夜明けの風景は、愛の契りに他ならない

 始まりは、幾度となく断ってきた自分でも、無碍にすれば角が立つ事が明らかな資産家からの、見合いの持ち掛けだった。

もともと結婚とは自己実現の一種、そう捉えていたソレは、自分にとって切り捨てても問題ない不要なものだと考えていた。


 しかし、彼女の顔を見た後には、そんな建前は霧散していた。


 白磁のように透き通った肌に、人形を思わせるような瞳。腰ほどまである艶やかな黒い髪が優雅に靡く。間違いなく彼女の美貌は、世が傾ける事ができる。

 ここまで幾度となく無下にしてきて見合いを経験の糧にしていればよかったと、過去の行い後悔したことも、この日以上になかった。私は乏しい知識を披露しながら、彼女に気に入られようと必死のアピールをした。自分が築いてきたキャリア、自分が保有する資産の数々。そして普段は鬱陶しいしがらみでしかない、名家の血筋であること等、自分の披露できる手札は全て切った。


 「ふふ、面白い方ですね」

 持ち得る言葉を尽くしたあと、彼女が一言そう呟いた。そして続けて気に入ったからと、連絡先の交換と、またの食事のお誘いを受け取ることができた。そのことを、資産家の方に連絡をするととても驚かれた。彼女が、もう一度会いたいと言い出すことは、初めてこのことだったらしい。

 その事実に、再び胸が躍った。あの人を自分のモノにしたい。胸の内に燻っていた思いが、徐々に肥大化していった。


 

――あぁ、あの人を自分のモノに……


 

 それから何度も逢瀬を重ねた。彼女は生まれつきの病気を持っているらしく、白い肌と引き換えに、直射日光を浴びるだけで火傷を起こしてしまう程の虚弱な体質らしい。彼女と会うことができるのは、夜だけだった。

 しかし、自分にとって、それは非常に都合が悪かった。私の仕事は基本的には夜を主としているからだ。

 けれど、美しい彼女に会うために必死に仕事をした。少しでも早く終わらせれば、彼女と会える時間が長くなるから。その一心だった。


 しかし、その日は男はデートに遅刻した。急遽仕事が立て込んでしまい、まともな身支度すらできずに、待ち合わせ場所へ向かった。遅れてしまったことの謝罪をしようと、電話をかける。

「はい、もしもし~」

 電話を取った彼女の口調が何故かに高揚していることに、そしてそれを隠そうとしていることに男はすぐさま気が付いた。仕事と同じだ、これを逃すわけにはいかない。

「すいません、実は仕事が立て込んじゃって遅刻してしまいそうで! 本当にすいません!」

「大丈夫よ~ 私は私で楽しんでるから問題ないわ、後ほど何か美味しいものでもくださらない?」

「それで済むなら、自分が一番美味しいと思っている手土産を持っていきます!」

「楽しみにしてるわ~」

 

 ――本当に、会うのが楽しみ……

 

 男は手土産を購入するとき、父に言われたことをふと思い出した。『コレを渡すときは、相手につがいになり、一生を添い遂げる覚悟を伴う』と。

 振り返ってみても、そんな時間は不必要だった。すでに男の腹は決まっていた。レジでラッピングを頼み、この後の流れを脳内シュミレーションを始めるのだった。


「すいません! お待たせ――」

 まずは、全力の謝罪を、そして土産を渡す。しかし、その計画は彼女の容貌を見て、私は一撃で狂った。

 美しい服に、白い体に、頭からつま先まで、全身に、彼女は鮮血を浴びていたのだから。

「あら~ 見られちゃったわね」

 異常な状態なのに、彼女は普段と何も変わない様子で話しかけてくる。

「じゃあ、これでお別れね」

 そういって彼女は裂けんばかりに口を開く。その時綺麗に生え揃っていた八重歯が、長く突き出しているのが見えた。まるで血を吸うように彼女は、首筋に口を付ける。

「いただきます」

 その礼儀正しさとは裏腹に、悪魔の影が、自分にもたれ掛かってくる。歯が食い込むと同時に首に激痛が走る。創作物では酩酊感や幸福感が訪れるというが、苦しみだけが体中を駆け巡る。


「ふー…… 美味しかった」

 どれだけ時間がたったのだろうか、彼女は満足げに口元を拭っていた。

「――ったく…… あんたは吸血鬼ヴァンパイアだったのかよ……」

「ア、アナタなんで生きてるのよ!?」

 彼女にとってはよほどの驚きだったのだろう。今までの付き合いでは一度も見せたことのない焦りの表情が、そこにはあった。

 「そりゃ俺もアンタと同じ妖、夢魔インキュバスだからな」

 同じと言葉にしながらも、彼女の本性を見抜けなかった自分を自嘲気味に笑う。

「まぁ、あんたがそんな飛び道具を使うなら、俺も使っていいよな」

「一体なんの話――」

 何か抗議をしようとしたのだろうが、彼女の口からそれ以上の言葉は紡がれなかった。

「ほい、魅了完了っと」


 一仕事を終え、窓をふと見れば夜の帳は上がろうとしていた。

 

 陽に照らされた吸血鬼ヴァンパイアは美しいのだろうか。

 

 そうして恋人の時間は終わりを告げ、二人は番《つがい》となった。

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