悪を許せない正義ちゃん

 雨音とは、切っても切り離せない季節になった今日この頃。小康状態にあった空模様は、再び陰りを見せ始めていた。

 次第に空から雨が押し寄せ、皆が軒下を求め、駆け足になった。


「セーフ……」

 そんな中、なんとかシャッターが閉まって久しい商店の屋根の下に、彼女は滑り込むことが出来た。雨に濡れた服は肌に引っ付いて蒸し暑く、気付けばパタパタと襟を動かし、空気を循環させていた。しかし、雨はどんどんと強まっていく一方だ。生憎手持ちに傘はなく、このままでは、向かう事が出来ない。大事な話があると言っていたのだから、きっと電話をしたら車を寄越してくれるだろう、そう考え、鞄にある携帯を取り出そうとした時だった。


「ぷはぁ……」

 彼女と同じように、駆け足で軒下に駆け込んできた隣に立っている男性が、煙草を吹かしていた。その一服を男は待ちわびていたのだろう、その顔には恍惚とした表情が浮かんでいた。しかし、その副流煙は、風下の位置に立つ、彼女の方に向かっていった。


 刺激臭が鼻腔をくすぐり、思わず彼女は眉を顰め、携帯を探す手が止まる。まさかこの時代にこんな前時代的な人物がいるとは思わなかった。ただ、彼女も彼の心を慮った。きっと何か大変な事が起こったのだろう。ならば、一本で済ませば何もしないでおこう。そのまま彼女は耐え続けた。その間、男は何度も彼女の顔色を伺った。本当にやっていいかと、無言で確認を求めるように。だが、彼女は何の返事も、行動も示さなかった。好きにしろ、そう解釈したのだろう、一息に煙草を吸いきり、そのまま吸殻を放り投げ足裏で潰し、さらに強まった雨模様も含めて一瞬で鎮火した。――そして、男は調子付いたのか、懐のケースから、二本目の煙草とライターを取り出した。

 

「私、煙草の匂い苦手なんで、できれば辞めてもらえせんか?」

 ここが、彼女の限界だった。すでに二つの悪を己の前で見逃した。これ以上指を咥えてみているだけなど、彼女自身が許すことが出来なかった。

 

「――はぁ? 文句があるなら、お前がどっか行けば解決する問題だろ?」

 しかし、返ってきたのは侮りからくる拒絶だった。もはや言葉による解決は望めそうになかった。

「……そうですか。なら――」

 彼女は手にした通学鞄から、鈍く黒光りするものを男の額に付きつけた。

「――は?」

「自分の罪を悔い改めてくださいね」

 何かが爆発したような音が響き、男は濡れる事を厭わず地に伏した。何故か水溜りは赤く染まっていくが、彼女が気にすることではない。


「やはり、悪は即断即罰が一番かなぁ……」

 指先でトリガーをひっかけながら、くるくると回しながら呟いた。




「げぇ……」

 気づけば雨足は弱まり、走ればあまり濡れずに辿り着くことが出来そうだ。ストレッチをした後に走ろうと、外でできる柔軟運動を始めた時、それを遮る様に携帯に呼び出しがかかった。発信者の名前は、今彼女が最も話したくない人物だった。しかし出ないわけにはいかない。意を決して通話を始めた。

「もしもし――」

『おい! 今日は大事な話があるって言ったよな⁉ それをお前どこで油売ってんだよ今何時だ⁉』

 耳をつんざく様な大声に、反射的に腕を伸ばして距離を取る。しかし、電話口から漏れる怒気は、それでもヒシヒシと伝わってきた。

「いいか⁉ あと一〇分以内に到着しなかったら、そん時は分かってんな⁉ おら、返事は⁉」

「は、はいぃ‼」

 その言葉と勢いに、背中に飛びキックを食らった気分だ。私は碌に準備も整えることもできず走り出した。


 

「――しかし、正義ちゃんも、もうちょっと悪に対して優しくなればいいのに」

 確かに、時として暴力を伴ってでも履行する絶対的な正義というのも必要な場面があるだろう。例えば誰かの命を守るとき、そこで乱される輪など論外だ。けれど、私達がやってるのは所詮おままごとの延長で、暇つぶしにすらなっていない。国から認可を貰って法人化したというのなら話は変わるが、今はただのボランティアに他ならない――


「――うわっ!」

 そうして批判を脳内で繰り広げていたら、曲がり角から、自転車が一台飛び込んできた。彼女は驚き声をあげ、反射的に一歩後ろに下がった。幸いにもぶつかることもぶつけられることもなかったが、自転車は何事も無かったかのように、ペダルを漕いでいた。

「おい! 危ないじゃんか!」

「………………」

 考え事をしていて前を見ていなかった彼女にも非はある。しかし怒鳴られ、虫の居所の悪い彼女は、自転車を漕いでる奴の謝罪の一言が無ければ気が済まなかった。しかし、彼女はその人物を目で追いかけ、思わず絶句した。

「自転車漕ぎながらヘッドホン付けんな! 片手で運転する――そもそも煙草を吸うな!」

 一瞬の逡巡もなく、彼女は背後から脳天を撃ち抜いた。流石にあれを放置すれば誰かが怪我するのが目に見えている。


 しかし、見方を変えてみれば、今日既に二人も悪を断罪した。これは遅刻の免罪符としては申し分がないものではないか、そう思考を切り替え、うきうきな気分で事務所へ向かった。



「よぉ、重役出勤だな。いつから手前は、そんなに偉くなったんだ」

「……えっと、そのぉ……」

 事務所に辿り着いたとき、真っ先に飛んできたのは頭にめり込む拳骨だった。衝撃で目の前の景色に星がチラつく。――そして、普段はかかっていない横断幕は、どうか痛みがもたらした幻覚だと言ってほしかった。


「それではこれより、我が事務所がに、諸君の日ごろの労いを込め、ささやかではあるがパーティーに招待させて頂いた。」

 すでに事務所にいた同僚や先輩達は、その宣言にわっと沸き立った。そして同時に、付き合いの長さから次の展開が想像できてしまった。


「その門出として、この『遅刻』という滞在を犯した、不届きものを処罰しようではないか」

 

 あぁ、終わった。皆に一斉に銃口を向けられながら、彼女はそう思った。

 

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