包丁持った女がいた
「ね、ねぇ、死んでくれない……?」
そう言って、Dは手に持っていた包丁をMに向かって突き出す。
「――っぅ!」
包丁が脇腹に刺さり、服が赤く染みていき、そのままMは地面へと倒れこんだ。
「ふ、ふふ……やった――」
「カットカット! おいD! なに今のヒドイ演技は!?」
復讐を成し遂げ快哉を叫ぼうとした瞬間、遠くからS監督の厳しい声が飛ぶ。
そのままセットの中につかつかと歩み寄ってくる。
「一体何回リテイクすれば気が済むんだよ!?」
手にしたメガホンで彼女の頭を勢いよく叩きながらSはDへと詰め寄る。バチンと響いたその音は、現場全体に不穏な空気が淀み出す。
「ったくなんで親父はこんな使えねぇ役者を寄越したんだよ!?」
「……ご、ごめんなさい……」
「いいからお前帰れ! 上手くなるまで撮影しねぇからな!」
怒りは収まらず、唾を飛ばしながら怒鳴り散らす。その情けなく熱弁を振るうSを、刺されたMは呆れながら見ていた。
『映竜祭』
そんな一方、Dは最近映画女優としてにわかに注目を集めている。特にデビュー作の幽霊から逃げ惑う子供を演じて以降、ハマった役は、歴戦の監督も持て余すような熱演を見せる。しかし、D自身にムラッ気があるのか、合わない役にはとことん合わず、素人同然のような演技を繰り出す。博打の様な存在で、明らかに七光りを鼻にかけているSとは相性が悪い。恐らく題材がホラーという事で、有名な人物を揃えたのだろうが、明らかにミスキャスティングだ。
そしてMはこの状況に危機感を覚えていた。もしこのまま完成できなかったら……
「大丈夫かい、Dちゃん?」
Mは指を咥えて黙ってみていることは出来なかった。
「Sさん……すいません、リテイクを沢山して……」
明らかに落ち込んでいるが、Dも役者だ。気丈に振舞っているのが伝わってくる。そもそも、傍から見てもDとは役が合っていない。
「まぁ、感情移入できていないのも見て伝わってくる。だからさ、ちょっと過激なアドバイスだが聞くか?」
「――どういうことでしょうか」
「方法はこうだ――」
「ったく……親父もあんな使えない役者をキャスティングすんじゃねえよ」
深夜、撮影場に一人残るSは、文句を言いながら仮眠室へと歩いていた。
決して夜鍋して、脚本を書き直していたというわけではなく、Mに誘われした女遊びが長引き、家に帰る終電も逃したせいで、仕方なく寝泊まりする場所を求めにここにきたのだから救いようがない。その苛立ちを抑えるべく火気厳禁の現場で、煙草に火をつけようと、ポケットの内側を探っていた時だった。
扉の向こうから、何かが落ちる音が聞こえた。
「――ん?」
仮眠室の扉の向こう側に、一つ明かりが灯っているのが見えた。泥棒でもいたら面倒なことになる。そう考えSは迷うことなく扉を開けた。
「おい! 誰が――」
「ねぇ……し、死んでくれない……?」
耳元に囁かれると同時に、脇腹に何かがぶつかり、Sは吹っ飛ばされるように床へ倒れた。何が起きたのか分からないが、打ち付けた背中以上に何かがぶつかってきた脇腹がより痛み、手を当てる。
「――は?」
そこには、血がべったりと付いていた。
「ふ、ふふ……やった! やったよ!」
その時初めて、目の前の人物が、自分が書いた脚本と同じ台詞だという事に気が付く。そして、その人物がDであり、手には刃先が赤く染まった包丁を持っていた。
「お、おい! 待ってくれ!」
「ふふふ……待ちませんよ……」
Dの顔は歪み、自分の求めていた表情そのものだった。それゆえ、この行動が本気でSを殺そうと決意していることが手を取る様に分かってしまう。
つまり、次の行動は――
「最優秀賞を受賞したのは…… S監督の『ストーカー』です! おめでとうございます!」
司会のその言葉に、観客一斉に立ち上がり、スタンディングオベーションで拍手を送る。素晴らしい、誰しもが口を揃えてS監督の手腕を褒めたたえた。そして、その拍手に応えるように観客席の中から、杖を突きながら壇上へと上がった。
「Sさん! 一言お願いします」
「……特に最後のシーン、自分にとっては一生忘れられないものになりそうです」
そう言ってSは脇腹に手を当てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます