秘密
「はぁ……」
帰宅ラッシュに重なった地下鉄は文字通りすし詰め状態。いつものことながら、もしかしたら朝以上に混んでいるのでは、しかも今は朝以上に荷物を重たい荷物を持って乗車しているのだ、ため息を零さずにはいられない。
ここまで混雑していると、尻のポケットに入れているスマホを取り出す事すら難しい。暇つぶしにチラリとみた電光掲示板には、目的地までB駅まで、あと6駅と表示されている。
――待つしかない、か。
改めてその事実を確認し、目的地まで、天井を見ながらぼーっとしている事に決めた。
『あのS女優の裏の顔!? 繁華街での悪癖とは!?』
人並みよりも一回り以上大きい背丈を活かして、ゴシップ誌として名を馳せている中吊り広告を眺めながら、見知らぬ女優に同情していた。こんな風に、知らない人物に有名人だからと付け回され、挙句の果てにはひた隠しにしていた事実を、子供がアリを踏み潰すように、何の罪悪感もなく世間に向けて公開する。もしそんな生活が自分や周囲で起きていたら、耐えることは出来ないだろう。きっと、電車に乗るときも、自分の様に帽子を目深に被って、マスクをして、怯えながら誰に話しかけらる恐怖と戦うのだろう。突然話しかけられる――
「……もしかして、君ってM君?」
唐突に、自分の背後から自分の名前が呼ばれたとき、心臓をぎゅっと握られれた。
――自分にも取材が来たのか? ――まさか、もうバレたのか。心臓の鼓動が耳にまで届く程、早鐘を打っている。
「ほら! やっぱりM君じゃん! 私の事、忘れちゃった?」
そういって謎の人物は、服の裾を掴んで、なおも問いかけてくる。しかしその声の主は、懐かしい人物に話しかけるような、親しみを感じる声色だった。そしてM自身にも、聞き覚えがある声だった。
「……なんだ、Lさんか」
「なんだじゃないよ! あれだけ呼びかけたのに振り向くの遅いよ!」
意を決し、振り返った後ろに立っていたのは、学校時代の友人のLだった。
「ごめん、ちょっと背丈の問題で聞こえなかったかも」
「あ! 私の身長を馬鹿にしたね!? そんなノッポに育っちゃって!」
適当に、そして昔の同じようにMは誤魔化したが、Lは真に受け、頬を膨らませながら顔を真っ赤にしていた。
Lは自分の背丈は元より、他の女子と比べても、背が低くいつもからかわれていた。そして、久しぶりにあった今も、その背丈は残念なことに変化は無かった。昔も、今と同じようにクラスメートに同じようなイジりを何度もされたことを思い出すと、自然と警戒心もほぐれてきた。流石に考えすぎだったみたいだ。
「ていうか、Lさんてこっちに住んでるの? 地元からは大分離れるけど」
「ううん。今日は友達の結婚式に招待されてその帰りだよ。正直都会の夜の電車がこんなに混んでいるとは思ってなかったよ~」
確かにLの服装を眺めてみれば、おしゃれなドレスを着こなしている。今まで制服でしか見たことなかったその姿にMは少しドキッとさせられた。その時だった。
「あっ!」
電車に急ブレーキがかかり、Lの姿勢が崩れた。
「――っ!」
「あ、ありがとう……」
咄嗟に伸ばした腕は、なんとかLを受け止めることが出来た。自分が持っていたボストンバックを咄嗟に床に置かなければ、間に合わなかっただろう。
「なんともないようなら良かった」
Mはバックを再び持とうと、急いで手を伸ばす。もし誰かの手に渡ったら――
「はいこのバックM君のでしょ。大事な荷物だったのにゴメンね」
Lが素早く拾い上げ、Mへと手渡す。その行動に、そして核心に触れられ、またしてもMの心臓は早鐘を打ち始めた。
「――大事って、自分が言ったっけ」
「ううん。立ち振る舞いで分かるよ。だって普通、こんなに混んでるなら床に置くのに、わざわざ腕の中で抱きかかえてるんだもん。わかる人にはわかるよ!」
「……そうだね、大事な物、かな」
――誰にも見られたくないかな。
「うん、何か言った?」
「聞き間違いじゃないかな。何も言ってないよ」
「そっか……ねぇ! またこうやって会えたんだし、また今度、二人で遊びに――」
『次はC駅、C駅、お出口は右側です』
その時、Lの言葉を車内放送が遮った。その時、Mの表情が一瞬喜びに変わったのを、Lは見逃さなかった。
「ごめん、俺ここで降りなきゃだ。また今度連絡するね」
「――そっか、また今度」
Mはそれだけ言って、逃げるように電車を降りた。
「何か後ろめたいことでもあるのかね――って、これなんだろ?」
Mの事を考え始めたその時、ふと視線を下に向けたら、Lのドレスに黒い何かが付いているのが見えた。
「料理零しちゃったのかな……」
なんとか逃げ切れた、Mは心からそう思った。Lにカバンを持たれた時や、大事にしている理由がバレなくて。自分の罪がバレなくて、本当に良かった。
Mは胸元に少しついた血を拭った。
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