夕暮れの海と
カモメが、手の届かない遠くへ飛んでいく。砂浜の上で立ち尽くすことしかできない自分に比べてなんて自由な存在なんだろうと、嫉妬の気持ちすら芽生えてくる。
「……何をすればいいんだろうか」
なんの準備もないまま、人生で初めての海にやってきた自分は一人、呟く。
「――やっぱりここは圏外か」
念のための確認で、濡れてしまったスマホをチェックする。流石日本製、耐水機能がついているのが功を奏し、携帯としての機能を失っていなかったが――
『電波が繋がりません』
やはりここは電波が一切届かず、外界から隔絶された浜辺だった。その事実を改めて認識した後、ゆっくりと周囲を見回す。野生動物も、人間も、誰一人としていないかを確認する。
「――自由だぁ!」
その場で服を脱ぎ、無造作に放り投げる。落ちた服に砂が纏わりつくが、そんな目先のことは目に入らない。自分は海へと飛び込む。ちっぽけな浴槽になんて目じゃない位の大きな音と、水しぶきが上がる。静かで、揺らぎのなかった海に、自分という異物が混ざる感覚は、どこか背徳的で、興奮も感じてきているのは気のせいではないだろう。
そのまま、自分は泳いだ。水着はまだしも、ゴーグルが無いというのが口惜しいが、それでも眼前に広がる景色は絶景だった。
小指にも満たない稚魚が、大群を象って泳いでいく。カニやヒトデが珊瑚の隙間に何度も入ろうと、体をこすりつける。自分の身の丈よりも大きい魚と共に泳いだ。
そんな遊泳の中、幸運にも自分の時計が海中に落ちているのを見つけることが出来た。てっきり自分の物は全て沈んで二度と手に入らないと思っていたが、この時計は無事だった。信仰もしていない神様に感謝をしていると、時計の時刻が目に入った。既に海中に入ってから、2時間以上が経過していた。
流石に休息を取らなきゃ不味い、そう考えて遊泳の時間を終わらせることにした。沖に上がり元の服に着替えようとするもタオルが無いことに気が付く。夜の気温は分からないが、寝るときには服が必須になる。そのときに磯の香りと共に眠りにつく自信はなかった。自然乾燥させようと、大の字で立ちながら、海風に全身を晒すことにした。
海をただ眺めて、またしても海に入りたい衝動と戦うのは精神的に非常に厳しい事だということに、この年齢になって気づくとは思わなかった。
自分に子供が出来た時きちんと叱れるのか、そんな下らない妄想を繰り広げても、時間は遅々として進まない。時計を確認しても時間はまだ5分と経過していなかった。
――歩こう、そうすれば多少は早く乾くだろう。
全裸というシチュエーションには抵抗があったが、どうせ誰も見ていないのだろう。寧ろ変態な格好をして、悲鳴を上げてくれた方がいい。自分は砂浜に沿って歩くことにした。
思った以上に、砂浜は鋭利な物が転がっていて、裸足では危険なんだと知ることが出来た。気づけば鋭利な岩や、流れ着いたガラスで傷つけないように慎重に慎重にと牛歩の如く進んでいた、そんな時だった。
「腹、減ったなぁ……」
お腹がかすかに、くぅーっと情けない音を出す。時間換算で考えてみれば、すでに一日以上何も口にしていない。何か食べる物はないかとあたりを見渡してみる。すると、近くの雑木林に黄色い果物が実っているのが見えた。
「バナナ、かな?」
その木に近寄ってみてみると、そこには緑色から、黒くなりかけたバナナが大量に生えていた。バナナで食虫毒に当たったなんて話は今まで聞いたことが無い。きっと貴重な栄養になるに違いない。しかし――
「どうやってとればいいんだ……」
腕白な友人に連れられ幼い時に、一度だけ木登りをしたことがある。結果は大失敗。幹から滑り落ちて背中から地面に落ちた以来、やったことがない。しかし、バナナは10メートル以上はある樹木の葉に付いている。ジャンプなんかで届く距離ですらない。梯子か何か都合の良い物は落ちていないか、もう一度、周囲に何か落ちていないかを探す。
「これしかないのか」
見つけたのは、こぶし大の石だった。きっと何回か投げ続ければ、いつか落ちてくるだろう。自分は目標に向かって石を投げ始めた。
「はぁ、はぁ、採れた……」
結局何時間もかけて、一つとることが出来た。当初の目的である水滴は、既に汗で全身が汚れてしまった。だが、苦難の末にようやく手に入れた一房が目の前にある。
「いただきます」
皮を剥き、身に齧りつく。――正直、美味しいとは言えない味だった。普段食べる物よりもパサついていて、苦みがあった。けれど、今まで食べたどんな高級な料理よりも、美味しかった。
「ごちそうさまでした」
夢中になって食べ、気付けば陽も落ちてきた。眼前に広がる海がオレンジ色に染まっていくのは寂しかった。
あぁ、こんなに景色は美しいのに、自分は一人になってしまった。
「あぁ、誰か遭難した自分を助けてくれないかな……」
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