(005)   Area 33 To love and be loved 父さんの手紙

 --父さんの手紙--#カイ


 北田さんが準備していた特別開発地区外ある隠れ家は、海辺の開放的な一軒家だった。


 食料の備蓄も十分にあり、それぞれの部屋も確保できて、半年ほどは不自由なく過ごせるようだ。春になれば野菜を育てることのできる畑もある。農業さえうまくいけば半永久的に暮らせそうな場所だ。


 激動の日を超えて、疲れが出てきた僕らは、皆、隠れ家に着くなりソファやベッドで何時間も眠り続けた。


 日が暮れる頃、目が覚めると、リクがリビングのソファに座って、電話で誰かと話していた。リクが昨日国立農場にいたおばあさんを助け出した後、凪さんにおばあさんのことをお願いしてきたことは、今朝リクから聞いていた。


「リク、よく休めた?」

「うん、電話がかかってくるまでは、ぐっすり寝てたわ。凪さんがおばあちゃんの様子を連絡してくれたの。今は、トキさんが一緒いてくれて、記憶も元通りになって落ち着いているみたい」

「そっか、よかった」

「様子を見計らって、ここが落ち着いたら迎えにいくつもりだったけど、凪さんもこっちに来たいみたいだから、多分その時におばあちゃんも一緒に来ることになると思う」


   ◇     ◇     ◇


 その夜は、簡単に作ったトマトソースのパスタをみんなで食べて、これからのことについて話した。夕食後、みんながそれぞれの部屋に戻った後も、僕はリビングのソファーに座って物思いに耽っていた。


 食事の後にミエがオヤジさんのタブレット持ってきてくれたけど、僕はそのロックを解除することもせず、目の前にあるコーヒーテーブルに画面を伏せて置いたままにしていた。


 ほぼ満月の月が窓の外で輝いている。


 正直なところ、父さんについては、すべての記憶が僕の想像の産物のような気がして、現実味がない。僕はオヤジさんと過ごす時間が大好きだったけれど、タブレットの中身を見ても、変わらず大切な思い出のままでいられるのだろうか? それとも、オヤジさんを憎んだり、嫌いになってしまうのだろうか?


 僕はそっと、コーヒーテーブルの上のタブレットを手に取った。知らない方が幸せなこともたくさんあるとは思うけれど、この中にはきっと、僕が知るべき何かが入っている。


 電源を入れると、画面に幼い頃のミエと僕が焦げ茶色の犬と遊んでいる写真が映し出された。

 夜になると静かになった食堂のダイニングテーブルで、オヤジさんがタブレットを使って、真剣に何かしていたのを何度も見たことを、僕はふと思い出した。


 怖くても、この中身を見なければ、前に進むことはできない。


 画面をタッチし、パスワードの入力画面に切り替えてmiekaiと入力すると、ポンという電子音がしてロックが解除された。


 タブレットの中にはいくつものフォルダやファイルがあり、その中のどれを開くべきか悩んでいると、画面の右端に『海_カイ』と名前のついたフォルダがあった。

 そのフォルダの中には複数の画像ファイルと『海_カイへ』と名前のついた文書ファイルが保存されていた。


 僕は、深呼吸して、文書ファイルをタップした。僕の指はひどく震えていた。


 ———————————————————————————————

 海、カイへ


 私は今、永薪食堂の食堂のテーブルに座り、この手紙を書いている。

 お客さんが帰って、店の片付けも終わり、海はもう二階の部屋で休んでいる。


 海が、カイが、この手紙を読んでいるということは、少なくとも、カイの記憶が戻ったか、私が死んだかのどちらかなのだろう。私は病気で、治療法もなく、もう長くはない。


 永薪食堂は、私が死んだ場合、すべて跡形もなく片付けてもらえるように、信頼できる人に頼んである。私が突然死んだ場合には、このタブレットもその人が渡してくれているはずだから、もう何も心配いらないな。


 元々は人の心を助けられると思って始めたMCS社だったが、結局私はMCUを使って多くの人を傷つけてしまった。もしも私が死んだ後に、私の素性がバレて、私があの場所で死んでいたことが世間に知れたら、ここに住む人たちに迷惑をかけてしまうだろう。だから、私がここにいたことは忘れ去られた方がいい。


 私は気持ちを伝えることが苦手だから、うまく書けるかわからないが、もしもの時のために、ここにできる限り書き残しておこうと思う。


 話を進める前に、伝えなければならないことがある。

 海、私は君の父親だ。ずっと黙っていてすまなかった。本当に私は自分勝手だ。

 そして、カイ、お前の母さんは、MCUの薬の開発で、試作段階の薬を服用して、精神のバランスが崩れ、体を壊し、そのまま回復することがないまま、去年の十一月に息を引き取った。


 この前、海が、自分はMCPで、あと半年ほどすると施設に戻されて回復者になると話した日から、刑期が終わる日が二月八日だとセンバという人から聞いたと言った時から、私はずっと考えていたんだ。


 父さんの思い違いかもしれないが、MCUにかけられた後、カイがセンバという女性から聞いた説明や、施設内で見たの光景は、カイが母さんの、千波お腹の中にいた時に聞いたり感じたものではないかと思っている。

 千波は仕事に関することを、家ではほとんど話せなかったが、偽名を使って仕事をしていると言っていた。その偽名は、千波ちなみを読み替えたセンバだったのではないかと思う。


 カイは記憶が消えているにもかかわらず、センバという人の出てくる夢を見て、千波の誕生日を、刑期が終わる日としているのには、何か理由があるのではないかと考えていた。

 だが、どれだけ考えても、結局のところ、私にわかることは、カイは本当に母さんが大好きだったということくらいだ。カイは、自分が壊れるほどに母親をに大切に思っていたんだ。


 カイは死んだ千波を目の前に、ごめんなさいと、何度も何度も、謝り続けていた。

 だけど、千波はカイのせいで死んだんじゃない。彼女自身が彼女の開発している薬の被験者になっていたから、千波の体はもうボロボロで限界だった。


 それでも、カイが、自分の精神の状態が不安定な時に言った言葉のせいで母さんが苦しんでいたと思っているのなら、そんなことを言ってしまったのは、私がカイを追い詰めていたことが原因だ。私が自分の子どもであるミエとカイを苦しめてしまっていた。


 そんな二人の不安定な様子を見た千波が、母親としての自信を失い、自暴自棄になってしまったり、精神的に追い詰められた状態になってしまうことがあったのは事実だが、すべて私から始まったことだ。


 だから、記憶が戻る日が来たら、これ以上苦しまずに、自分を責めずに、生きていってほしい。


 MCS社のMCUが突如動かなくなった時に、私は装置内で火災を起こしてMCUを完全に破壊した後に、もうMCUは使わないと誓った。なのに、千波が死んだ時、カイを失うのが怖くて、どうしたら良いかわからず、しばらくの間、千波の名前でカイを凍結体にしてしまった上、結局、カイを解凍して、第四脳科学研究所のMCUを使い、記憶を消してしまった。


 心底身勝手な行動だったと思っている。だが、ミエが私と会ってもくれない状況で、私に残されたのはカイだけだった。私はこれ以上家族を失いたくなかった。


 本当に、私はずっと身勝手な人間だった。言い訳にしか聞こえないだろうが、私がどういう人間だったか、少しだけ知って欲しい。


 子供の頃、私はいつも一人だった。私の両親は、親とは呼べないほど子どもに興味がなく、母親からは捨てられ、父親は私から、時間やお金を奪い取ることしかしなかった。私が千波に初めて会った時、私は抜け殻同然だった。自分しか守るものがなかった。自分のためなら人を傷つけても気にならなかった。


 そんな私を千波はいつも気にかけてくれた。誰より大切にしてくれた。だからこそ私は、自分の子どもにはできる限りのことがしたかったし、自分で生きていける強さを与えたかった。


 なのに、いざミエやカイを目の前にすると、優しさが何かを考える余裕もなく、厳しく接することしかできなかった。


 私に意見するカイが憎いとさえ感じた。何もかも上手くできなかった。想像していた理想の親にはなれなかった。話を聞いたり、褒めたりすることができず、自分の価値観を押し付けていた。


 MCUが設置されてからは、ミエとカイが手に負えなくなると、そのたびにMCUまで使って、理想の子どもを作り出そうとしていた。本当に最低な父親だった。


 本当に、すまないと思っている。謝って許されることではないとわかっている。

 だが、本当に、心から申し訳なかったと思っている。


 仁は永薪食堂にカイを連れてくる前に、MCUで記憶を制御中に停電が起こったこと、停電後、急いでカイを連れて逃げなければならなかったので、記憶制御が完了したかわからないことを私に連絡してきていた。


 永薪食堂に現れたカイは明らかに記憶を失った状態だった。記憶喪失なのか、記憶制御された状態なのか、判断がつかなかった。どのような記憶が残っているのか、カイの様子を窺いつつ毎日を過ごしていくことしか私にはできなかった。


 カイが思い出せないことや、思い出してしまったことで苦しんでいないかが心配だ。

 夢に見たことを現実に起こったことと勘違いしていることもあるようだね。

 でも、カイは悪くない。


 私がこんなことを言っていいのかわからないけれど、人は誰も傷つけずに生きていくことなんてできない。それでも、人を故意に傷つけることと、自分自身も悩んだり苦しみながら結果として誰かを傷つけてしまうことは、まったく違うと父さんは思う。


 食堂での海との日々は何ものにも代えがたい、素晴らしい幸せな毎日だった。

 私は初めて父親になれた気がした。

 かけがえのない時間を与えてくれて、本当に、ありがとう。


 お前が喜ぶかはわからないが、設計図を残しておいた。もし、あの場所が今でも好きなら、使ってくれ。


  ———————————————————————————————


 フォルダの中のファイルを開けると、そこに入っていたのは、永薪食堂で撮った写真と永薪食堂の設計図だった。



 永薪食堂の設計図を見ていると、僕が使っていた部屋に防音壁が使われていたことに気がついた。僕が音に敏感なことを知っていたのだろう。僕が過ごしやすい部屋を準備していてくれたことがわかって、僕は嬉しく、そして、泣きそうになった。


 そういえば、初めて永薪食堂に行った日、名前を聞いた僕にオヤジさんは『もういないんだね』と言った。あの時は、オヤジさんがどんな気持ちでいたのか、想像すらできなかったけれど、今ならわかる。僕の記憶が消えていることがわかって、僕の中にカイがいないことに気がついて、つぶやいた言葉だったんだ。

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