヤバいし逃げるなら今だよ」

 だが、私たちの間で片付いた問題は、彼女にとっては解決していなかったようだ。

「えっ、何で⁉」

 驚いた私は、思わず驚きの声を上げた。

「はぁ⁉ 私なら絶対別れるわよそんな男!」

「えぇ……私は好きだけどな……」

「呆れた……」

――打つ手ないわね、そう呟きながら友人は電話を一方的に切った。


「もしも~し! ……って切れてるし。一体何がおかしいのよ――ねぇ?」

「うん、こうして仲良くなれたのにね」

 後ろで電話を聞いていた彼の方を向きながら、私は呟いた。彼も同意したようで互いに首を傾げてしまう。

 

「やっぱ一緒に住んで良かったよ。――ねぇ、好きだよ」

「――うん、私も」

 

 そうして、今日も私達は愛に溺れないために、愛を吐いた。

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