ホットケーキが焼けない

「……では、これの評価をお願いします」

 改まった口調で、エプロンを身に付けた少女は、その皿に乗ったホットケーキを誰よりも真剣に見つめていた。

「――うん、見た目は問題なし、と」

 審査員のその言葉に一次審査は通過したことが判り、内心ガッツポーズをする。だが、ここで慌ててはいけない。この後すぐ、カミソリの様な鋭利な言葉が飛んでくる可能性が高いのだから。

 

「では、いただきます……」

 手を合わせた後、ナイフを手に取り切れ込みを入れる。するりと何の抵抗もなく刃が通ったことで、岩石の様な硬さになっておらず、またしても不安要素が一つ消える。だが、問題なのは――

「味が一番重要、わかってるよね?」

「食べた後には、もう一回食べたいって言うに決まってるよ」

「……まぁ、自信はある事は間違いないね」

 フォークでホットケーキを刺し、口元に運ぶ。緊張の一瞬、次に発する言葉で、この料理の評価が決まるのだから。少年はケーキを噛みしめ、喉でごくんと飲み込むまでの間、部屋は沈黙に包まれていた。

「不合格、もっかい作り直して!」

「――なんでなんで⁉ レシピ本通り作ったよ!」

「余計に問題だね! なんで醤油の味が説明してよ⁉」


 思わず少年は、悲痛な叫び声を上げた。



 少女は恋をした。ありふれた出会いかもしれないが、隣の席に座った男子に一目惚れをした。

 

「というわけで、あの人と恋人になりたいんです!」

「……俺は忙しいんだ」

「その手に持ってるゲーム機を手放してから言ってよ!」

 こういう時、彼女が頼ることが出来る人として真っ先に思い浮かんだのが、隣の家に住む幼馴染の少年だった。彼女が幼い時、隣の家に引っ越してきたころから交流が始まり、今では互いに家の中に入り浸る関係になっていた。一つだけ年下で、まだ同じ学校に通えないのが残念だけれど、彼女にとっては都合が良かった。だが、当の少年は、彼女の願いをゲーム機から目を離さず断る。


「はい! これは没収するのでお姉ちゃんの話を聞きなさい!」

「おい! ちょっと返せよ!」

 ここで話を聞いてもらえないのは困る、コレを逃したらもう頼る相手がいないのだ。彼女は強引にゲーム機を奪い取り、そのまま高く掲げる。成長期が来ていない少年には絶対に届かない距離だ。

「アドバイスを貰うまで絶ぇ対! 返さないよ!」

「いいから返せ! 大体、なんで俺に相談すんだよ! 恋愛相談と言ったら女子の得意だろ! そっちですればいいじゃんか⁉」 

「――実は狙ってる人は凄い人気の人で、その友達も……」

 その言葉にぴょんぴょん飛びながら、必死に取り返そうとする少年がぴたりと止まる。

 

「気まずい雰囲気になるのが嫌ってことか! 凄ぇよく分かる~」

「えっ⁉ まさか私、年下の小学生に経験値で負けてるの⁉」

 うんうんとわかったように頷いた少年に、彼女は思わず驚く。最近の小学生は進んでいると聞いていたが、まさかここまで進歩しているとは。気づけば彼女は、土下座の体勢をしていた。

「師匠!」

「師匠ぉ? ――って姉ちゃん何いつの間にか、土下座してんの⁉」

「是非私に! 彼をオトス方法を伝授してください!」

「そうだな……俺なら、美味しい料理作れる人がいいな」


 その日から、厳しい修行が始まった。

 

――ハンバーグが酸っぱいってどういうこと⁉

――なんで味噌汁から塩の味がするの⁉

 うっかりのミスを一つするたび、厳しい声が矢のように飛んでくる。

「姉ちゃん、諦めようよ。流石にこんなに酷いとは俺も思ってなかったよ……」

「――ううん! 私は彼に好きになってもらうの! 師匠には付き合ってもらうよ⁉」

「……はぁ、わかったよ」

 

 だが、彼女は決してあきらめなかった。振り向いてもらいたい。その一心で毎日の様に師匠と共に料理の特訓をした。


「――こ、この味は⁉」

「どうですか、師匠!」

「――合格です。見事に乗り切って見せました……」

 そして遂にやってきた告白の前日、彼女は好物だというホットケーキをお土産として渡して、告白を実行するらしい。そして今日、最終試験としてそのホットケーキを焼いた。

「あそこまで不味かったホットケーキがここまで美味しくなるとは……」

 師匠の目に、少し光るものが見えて、彼女も喜びを噛みしめる。

 

「つまり、私は……」

「……合格だよ、告白、頑張ってね」

「はい! ありがとうございます、師匠!」

 そのまま、慌ただしくキッチンを片付け、あっと言う間に彼女は少年の自宅から立ち去った。


「――上手く、応援できたかな……」

 少女を見送って、少年は深くため息をつきながら腰を下ろした。

 

 少年は、彼女に恋をしていた。だが、一つ上の年齢ということで、いつも真剣に取り合ってくれてないのは分かっていた。だから、少しでも一緒にいられる時間を増やそうと、苦手な料理を特訓するという口実で、最近は一緒にいることができていた。

 

「う、ううっ……」

 だが、その日に終わりが来ることは分かっていた。けれど、少年は涙を堪えきれなかった。

 そのまま彼女の幻影を追い求めて、先ほどまで立っていたキッチンに、ふらふらと辿り着いた。

 

 そこには、一枚のホットケーキが残されていた。一つは練習用なのだろう。そのまま一切れちぎって、口元に運ぶ。


「ちょっとしょっぱいよ、お姉ちゃん」

 

 頬張ったホットケーキは、涙と失恋の味がした。

 

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