一話完結の短篇集

@Itsuki_Amagiri

画面の前で母は

 この度は、お悔やみ申し上げ――

 哀悼の意を、表し――

 ご愁傷様で――


 言葉尻まで言い切らないことで、悔しさを表現するのがマナーなんだそうだ。


 そんな余分に気を回せるのは、本当の紳士か、あるいは、左程悔しくもないが義理や関係があるからと、出席した人だけだろう。


 喪主として匂いを嗅いだ線香は、暫く鼻の奥に刻み込まれて、消えそうになかった。



 母が死んだ。

交通事故に巻き込まれて、あっさりと逝ってしまった。

警察にも、見るには悲惨だと言われ、止められた。


 次に会った時には棺の中にいて、そのまま顔も見ずに小さい壺に収まってしまった。


 だからだろうか、もう六日も経ったというのに、死んでしまったという実感は湧いてきていない。今すぐにでも扉を開けて、買い物袋をもって帰ってきさえしてしまう。



 そして、私の目には、未だ一滴の涙すら零れてこない。


 妹は今日も、自室の隅に蹲って、声を殺して泣いている。


 悲しみで胸中は包まれている。けれど、表面にはなんの発露もしてくれない。

”男は生涯では三回だけ泣いていい”と昔の人は言ったそうだけど、友達との喧嘩で散々泣いた自分は、それに含まれている母の死は悼めない。


不義理なのだろうか。


判らなかった。


 けれど、今、うじうじしても何も始まらないことだけは、はっきりしている。

夕食のためのインスタントの封を切りながら、お湯を沸かすために、台所に足を踏み入れる――


『おかーさん! 今日のご飯は?』

『お兄ちゃんが好きなハンバーグよ』

『やったー!』



自分が子供の頃によくあった会話だった。


感傷に浸っていると、お湯を沸かしているヤカンが吹きこぼれそうになっていた。

慌ててスイッチを回し火を弱める。


動揺はしてるみたいだと実感を得れた自分が、不謹慎だと分かっていながらも嬉しくなった。


 そのまま妹を呼び、いらないと断られたカップ麺を二人分食べた。こんな中でもシーフードの味付けが、しっかりと感じられたことに対して、またしても腹が立った。


「妹みたく、しおらしくしているのが普通で、正しいだろうに……」


何もやる気が起きず、ベットの上に倒れ込んだ。こんな時間などまだ夕方だと豪語していたけれど、気分は晴れない。


「あ……」

その時、唐突に母と交わした約束を思い出した。


「確かこの辺に……」

普段は入らなかった母の寝室に足を踏み入れる。目当ては、棚に置いてある筈の――


「あった」

死亡保険に関する書類だ。

そのまま中身を確認する。

『もし私に何かが起きた時、私の寝室にある棚を漁んな! 暫くは生きれる筈だよ!』

 母子家庭だった我が家は、常にいろいろな部分に保険をかけていた。


書類を読み進める中で、気になる記述を発見した。


――保険金を受け取る手続きは、一週間以内に行わないと、保険金受領振込が遅れる可能性があります。



母が死んで六日経った。

つまりこの手続きの期限は実質的には、明日まで。


中々愉快な保険金サービスだなと、保険会社に怒りを覚えるとともに、作業に取り組もうと指定のHPを訪れた。


『この度は、お悔やみ申し上げ――』


すっかり聞きなじみになった文言はこのサイトでも健在のようだった。


見なかったふりをして、母に与えられた番号を入力していく。


『必要な書類は以下のリストとなります』

・保険金受取人の戸籍謄本

・申し込みされた方の番号

・申し込みされた方の住民票

・事故を起こした相手の自動車登録番号

・事故を起こした相手の住所

・死亡診断書


 ずらっと並んだ必要書類の数々。片手を使って数えきれなくなったところで、数の把握は諦めた。

 戸籍謄本は喪主の手続きの為に必要だったから今も残っている。事故を起こした相手は、死んだ次の日には頭を下げに来た時に、なんとか聞き出したのがどこかにあるだろう。


 だが、死亡診断書はもっていなかった。

正確には、紙として所持しているが、向こうが要求してきたのは電子の形だった。


 これだけやって寝ようと、今度は役所のHPへアクセスする。


 明日中に行かなきゃいけないところは沢山あるとゲンナリしつつも、またしても求められる母の個人情報をフォームに入力する。


『死亡診断書を出力しますか?』

一連の入力も終わり、最後にその画面が出て、クリックしようとした。


だが、指が凍り付いたかのように、誰かが拒んだように、ピクリとも動かなかった。


 だが、その自問には、すぐに答えることが出来た。

 そういう事かと、胃袋の底にストン、と何かが落ちた。

 こんなしょうもない入力で母は書類から、戸籍から、名前を消えるのか。


 こんな画面の前で、母は――


 待ち望んでいたそれで、視界に広がる画面は一気にぼやけた。






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