適所

 無限に食べられる男の子。

 一番最初に世の中にその存在が知られたとき、その男の子はそんな肩書で囃し立てられていた筈だ。

驚異の消化器官と、栄養の有無、そして有機物に拘らずとも、有害物質でさえ食べてエネルギーに変換できてしまう特異体質。バケモノ、人々はその男児をそう嘲った。

 

 最初はただの親馬鹿によるパフォーマンスなんじゃないのかと、誹謗の声が大きかった。母親が早くして父と死別し、生活に余裕があるとはお世辞にも言える身なりや容貌をしていたのだから、ある意味では仕方なかったのかもしれない。しかし風向きが変わったのは、あるインタビューに涙ながらに出演したからだ。

 

『あの子はなんでも食べちゃうんです…… それが手だろうと……』

 

 そういってカメラに向かって包帯で巻かれた右腕を見せた。――その腕の先に、手首は無かった。


 その映像をみた敏い国民は疑われた。もしかしたらこの子は、別の星の生命体なんじゃないか。新たな人類の進化の形なのではないか。子供同士の戯言がいつしか井戸端での憶測になり、いつしかそれは恐怖へと変貌した。

 

 恐怖に染められた群衆は、まともではなかった。連日のように、家に押しかけバケモノを殺せと喚く。家の中に人影が見えたら、誰であろうと物を投げつける。反応をしめしたら最後、彼らが飽きるまで、永遠とも思える時間を暴言に晒される。救いだったのは、その中傷の対象は、例の子供で母には憐みの目線を向けてくれたことと、子供がその幼さ故に、その言葉の意味を理解していなかったことか。

 

 だが、そんな地獄は長くは続かなかった。謎の組織が、その家にやってきたのだ。

「動くな」

 ご飯を上げようと、バケモノにご飯を食べさせてあげた時、扉を蹴破った黒いサングラスのスーツを着た正体不明の男が、静かに告げた。

「ちょっと! いきなりなんですか!?」

 その言葉に、男の口端がニヤリと歪む。サングラスの奥の瞳は、何かを欲しそうな物を見つけた時の顔をしていた。

「二人とも、より良い場所へ連れて行ってやる。きっとお前の望みも叶うぞ」

 全てを見透かしているように、欲しい物はなんでもやる、そう言わんばかりに男が言い放つ。母は左程悩まず、首を縦へと振った。



 そこから、近所どころか日本中で轟いていた悪評は芸能人と人気歌手の不倫という世間を賑わす事件がすぐに起きたこともあり、あっという間に立ち消えた。

 そして、数年が経ったとき、とある研究所からひっそりと論文が発表された。


 『特定新生児による、細胞含有物質の消化酵素と遺伝について』

 その専門性と難読性の所以か、メディアはどころか、同業者にさえ伝わらなかったこの論文が、日本を大きく変えた。


 しいて気になるポイントがあるとすれば、研究者の名前には、いつぞやテレビでインタビューを受けた母親の名前が記されていたことか。

 


「これに着替えてください」

 サングラスの男はすっかり慣れた手つきで運転するハンドルから手を放し、母親へと白衣を無造作に投げ渡す。受け取る女性も、特に意に介さず、まるで普段から来ているかのように袖を通す。数年前まで、この女性が理科の基礎すらしらないなど、誰の想像にもつかないだろう。


「それで、今日の実験内容は?」

「いつものですよ、飛来した有害物質の食除だそうです」

「偶には別の物を与えてあげてほしいんだけど。流石に同じ物を食べ続けたら飽きるでしょう?」

 男を問いただす女性は、いかにも子供を気遣う良妻そのものだ。しかし、本性を知っている物からすれば、それは不気味に映るだろう。男も、ここまで頭のネジが外れた人物になってしまうとは、想定外だった。


 ガラスで仕切られた三重の扉が開き、助手たちがこちらの存在に気付き、頭を下げる。

「教授、准教授、お疲れ様です」

「子供の調子はどう? お腹壊してたりしてない?」

「……今日も健康を維持しています、問題ありません」

「そ、なら貴方たちは別命があるまで帰っていいわ。あと私達がやっておきます」

 テキパキと指示をだし、気付けば部屋には二人きりとなっていた。


「しかし、君もほとほと異常者だな」

「心外ね、立派な母親になるがこの研究の上でのモットーなんだけど?」

 女は手元のパネルを弄り、今日の検食メニューを確認する。一通り見て満足したのだろう、頷きながらボタンを押す。


「よく言う、自分の息子を被験体にして、今更健康が口からでてくるその図太さは見習いたいもんだ」

「あら、私は"世間に注目されたい"それだけが行動原理よ。だから、息子を使って誰かに見てもらえるなら、全力でそうするだけよ」


 ガラスを隔てた向こう側で、バケモノが一心不乱に与えられた食べ物を口に押し込む。

 

「ン、お腹いっぱい」


「ほら、あの子も幸せみたいじゃない」

 一目で義手とわかる銀色の手を男に見せながら、女は笑った。

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