気分屋すぎると私でも思う。

『まもなく、電車が参ります。黄色い線の内側にお下がりください』

 地下鉄のホームに、駅員の放送が反響する。来る予定の方向に、空気が引き込まれ微かだが汽笛の音が聞こえてきた。

 次の瞬間、突風を伴って電車がやってくる。目の前に現れては消える窓には、風によって無残に乱れた髪が、毎秒フィルムの様に変わっていき、新たな姿が映る度に、自然と笑みが零れた。

 

「ふふ……」

『電車が到着しました。譲り合ってご乗車下さい』

 放送によって掻き消えてしまったが、自分でも無意識のうちに声に出して笑えたのは、一体いつ振りだろうか。もうすっかり思い出せない中、私は大きな荷物をもって車内へ乗り込んだ。



『私達、結婚します』


 新郎新婦の連名によって投稿されたそれは、ツーショットが添えられた結婚報告だった。長年の片思いだと愚痴っていたような気がしたが、なんとか結ばれたようだった。私は、新婦とは関わったことは殆どないが、新郎の方は、部活の同期ということで、当時片思いしてた人へのアプローチの相談を受けたことがあった。確かその時に聞いた名前と、書かれた名前が同じなのだから、上手くいったのだろう。

 返事をしよう、キーボードを開き、お祝いの言葉を掛けようとする。

「結ばれるの遅いよ、おめでとう……っと」

 

 我ながら無難だと思う。可もなく不可もない、いつも通りの私の言葉になっているだろうか。――多分大丈夫だが、一応他の人のメッセージも見てみよう。投稿を一時保存し、他の人からのメッセージを見てみることにした。

 

『やっと腹括ったのか。おめでとう』

『学生時代から長かったね!』

『待って!? 君達も結婚しちゃうの!?』

 投稿主のプロフィールを見てみると、知らない名前が大半だったが、時々、かつての同じ学校に通っていた、クラスメートの名前を見かけた。何人かの顔が浮かび、懐かしい気持ちになる。中には苗字が変わり、その人も結婚したことを知り、あっと言う間に時間は過ぎて行ってしまうんだと、どこか感慨に耽ってしまっていた。


――特に問題はなさそうだね。

 ブラック企業に勤めている自分は、恐らく結婚式に行くことはできないだろう。不参加の連絡は別でして、ひとまず祝いのメッセージを送ろう。ご祝儀を多めに包まなければいけない事を考えると、貯金を崩さなきゃいけない。悲しい気持ちになるが、それは結婚した当人には決して言えないのがつらいところだ。

「送信しよ――」

 もうボタンを一つ押せば、それで終わる筈だった話を勝手に難しくしたのが、新たに投稿されたメッセ―ジだった。

 

――私も家族を築きたいな。

深い意味は絶対にないのだろう。雑談の中で、思いついたことをポロっと言ったのとキット同じだ。だが、私にはその一言が何故か、胸の内を抉るように深く突き刺さった。


 

 次の日から、私は朝に起きる事が出来なくなった。

 

 布団をめくる手が億劫で、体を起こすだけで視界が回る。よしんば、起き上がっても、一歩を踏み出すための足が棒のように動かない。休みの連絡を入れようと電話をしても、返ってきたのは上司からの罵詈雑言で、反射的に切ってしまう。こんな日は今日だけだと、言い聞かせ再び布団の中に潜り込み、いつの間にか、朝日が顔に射す熱さで目が覚める。それが、三週間程度続いたと後から聞いた。


「心因性のストレスですね。診断書と精神科への紹介状を書きましょうか」

「……はい」

 会社も流石に放置は出来なくなったのだろう。緊急連絡先に書かれていた妹の番号に電話をしたらしく私の様子を、見に家に来たくれたらしい。そのまま病院に運ばれ、先生から長々と説明を受けたが、まともに聞くことはできていなかった。ただ流れに身を身を任せ、うんうんと首を縦に振っただけだ。

 

「では、すぐにでも病院へ入院して頂くので、一度家に帰って荷物をまとめてきてください」


「あれ……」

 最後に説明を聞いていたのは、病院の一室の筈だった。しかし私は、見知らぬ店の中にいた。周りを見渡せば、人は溢れかえる様にいるから、最悪人に聞くことが出来ればなんとかなるだろう。まずは店を出て、連絡を取らなければいけない。鞄の中にしまってるある端末を取り出そうとした。

「――あっ」

 鞄の底に眠っていたそれを引っ張りだしたものの、力も碌にこめられなかった手のひらから、端末はあっという間に床へ転がり落ちた。自分のドジを呪いつつ、スマホを拾うためにしゃがみ込む。だが、スマホよりも、私は『人生ゲーム』の文字に引っ張られていた。

 

――これなら、私も家族を誰にも迷惑を掛けずにつくれる。


 結局、そのあと気分はスッキリと晴れてしまった。自分でも原因は全く分かっていない。


 だが、確かに言える事は一つだけある。

 

『結婚だ! ルーレットを回した数×1万円のご祝儀を渡そう!』

自分のコマのプラスチックの車に、結婚した事を示すを二本目のピンを刺す。


 これだけで、私は満足できるのだと。


 友人の結婚祝いのメッセージよりも、大事だということを。

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