その月明けるべからず

 月がこっそりと僕の部屋に遊びに来る日が、唯一の楽しみだった。


「今日はこないのかな……」

 塔の上に一人で暮らす少年は、外に浮かぶ満月を寂しそうに眺めていた。時計の針をちらりと見れば、すっかり寝なさいと怒られてしまう時間に差し掛かっていた。だが、そんな小言を言ってくれる親は、もう随分と会っていない。だからこそこうして月を待つことが出来るのは、良いことなのか悪いことか判断が付かない。

 

「ふぁぁ……」

 欠伸が漏れ、視界が少し滲んだ。きっと今日はきっと何か事件や急用ができたのだろう。彼女は会うたびに忙しい忙しいと口にしていたから、そういう日もあるだろう。

――だから、仕方ない、そう無理やり自分を納得させ布団を頭からかぶる。


 少年は病気を患っていた。一度罹ってしまえば、もう二度と治すことは出来ない難病だと医者は告げた。そうして、いつの間にか少年の居場所は、国の誰よりも高い塔の上の中になった。

「ねぇ! 誰かいるんでしょ!」

 だが、その現実を受け入れるのに、かなりの時間を要した。一人になったことが信じられなくて、石の扉を手の皮がめくれるまで叩き続けた。喉が潰れて声が変わるまで叫び続けた。だが、どれだけ叫んでも、どれだけ喚いても、もう独りぼっちになってしまったのだと悟れば、何故か思考は透き通っていった。そして、一人が心地よいとすら思い始めた時の事だった。


「うーん、涼しい」

 空に浮かぶ満月が綺麗で、夜中にも関わらず窓を目いっぱい開けた夜だった。

「少年、来たよ」

「――え?」

 何の前触れもなく、前兆もなく、から、声が聞こえた。ここから地上はいつも濃い雲に覆われて、一目見る事すら叶わない。なのに声が聞こえる筈が無いのだ。だが、一度置き去りにした誰かの存在を手放したくはなかった。さながら焚火に吸い寄せられる虫の様に、窓へとフラフラとした足取りで近づいていく。

 

 そして、勇気を出して、窓の下を覗き込んだ。

「よし、まだ聞こえているなら問題ないな」

 窓の外には、魔法使いが


 それが、少年と魔法使いの出会いだった。


「つまりだよ、私は天才なんだよ」

「病気がうつりますよ……」

 自分を魔法使いと名乗った彼は、当たり前のように部屋の中に入り込み、そして、病気に罹っている自分を恐れもしなかった。だが、そんなにぐいぐいと距離を詰められたことが無かった少年は、いつもの調子が出せずに、弱々しく拒否する事しかできなかった。

「つまりね、私が君の病気を見てやろう、そういってるんだよ」

「はぁ……」

 そうして、魔法使いは頼まれてもいないのにペラペラと喋り出した。難しい話が多くてよく分からなかった。

「――自分は過去に似たような患者を診たことがあるから君の病気も治せるはずさ」

「え⁉」

 だが、病気が治せるかもしれない、その言葉が聞こえてきて、そんな眠気は吹っ飛んだ。

「ほ、ほんとうなんですか⁉」

「おっ、やっと食いついたな。――もうちょっと君の事を知らないと無理そうかな~」

「教えますから! 治してください!」


 そして、その日から少年と魔法使いの交流は始まった。

「とりあえず、今日はこれを飲みなさい」

「わかったけど――って苦ぁ⁉」

「まぁ、それくらいは我慢できなきゃね」

 月に一度、何故か満月の時にだけ現れる魔法使いは、会うたびに少年に治療を施した。持ってくる薬は全て不味かったが、少年は自分の病気を治そうと呻きを堪えて必死に飲み込んだ。


「はーい! ちょっとチクっとするけど大丈夫だからね~」

「いやだいやだ怖いよ!」

「大丈夫――」

「ぎゃあああああ‼」


 たまに打つ注射は、全身に激痛が走った。自分が出す声は、人じゃなくなっているようでそれだけは怖かった。

「私は天才だから、大丈夫さ」

 だが、根拠のない自信と、励ますように頭を撫でてくれた時の優しい手は、少年の頼りになった。


「……いたいよ」

 だが、少年の顔色は、星が一周するころには、目に見えてやつれていく。魔法使いは必死に治療法を探した。

「ごめんよ、ごめんよ!」

 だが、日に日に悪くなっていく病状に、魔法使いの手は意味をなしてなかった。何もできず手をこまねいて、少年に許しを請う事しか出来ない己が恥ずかしかった。

「……だいじょうぶ、だから」

 そういって少年は、ゆっくりと魔法使いの頭を撫でる。その力は籠っていなくとも優しい手つきに、魔法使いは人知れず覚悟を決めた。


「少年、会うのは今日で最後になると思う」

 月が三週したころ、久しぶりに姿を現した魔法使いは、前置きもなく言い切った。

「――いきなりどうしたんだよ。それより見てよ! こんなに元気になったよ!」

 三カ月の間、少年の身体は健康状態へと向かっていた。今まで我慢した薬が効いたのだと、無邪気に喜んでいた。そしてその感謝を伝えようと、お礼を言う機会をいつまでも待っていたのだ。

「――ごめん」

「え――」

 だが、そのお礼を言い切る前に、魔法使いは少年の首を

 ゴクゴクと喉が鳴り、そのたびに首が焼けるような痛みに晒される。

「ね、ねぇ! や、やめて……」

 少年は魔法使いを突き放そうと、必死に肩を揺らす。だが、石像の様に動かないそれに躊躇は無かった。

 そうして、月も徐々に落ち、陽が昇ってきたときに、やっと魔法使いは手を放す。

 

「――これで、お別れだ」

 そう言いながら、魔法使いは少年を抱えて歩き出す。

「ねぇ! 一体何なんだよ、答えてよ!」

「気にすんなって、私は天才だから大丈夫だよ」

 返事になってない答えを呟き、窓の方へと歩き出す。そして、少年をそのまま窓の外へと放り投げた。

「――えっ」

 そのまま地面へと落下すると思い、ぎゅっと目を閉じた瞬間、一瞬にして足元に衝撃が響いた。

 そう、少年は空中に

「ねぇ! 何をしたの⁉」

 少し上に浮かぶ、今までの住んでいた塔の窓は、見えなくなっていた。その場でジャンプをしても届かない。階段の様に登っていくこともできない。

 

 だが、少年は塔から飛び出した。


 

 強がりの天才は、塔に変わって閉じ込められることにした。

 

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