禁忌

『試験管の中で、ヒトは誕生させられるか』

 

 化学の道を通った研究者が、必ず一度は妄想したことがある題材がある。しかしそれらは全ては妄想に終わってしまっていた。それはなぜか、勿論莫大な費用が掛かってしまう事が原因の一つに数えられる。大概の研究者は、資金難という現実に白旗を振るしかない。しかし、それでも世の中には金持ちの道楽による浪漫の資金が投入されたことは幾度となくある。しかしそれでも実験が成功することは無かった。既に完璧な理論は用意されいる、しかし最新鋭の設備と今まで数々の難実験を成功させてきた研究者を揃えたとしても、まるで不純な動機な者は拒むかのように、それらは全て失敗してしまっているのだ。恐らく、何かが足りていないのだろう、しかしそれらは何かわからない。様々な研究者が挑み、そして散っていく。気が付けば、この実験はこう呼ばれるようになった。


『禁忌』

 一度手を出すと、キャリアも、誇りも、全てを失う悪魔の誘いだと。

しかしそれでも人は夢想をすることを止めることは出来なかった。しかし、結局は自分にそれらを解決できる知識や技術を持っていたら。そんな妄想で終わってしまう。

 

 しかし、もしその実験を成功させることが出来れば、きっとそれは、人は奇跡と呼ぶだろう。


「あ……」

 

「――できちゃった」

 しかしある日、その禁忌は一人の大学生によって解き明かされることにった。



『では、どのようにして理論を完成させたのか教えて下さい』

 

 今まで皆の前に立つことは偶然にも入賞した交通安全のポスターによる表彰式程度の経験しかない大学1年生に、記者会見という場はプレッシャーという言葉では形容しきれるものではなかった。

 会場に敷き詰められた席に、ただ一つの空席は見つからず、インタビュワーの視線は常に壇上に座る新人研究者である自分へと注がれている。その視線を避けようと正面を向くも、そこには所狭しと敷き詰められた大型のカメラが、今この瞬間もこちらを取り逃さないよう四方八方から囲む。


 ――帰りたい。

 そんな単純な逃避の感情が、頭の中を永遠とぐるぐると周っていた。


 経緯は本当に偶然だった。

 実験の結果が芳しなく、補講になった腹いせに納豆巻きを食べながら、実験室に入室したことが全ての始まりだった。納豆に含まれる納豆菌は、特に細菌の培養に甚大なダメージを与える事から、茸工場を始めとした化学室には一切の持ち込みが禁止されている危険物質だ。勿論その実験室も例外ではなく、本来ならば叱責で済めば運がよく、損害賠償が請求されたとしてもおかしくない愚行だった。しかし無知ゆえに持ち込んだそれらは、禁忌実験の成功という奇跡を齎すことになった。


 この結果を興奮冷めやらぬ中教授に伝え、いつの間にかこんな会見の準備が行われていた。


 しかし自分は、世間の盛り上がりとは裏腹に、内心この騒ぎに心底うんざりしていた。学部の先輩達には嫉妬の視線を注がれ、わざとらしく嫌味をぶつける。同級生は他学部だろうが、同じ授業に在籍しているだけで、常にヒソヒソと話をして盛り上がっている。そして偶に「どうやって見つけたんだ」だの「才能が羨ましい」だの、不満をぶつけてくる。自分はただ、無知だっただけなのに、なぜこんな面倒に巻き込まれてしまったのかと、自分に苛立っていた。

 

『うぉっほん、私から代わりに説明いたしましょう』

 ワザとらしくため息をつきながら、隣の席に座っていた教授が席を立った。会場中の視線が一斉に注がれる。


『今回の実験は、私の授業の一環で、organisch leven…… 失礼、禁忌実験なんて揶揄されている物を取り扱ったところから起因いたします』

 教授が訥々と語りだした。いかに自分がこの成功結果を求めていたのかを、長い間トライ&エラーを繰り返してきたこと、それらに対して長時間の熱弁を振るった。


 ――嘘ばっかりをつく教授の豪胆さには、内心関心していた。普段はやる気のない授業と実験で堕落したと思えば、私用で誰かに頼んだ些細なミスで、唾が飛ぶ程叱り始めるのに、偶然とは言え実績を築いたら、いつのまにか自分のキャリアへと変換する。だが、この時ばかりは、この腹黒の性格に救われていた。このまま功績が教授の物になれば、きっと下らない噂も消えるだろう。


 『それで、成功させた世界初めての人物になった気分はどうですか!』

 『自分には、運が味方してくれたんだと思う事にします』

 だからもう、どうでもよかった。


 しかし現実とはそう上手くいかないもので、結局は世紀の大発見という功績に後押しされ、世界各地で発表が行われた。その際に第一発見者は同行しなきゃいけない決まりがあるらしく、授業に殆ど出席できないまま、教授と共に世界各地を駆け回った。時には試験管を手に持って、自分の成果をアピールした。


 そんなサーカスの様な興業に、心底嫌気がさしていたときだった。

 

「あれ……」

 教授にケアを押し付けられ、一人で試験管のチェックをしていた時だった。中で蠢いていたヒトが、動かなくなっていた。現在地はは寒冷地だからだろう、部屋をの温度を上げて対処しなければいけない。けれど、そこで気が付いてしまった。

 

「もしかして、これで終われるんじゃ」

 これをやったとして、世界中からのバッシングは免れないだろう。しかし、自分にとってはどうでもよかった。

 


 

 そのまま部屋の温度を下げ、布団にもぐり込む事にした。

 

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