乳歯をぶん投げる。

「なぁ、今日Dが変じゃないか?」

「お前も? ボクもそう思うよ」

 授業中、今日の三年二組の話題は、いつもよりも大人しいDについてだった。先生の質問に真っ先に手を挙げ、いつも馬鹿なことを言っているDはうるさいくらいの児童だった。けれど今日は机を指でコツコツ叩いてうるさいし、全然手も上げようとしない。

 何かが起きている事には違いない。周囲の男子が話しかけようとした時だ。

「あ――」

 Dが突如として大きな声を出したと思うと手で口を抑える。そしてその隙間から血が垂れてきた。教室のあちこちから悲鳴が漏れる。

「Dさん! 大丈夫ですか!」

 先生も気にしていたのだろう、先生が黒板から離れ、あっと言う間にDの元に駆け寄った。

「あら、酷い出血…… とりあえず、保健室行きますよ」

「ば、ばい゙」

「みんなは自習ね! 静かに、座っていること!」

「「「はーい」」」

 クラスの皆が元気よく返事をし、教室の後ろからDを抱えた先生を見送った。

「やばいよ!」「血がドバって出た!」「Dちゃん…… 大丈夫だよね?」

 大人しくしている生徒はおらず、一体何が起こったのかを想像することに夢中になった。




「ただいま…… 授業の邪魔してみんなごめんね……」

 Dが帰ってきたのは、結局放課後だった。しかしそれを責める物は誰もおらず、むしろ授業が無くなったことを感謝している人の方が多い。

「で、原因はなんだったんだよ」

「っとね…… これ!」

 近くにいた男子にそう問われ、服のポケットをごそごそと漁りはじめた。暫くして手のひらの上に乗っかっていたのは、この年齢なら誰もが経験するものだった。

「これ…… 歯だ!」「Dちゃん、授業中に抜けちゃったの!?」「痛そぉ……」

 皆が突如として口から血が出た理由に、口々に感想を述べる。確かにそれならば理由も納得できる。

「その歯、ちょっと貸してくんない」

「これどうするの?」

「まぁ、おまじないかな」

 そういって近くにいたBがDに聞いた。周囲はどういう意味なのかと首を傾げた。

「いいよ~」

 しかし、DはBに歯を渡した。普段から人の物を壊すSや、すぐに消しゴムを盗むZとは違い、Bは口数は少ないがいい奴であることを皆が知っている。そう思った――

「じゃあ行くよ~」

 そういってBは開いている窓に向かって、歯を握った手を大きく振りかぶり始める。

「ちょっと待って! 何してんのさ!」

 すぐにBの動きを止めたのは、Bの親友のNだった。

「人の物を勝手に投げるな!」

「だからおまじないだって言ったじゃないか!」

「物を投げるおまじないとか嘘つくな!」

「嘘じゃねえし!」

 Bの突然の行動に周りが呆気に取られている中、二人はそっちのけで、口論を始めてしまった。

 

 

「……もしかしてさ、おまじないって『抜けた歯を下の階に投げればいいことが起きる』って奴?」

「それだよ! ほらN! 嘘じゃなかっただろ!」

 周りにいたクラスメートがそう問いかけると、喧嘩に負け、Nに髪の毛を掴まれているBは勝ち誇ったように言う。


「いやいや! それは『抜けた歯を上の階に投げる』っていうおまじないだろ!?」

「違うじゃないか! 適当な事ばっかり言って!」

 今度は違うクラスメートがNに向かって言う。

「なんだと~」「このやろー!」

 再びBとNの間で取っ組み合いの喧嘩が始まる。

「お母さんは上に投げるって言ってた気がするなぁ」

「うちのお爺ちゃんは地面に叩き付けたって言ってたよ!」

 そして今度は周りのクラスメートも『上に投げる』か『下に投げる』かで口論が起きていた。

 

「みんな、うるさあああああい!!」

 Dが絶叫すると、いまだに握りしめていたBの手から歯を奪い取り、窓に向かって走り出す。

「うおおおおお! どっかいっちゃええええ!」

 そのままの勢いで、Dは歯を真っ直ぐと窓に向かって投げた。

 

「いい! 私はみんな喧嘩するくらいなら、真っ直ぐ投げるから!」

 一瞬の静寂の後、クラスは歓喜に沸いた。

「かっこいいぞ!」「流石D!」「次の委員長はDで決まりだ!」

 


「D、今お前、歯を窓の外にぶん投げたって言ったか……?」

「「「え……」」」

 教室の後ろから、どこか聞いたことがある声がした。皆が一斉に振り返ると――

「先生はランドセルを持ってきたらすぐに保健室にこいって言ったよね……」

 血走った目で、明らかに怒っている担任の先生が立っていた。


「いいかげんにしろおおおおお!」

 その日クラス全員に、先生から雷が落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る