開けずの扉
私の家には、家族の誰も開けない扉がある。
よくある話じゃ、先祖から開けるなとか言われるのかもしれないが、祖父母だろうと、両親だろうと『開けるな』とは一言も言ったことは無い。ただ気分で、なんとなく開けないだけ。
「あんたって、あの扉開けたことある?」
「いーや、無いね」
気になって弟に聞いたことがある。好奇心旺盛な弟ならもしかして、と思ったが、やはり開けたことは無いという。
「なんで? あんたそういうの好きじゃん」
「うーん……なんでだろう?」
やはり、明瞭な返事は返ってこない。だが、その感覚は自分でもなんとなくわかる。偶に台所とかにある床下収納の戸、そんな感じで、あったところでどうでも良いような場所な気がしているのだ。
「――いや、それ絶対おかしいよ!」
「……何が?」
だが、鼻息荒く指摘したのは、私の友人だった。昼ご飯のお弁当を食べていた途中だからか、口元にご飯粒がついていた。
「だって、弟さんは好奇心旺盛なんでしょ? 私なら絶対に罠を仕掛ける為に一回は絶対に見るよ!」
「はぁ……ご飯粒付いてるよ」
その指摘で顔を赤くした友人は素早くハンカチで拭い、コホンと咳をする。
「じゃなくて! 一番おかしいのはその話を聞いたアナタだよ! ”なんで弟が興味を持たなかった”という事実を変に思わなかったの?」
「そんなに突っ込む必要があるところかな?」
「一番大事でしょ! 普通と違うことに理由を求めるのは人間の性じゃないの?」
そんなこと言われても、人によって違うだろう。言われてみれば、確かにオカシイのかもしれないが、それでもやはり興味を持てない。
「まぁ、そういうもんなのかな?」
「そう! 納得してくれたなら、家に帰った後に扉の中の写真を私に見せる事! いいね?」
「……最初からそれが目当てでしょ……」
その指摘は的を射ていたのだろう。彼女の口角があがり、ニヤついた顔になった。
「そりゃそうよ! なんせ『オカルト部兼学内新聞部』として見逃せる案件じゃないもの!」
「はぁ……」
テンションが一気に上がった彼女に、私は全然ついていけなかった。
「ただいまー」
「おぉ、お帰りなさい」
昔の習慣が未だに抜けきらず、誰も居ないと思いながら玄関の扉を開けて言ったが、予想に反し、父からの返事が返ってきた。
「珍しいね? 仕事はどうしたの」
「ノー残業デーって奴がうちの会社でも導入された性でな、あっと言う間に追い出されたよ」
父は生粋の仕事人間だ。言葉の端には制度に対しての恨みが籠っていた。ただ、私にとっては有難いことこの上ない。
「じゃあ今日はそんな疲れてないんでしょ、っていうことで、夜ご飯当番はヨロシク!」
「……そうだな、最近は子供たちに任せきりだったし、俺が作るか」
想定通りの回答が返ってきてガッツポーズを決める。父はそんなに喜ぶことなのかと少し苦笑していたが、気にしないことにする。私はそのまま扉へと向かった。
「じゃ、開けますかね」
生まれてからずっとこの家で暮らしてきて、初めてこの扉としっかりと向き合った気がする。改めて周りをじっくり見ることにした。
まず、真っ先に気になったのが、扉の枠だ。この家の扉や柱は、木材の少し濃い茶色をしているが、この扉だけは木材ではなく、鉄やアルミといった金属でできていた。そして扉の表面も外枠も、傷が一切付いていなかった。まるで、ここ最近設置されたかのような新品具合だったが、それ以外は他の部屋にも置いてある、何の変哲もない扉だ。
「……写真でも撮るか」
どうせあの子の事だから、明日になれば外観の写真も欲しいと言い出すのだろう。面倒を避けようと、手持ちの端末のカメラ機能を起動する。
「はい、チーズ」
フラッシュが一瞬光り、無事に撮影が終わった。
「よし、大丈夫」
一応ブレが無いか確認したが、特に問題はなかった。なら、次は中に入ろう。
「ふぅ……」
その時、ドアノブを握った手がジワリと汗ばんでいる事に気が付く。自分の家の扉を開けるだけなのに、何を恐れているのだろう。その思いとは裏腹に、心臓の鼓動が聞こえるほど、ドクドクと波打ち、喉も徐々に乾いていくような気がする。私は、握ったまま動くことができなかった。
その時、どこかで扉が置く音がした。
「ただいまー」
弟の声が聞こえると同時に、自動車の走行音が聞こえる。どうやら、弟が返ってきたようだ。
「お帰り、早かったな、晩飯出来てるぞ」
「えぇ! 父さん!? 帰ってくるの早くない!?」
「たまには家族サービスしなきゃな、ほら手を洗ってこい」
助かった。心の底からそう実感した。体中の力が抜け、その場に崩れるようにへたりこむ。
「――姉ちゃん、どうしたの?」
この扉は洗面所の近くに存在しているからだろう、弟が私の傍に駆け寄ってきた。
「ううん、ちょっと眩暈がしちゃって」
「大丈夫?」
「問題ないよ、ごめんね心配かけちゃって」
”扉を開けようとして、力が抜けて動けない”。そんな事話したら笑いものにされているのは目に見えている。私は虚勢を張って立ち上がった。
最後に、その扉をもう一度見た。
やはり、それは何の変哲もない扉に違いなかった。
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