寝なければ朝は来ない

「お前さ! 今何時だと思ってんだよ!」

「帰ってきてうっさいわね! あんたの稼ぎが少ないから残業よ!」

「それはあれだけあった貯金を、俺が知らない間に借金に変えちまったからだろうが!」


 深夜のボロいアパートに響く、他愛のない夫婦喧嘩。治安の悪い地域という特性も相まって、この程度では通報どころか白い目を向けられることすらない。


 だが、その渦中に幼い子供が布団で耳を塞いでいなければ、だが。


 いつものように始まったけんかに、ライトは蹲って嵐が過ぎ去ることを待つことしかできなかった。


 決定的に仲が悪くなったのは、ライトの卒園式に父母のどちらが出席するかで喧嘩をしたときだろか。授業参観の日に、どちらが出席するかを怒鳴りあって決めた日だろうか。どちらにしろそれらの出来事は、ライト自身にとって、自分は不要な存在であるということを脳裏に刻み込ませるのには十分な出来事だった。


「ごめんなさい……」

 誰にも届くことすらない声を呟きながら、今日も毛布に体を重ねる。


「大体ね、女にまともな化粧すらさせてやれない旦那とかもっと甲斐性はないわけ!?」

「なんでお前は事務の仕事に、そんな派手な化粧を施すんだよ! 必要ねぇだろ!」

 次第にヒートアップしていく両親は、当然の流れのように暴力に発展していった。

 ここまでに行ってしまうと、互いに決着がつくまで譲れないだろう、今夜は夜更かしをしなければならない。


 自分が今よりも幼いころ、学校の先生から暴力はだめだと教わったことがあった。

「ねぇ、佐藤君。もし、誰かを叩いたりしたら、その痛みは必ずその人に返ってきちゃうんだよ。だから、友達とか、大事な人が誰かを叩いたら、絶対に止めなきゃだめだよ!」

 それを聞いたライトは、激しく自分を責めた。今まで両親の喧嘩から目を背けていたことは、悪いことだったんだということを知ったからだ。


 その日も今日と同じように、いつものように喧嘩をしていた。

「大体さ! アンタのその態度が気に食わないのよ!」

「俺もおんなじだよ! やるか!」

「私にすら勝てないくせになにいってんのよ!」

 いつもならば、トイレに逃げて、終わるのを待っていた。けれど、今日は違う。ライトは精一杯の勇気を振り絞って、両親に言った。

「――けんかはダメ!」

 互いににらみ合っていた両親は、二人ともライトを向いた。

 思った以上の効果が出て、ライトは喜んだ。やった、これで”はなしあい”ができる。そう喜んでいた。


「「うるさい」」

 同時に同じ言葉を発した二人は、一切の容赦をせずに、パンと両頬を張った。

「――え」

「子供が口出しすんな、邪魔だしどっか行って」

「そうだ、ガキは黙ってろ」


 先生の言うことが間違ってたのもショックだった。両親に殴られたこともショックだった。けど、何よりもうるさいと言われたことが、心に深い影を落とした。

 それ以来、ライトは両親の喧嘩には無関心になった。それが自己を守るためなのかは、誰にもわからない。


 「――あぁ、今日こそ我慢ならねぇ」

 「ちょっと、あんた頭おかしいんじゃないの!?」

 「毎日毎日俺の金を食い潰しやがって……」


 それでも今日の喧嘩はいつもとどこか違った。お母さんがこんなに怯える声を聞いたことがない。父さんが、こんな切羽詰まった声を呟くことを聞いたことがない。


 「もう全部終わりにしよう」

 「やめて、話せばわか――」

 何かを抉るような音がした後、同時に母の言葉はそこで途切れ、バタンと地面に崩れ落ちる音が聞こえてくる。そしてどこからかポタポタと何かが垂れる音がする。

 そして、父の声も同時に聞こえなくなった。


 あぁ、静かになった。

 

 喧嘩も今日は早く終わったみたいだし、静かに眠ることができる。

 万感の思いを抱えながら、ライトは目を閉じた。


 あぁ、寝なければ朝は来てくれないんだから、お母さん、お父さん、おやすみなさい。


 

 『ニュースをお伝えします。昨晩未明、アパートにて死体が発見されました。近所の住民から異臭がするとの通報を受け駆け付けたところ、この家に住む佐藤ライト君の遺体が発見――』


 

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