ラブレター

「――あれ」

 放課後になりしばらく経った学校の廊下、生徒の声は聞えない静寂。そんな廊下を一人歩いていた時、ふと目線の先に、夕暮れが差し込んで橙色に照らされた床に、一葉の手紙落ちているのを見つけた。

 

「って、まじかよ……」

 落とし主を探そうと屈んで手紙を拾う。裏返してみても宛先人も、差出人も書かれていなかった。――しかし、その手紙にはによって封がされていた。

――ラブレター、だろうか。

 面倒、最初に口をついて出たのはそんな感想だった。もしこれの持ち主を見つける為には中身を見るしかない。ただ他人に好きな人に宛てた恋心を見られるのは、自分なら恥ずかしさで暫く引きこもりたくなる。もう一度床に落として、見なかったふりをしたことにしたい。


 だが、自分の立場で落とし物を見過ごすというのも、それはどうなんだという心の天使が囁く。このまま放置して、朝の学活の時に自分の知らないクラスでこのラブレターが晒し物になってしまうのではないか。そうなる前に回収した方が良いのではないか。

 

――そして、そんな理屈を捨てて素直になれば、他人が書いたラブレターを読んでみたい。甘酸っぱい恋愛の模様なんて、傍から眺めている分には最高に面白いのだから、それを見過ごすのは勿体無いと悪魔は囁く。

 

「まぁ、誰かに晒されるよりは良いよな……」

 天使も悪魔も読めと囁いている。その欲望に自分は抗う事は出来なかった。無理やり自分を納得させる言葉を吐きながら、シールを破かないように慎重に中身をあらためる。中には折りたたまれた小さな紙が入っていた。見てはいけない物を見るというのは案外ドキドキするもので、自分でも意識しないうちに心臓の鼓動が早まっていくのを感じる。


――そして、意を決してその禁忌を開いた。


『十三月二十八日の放課後、一時間後に四階の視聴覚室に来てください。話したいことがあります』

「そっちかぁ……」

 そこには短文が一節、日時と場所が書かれているだけった。確かにこれならば差出人どころか宛先人すら書く必要はない。告白したい人が、する相手の靴箱にでも押し込んでしまえば終わるのだから。だが、同時に、この手紙は過去に書いたものを発見して、誰かが適当に捨てたわけではないという事だ。まさに今日こそが当該日の十三月二十八日なのだから。その時、ふと気になって手元につけた腕時計をチラリとみる。

 

――示した時刻は、放課後から一時間と少し経った頃を指し示していた。

 

「……こうなったら行くか」

 どうせ乗りかかった泥船だ。まだここにきて二年、未だ色恋の始まりを目撃できていないのだから、観測するチャンスがあるならしてみたい。そして、一度関わってしまったのだから、どうせならば最後の結末まで見届けたいという親心という名の野次馬根性が働いた。そして、件の視聴覚室まで行くことにした。


「――えっ、鍵かかってないじゃん……」

 四階の視聴覚室は、昔は部活動で使っていたらしいが、現在は廃部になっていらい半ば物置と化していた場所、そう認識していた。

 

 その為にわざわざ一度、二階にある職員室に置いてあった鍵を取りに行き、エレベーターの改修工事を恨みながら階段をひぃひぃ言いながら上ったのだ。しかし、視聴覚室の扉についていた南京錠に鍵を差し込んでも、返ってくる感触はなく、ガチャガチャと動かしていているうちに、始めこそ故障を疑ったものの、まさかと思い、錠を動かしたら、抵抗なくあっさりと開いてしまった。

「はぁぁ……」

 思わず大きくため息をついてしまう。周りにはこういうことをやる人物だと思われていないから、生徒がいないという事実が今は有難かった。


 だが、過ぎてしまったことは仕方がない。改めて気持ちを切り替え、視聴覚室に向き合う。廊下から中が見えれば一発だったのだが、何故かカーテンは全て閉まっていて中の様子を窺い知ることは出来そうになかった。

 仕方なく、その扉を開ける前に耳を当てて聞き耳を立ててみたが、中から音は一切聞こえない。もう告白も済ませてしまったのだろう。

 一応確認しよう、そのくらいの気持ちで視聴覚室へ足を踏み入れた。


「「「せーの‼」」」

「――は」


 だが、その予想を裏切り、扉を開けた直後、自分の全身がびしょびしょに濡れた。


「え」「ちょ」「嘘」

 髪から滴り落ちる水滴の隙間から、何が起こったのか把握しようと、周囲をゆっくりと見回す。視界の端には、数人の生徒が空になったバケツを持ちながら、石像の様に固まっている様子が見えた。

「「「!?」」」

「――で、何やったか説明してもらおうか……」

 努めて冷静に、出来る限り怒気は孕まないように最大限の注意を払って、生徒たちに問いただす。

「実は――」「その」「えぇっと……」

 一斉に雛の様に喋りだし、まともな言葉は返ってこない。大方、ラブレターにつられた人物に対して悪戯でもしたのだろう。この程度ならスーツをクリーニングに出せばいいのだから、説教程度に終わらせよう。そう決意し、生徒たちの方向へ向き直る――

 

「あっ――」

 

 きっと頭から水を被った所為だろう。しっかりと装着されているはずのそれは、教師の頭上から零れ落ちた。黒く、質量を持ったそれによって覆われていたは、今や夕暮れに照らされ、光り輝いていた。


 その場の空気が、一瞬にして凍った。

 

「――お前ら‼‼」

 その日以降、教師の迫真の説教があったと、涙ながらに語り継がれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る