一歩先には

 雨の向こう側には何があるのか、雨雲を見上げながら考えたことがあった。天にはきっと、雨を作り出す機械仕掛けの装置でもあるに違いないと、無知ゆえに確信していた。だから理科の授業で真実を知ったときは、悲しかった。浪漫が終わってしまったのだと嘆いた。


「あ、貴方の事が好きです! 付き合ってください!」

 だから、その言葉に返事をして、一歩先に進むことが、酷く怖くかった。



「ごめんK君……ちょっと、良いかな?」

 学校の終わりを告げる終礼の鐘が鳴った時だった。隣の席に座るLが、話しかけてきた。

「どうしたの?」

「実はさ、言いたいことがあるから、20分後に校舎裏に来てくれないかな!?」

 その言葉に、クラス中の視線が一斉にKとLへと注がれる。もしや、Lは実行するのではないか。

 

――最近、この学校に囁かれる恋のジンクスが存在する。校舎裏へ意中の相手を呼び出して告白すれば、絶対に成功すると。眉唾だと鼻で笑う者もいたが、学園のマドンナだが、難攻不落として名高い先輩が、そのシチュエーションで落とされ、次の日から手を繋いで登校した事件をきっかけに、一気に噂は広まった。

 そしてクラスメートは皆、LがKに恋心を持っているのは誰しも気が付いていた。むしろKは何故、Lの猛アピールに気が付いていないのか。恋愛偏差値赤点以下の鈍さはどうなっているのかと、愛の平手が担任の先生から飛んでもおかしくない状況だった。


 そんな最中、遂に衆目の中でLは勇気を出してKを誘ったのだ。周りの期待と野次馬根性が入り混じった視線が混じることは当然の帰結――

「え、今すぐここじゃダメなの?」

「え――」

 やはり鈍いLは、期待の斜め下を行った。当然衆目の中で告白など、普通の人間ではできない。それ、今この場でやれと強要するのは、Lは恥ずか死するかもしれない。周囲は互いに視線を交錯させ、小さく頷く。


「ごめん! ちょーっとだけ頼みたい用事あるから、Lちゃん借りてくね!」

「えっ?」

「K! お前に緊急で話があるからこっちこい!」

「……ったく、なんなんだよ」

 そのままLを教室の扉へ、Kは教卓の前へと、二人の間にあったもどかしい距離を、無理やり引き伸ばす。こんな甘酸っぱい雰囲気を壊すなど死刑ものだが、放っておいたら地獄が誕生することが間違いない。クラスメートは全員血涙を飲んで実行した。


「ちょっと待って!」

 だがKは、その流れを大きな声を上げ、制止させる。


「みんな、外を見てください……」

 その言葉に従い、各々が近い窓を眺める。奥には黒い雲が寄せ集まり、今にも泣きだしそうな空が浮かんでいた。これでは、校舎裏での告白は出来ない。

だが、Kは皆を止めた。そして、連れ出そうとしたクラスメートの手を振りほどき、再びLの前へと、つかつかと歩み寄る。それはつまり――



「あ、貴方の事が好きです! 付き合ってください!」

――告白を、この場でするという何よりの意思表示だった。

 

 

 Lは、人生で最も難しい選択肢を選ぶ時が来ていた。普段から親しくしていた隣席のクラスメートであるKに、突如として告白されたからだ。そして周囲もその宣言に、大盛り上がりだ。あっと言う間にKの周りには人だかりができ、全員が口々にKの頭を撫で、勇気を称えた。思考が追い付いていないのは、Lだけのようだ。

 

「……えっと、20分後校舎裏ってのは、何だったの?」

「「「告白に決まってんだろ!!」」

 

 よく考えればそれしかないが、Kが答える前に、クラスメートから一斉に突っ込まれた。そし口撃は続く。

 

「大体さ、周りから見てもKがLの事が好きだって雰囲気丸わかりだよ?」

「そうそう、なんで気づかないのって話だったからな」

「本当、鈍いのは少女漫画の中だけにしてほしいよぉ」


 一人に言われる度、顔から血の気が引くのが判る。自分がここまで鈍かったのだと、自己嫌悪する。


「――正直、Kさんに好かれているとは全く思ってなかった。……言っただろ、踏み出すのが怖いって」

 そう、Kは元より、少しでも仲が良い相手には、自分の事は話していた。世の中にある知らないことを知るようになることに、足踏みしてしまうと。自分が勝手に期待した妄想を相手に押し付けて、傷つけてしまうのが、酷く怖かった。だから、そんな後ろ向きな自分を好きになってくれる人が現れるなんて考えもしなかった。


 どうやって円満に断ろう、頭の中はそれで一杯だった。どう答えても角が立ちそうで頭を悩ませていた。――その時、LはKの前へと踏み出した。歩幅は小さく、たが、その小さい足音は、教室を一瞬で満たし、Kの視線はLへと向けられる。

 

「私は! 一歩踏み出して勇気を出しました! これじゃダメですか!?」

「だって……踏み出す勇気が――」

「私は! K君と手を取り合って歩きたいんです! 一緒に踏み出す相手がいても怖いんですか!?」

 

 その完璧な殺し文句に、Kの心は完全に崩された。赤面しながら叫んだLの顔を見れば、どんな先でも踏み越えていけると確信できた。


 ――せめてKに告白させた以上、男らしく返さなくては、廃ってしまう。

 

「こんな俺でよければ! 付き合ってください!」

「――はい!」

 


 一歩踏み出すのは、悪いことばかりじゃないかもしれない。


 その日、クラスが歓喜に揺れ、新たな恋のジンクスが生まれたという。

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