受け継がれる秘伝の味

「大将ォ! この料理、前と味が違くねえか?」

 最近、客からそんな言葉を貰う事が多くなった。決められた分量、決められた食材、そして今まで散々食ってきた熟練の親父による調整。そんな味を、かれこれ40年は守り続けているのに、心無い声を掛けられ、つい苛立ってしまう。

「文句がある――」

「そりゃうちも日々進化していますから、上手いもんを食ってもらいたいもんで」

「そりゃ確かに!」

 不満を言った客に、厳しい言葉を投げかけようと口を開いたとき、隣にいた親父が遮る様にフォローを入れる。

 

……その光景は、自分にとって不服でしかなかった。あれだけ毎日努力してる親父の姿を見ている。お通しの食材一つだって目利きを欠かさない料理人としての矜持は、背中からずっと見つめていた。そんな努力を馬鹿にすることなんて、自分は許しがたかった。

 だが、親父はそんな自分を目で制する。「何も言うな」そう言わんばかりの眼光に、何も言う事は出来ない。そしてまた、今日もその暴言を見逃してしまうのだった。

 

「何であんな客を許すんだよ……」

 営業時間も終わり、軒先の暖簾を外しながら、ふとそんな言葉が漏れた。あれから時間は幾分が経つというのに、心に渦巻く怒りは収まることを知らなかった。

 

「――そりゃ、客に上手いもん食わせるのが料理人の存在意義なんだからな」

 そういって、入口の扉をガラガラと開けながら親父が店の中から出てきた。

「――聞いてたのか」

 聞かせるつもりのなかったその言葉に、少しバツが悪くなり顔を背ける。

「あんだけ大きな声はそりゃ聞こえる」

「そうかよ……」

 短いながらも確かに交わされた会話の中、節々に伝わる興味の無さが表れる親父の答えに、無性に腹が立ってしまう。――この言葉は言うべきでは事は分かっている。だが、抑えきることは、冷静じゃない今の自分には難しかった。

「――なんで」

「うん、どうした?」

「なんで許しちまうんだよ! 悔しくねえのか⁉ あれだけ努力を重ねているのを、俺は知ってるのに! 何も知らない客は味が違うと馬鹿にして!」

 一息に喋ったせいか、肩で荒く息をする。

「――あのな、お前は何も分かっちゃいねえ」

 だが、親父は大きくため息をつきながら、諭すように優しく言った。

「何が間違ってんだよ⁉ 悔しくねえのかよ⁉」

「全く悔しくねえな」

「は――」

 予想だにしない一言に、思わず言葉を失った。

「さっきもいったが、料理人は上手い飯を出すことが本懐で、俺は全ての客に全力の皿を出すんだよ」

 普段、饒舌とは言えない親父が堰を切ったように話し出す。その勢いに押され口をはさむ暇はなかった。

「勿論、料理に殆ど手を付けられずに帰られた堪えたりもする、けどな、味を保ち続ける事だけに俺は誇りを持ってるわけじゃねえんだよ」

 まぁ、まだお前は高校生だから分からんか。ぼそりと最後に呟いたその言葉で、話は終わりだと言わんばかりに親父は店内へ引っ込んでいった。


――保ち続ける事に誇りを持っていない。

 その言葉が胸中で何度も反響した。


「んなわけねえだろ……」

 自分は親父の努力を包丁の握り方さえおぼつか無い時から見てきていた。例えどんなに良い食材を使おうとも、客に出せないと切り捨てて躊躇なく諦めた姿を何度も見てきた。なのに、誇りを持っていない筈が無いのだ。


「俺が、俺が継げばいいんだろ……」

 その日、自分の瞳に炎が宿った。全ては客にあんな口を二度と聞かせない位の伝統を保ち続けようと。


 次の日から、自分は今まで以上に料理修行に取り組んだ。調理師の専門学校に行く時間すら惜しみ、毎日まな板と包丁を得物に食材と向き合った。そして、親父が毎日向き合っている秘伝の味を、特に最後に行う熟練の調整を、自分の技にしようと、より一層の努力を重ねた。


 

 そして、月日は流れ、いつの間にか髭を蓄えるようになっていた。だが、秘伝の味を再現することはついぞできなかった。昔、親父が若かった時に気まぐれで書き残したレシピを何度も睨んだ。何度も幾度も調整を重ねた。――だが、どれだけ試行を重ねても、今の親父の味を再現することは出来なかった。


「――あ」

 だが、日々向き合っていた時、唐突にその結論に行きついた。

「親父……」

「――どうした?」

 自分は、意を決して親父に尋ねる事に決めた。これが機嫌を損ねるかもしれない。だが、これしか結論は思いつかなかった。

 

「……もしかして親父の舌が、味覚が、変わっていたんじゃないか?」

「知ってるよ」

 叱責すら覚悟していたのに、親父のその言葉は今更気付いたのかという呆れさえ混じっていた。

 

「――あのな、別に客は『不味い』って一言でも言ってたか?」

「――あ」

 そうだ、あの客は「味が変わった」と言っていた。そして親父が誤魔化したと思った答えに、客はそうだと膝を打っていた。

「――何も見えてないのは、俺だったって事か……」

「まぁ、それが見えたなら合格だ」

「……どういう、ことだよ。親父」

「お前がこの店を継ぐんだ、息子よ」


 その店は、親の代から続く昔ながらの味に誇りを持っていることで有名だ。二つ星も獲得してるらしいが、店主はとても頑固だ。

「へい、いらっしゃい」


 間違いなく味は確かで、食べる価値があることは間違いない。

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