(030) Area 26 People who change the world 5PM
--5PM--#リク
外に出ようとした瞬間、カイは焦った様子で柏原さんを呼び止めた。
「あの、リュックを忘れたので、取りに行ってもいいですか」
「ああ、急いでくれ」
「わかりました」
◇ ◇ ◇
カイは駆け足でリュックを取りに行って数分が経った。
「遅いな、何かあったのかも」
柏原さんが少し不安そうに言った。
「ちょっと見てくるよ」
船引さんが腕時計を見て言った。
「私も」
私は船引さんに続いて、廊下を走り出した。
さっきまでいた部屋の前に着くとドアが開いていて、頬に風が吹き付けてきた。
「君は少し下がっていなさい」
船引さんに言われ、私は渋々と数歩だけ
「カイ? どうしたんだ? 大丈夫か?」
返事はなく、部屋の中からは物音はしない。船引さんが慎重に部屋に入る。
「くそ!」
船引さんが大声をあげたので、私は待っていられず部屋の中に飛び込んだ。
「どうしたんですか?」
「え?」
さっきまで閉まっていた窓が全開になっていて、部屋の中には誰もいなかった。
部屋の中は整然としていて、争った様子はなく、カイが拐われたのか、自ら逃げたのかわからない。私たちの声が聞こえたのか、柏原さんが走ってくる。
「カイがいないんです」
「高坂さん、すまない。カイくんを探したい気持ちはわかるが、私はトキさんのところで薬を受け取らなければならない」
私は柏原さんが焦っているのを初めて見た。船引さんが頷くと、私を促すように言った。
「私ができる限り探しておくから、二人はトキさんの家に向かってくれ」
「私も残ります」
「いいや、向こうは人が多い方がいいから……高坂さんにも行ってもらえると助かる。計画が遅れると何もかも無駄になる。頼む。今日しか無理なんだ。これ以上引き伸ばすと、この計画が誰に情報が漏れるかわからない」
「わかりました。船引さん、カイのことお願いします」
「わかった。二人とも気をつけて行ってくれ」
船引さんを部屋に残し、私は柏原さんと駐車場に向かった。
◇ ◇ ◇
「この車だ」
柏原さんが、近づくとドアのロックが解除された。レインは私のしっかりとついて来る。
私とレインが後部座席に乗り込むと同時に、柏原さんは勢いよく車を発進させた。
「マニュアルですまないが、大丈夫かい?」
「自動運転は気持ちが悪いわ」
「じゃあ、思い切り行くからね」
その言葉の通り、制限速度など存在しないかの如く、車はスピードを上げていった。
車内の時計がちょうど午後五時になり、ラジオから時報が流れた。
ラジオの内容から、DA1のラジオ局であることがわかる。この車は特殊な電波を拾っているのだろうか? 仕組みはわからないが、DA3にいたら通常は聴くことができないはずのDA1のラジオが聴けるらしい。
◇ ◇ ◇
数分間、何も言わず外の景色を眺めていた私に、唐突に柏原さんが問いかけてきた。
「君は何か隠しているね」
私は少し苦笑いをした。
「あなたも何か隠していますね」
私は助手席の後ろに座っているので、柏原さんの表情はハッキリとは見えない。
「お互い様か」
お互いに腹の内を探っているが、敢えて強くは踏み込まない。
「私は敵ではないわ」
「信じるよ」
「ありがとう」
車を発進させて数分後、車のラジオから臨時ニュースが流れてきた。
『臨時ニュースをお伝えします。
現在、
ドライバーの皆さんは車を自動運転に設定し、落ち着いて行動してください。
なお、現在のところ、この信号機の停止による事故の報告はありません。
繰り返します。臨時ニュースです……』
「もう始まったの?」
「ああ。これでも、遅いくらいだよ」
◇ ◇ ◇
周りの景色が工場地帯から古い住宅街に変わり、DA3の開発初期にできたエリアにさしかかってきた。このエリアには数回、配達で来たことがある。ここにはDA3内では珍しく趣のある家が多い。柏原さんは車を舗装されていない砂利の敷かれた駐車場に止めた。
「トキさんの家はこのすぐ近くだ。状況を確認するから少し待って」
柏原さんはチャットで誰かと連絡を取っているようだ。
「舵たちは既に、東西南北の門の周辺にそれぞれ待機していると連絡が来ている。薬が届いたようだ。トキさんの家に行こう」
車の外に出ると、駐車場の裏にある細い道をしばらく進むと、植物の生い茂る庭が右手に現れた。
「ここだ」
柏原さんに続いて、庭に入る。レインが嬉しそうに庭を駆け回る。
「森みたいな庭ですね」
「私には、森よりも丘が見えるけどね?」
目の前に突然現れた女性に、私は驚かなかった。
「ミエ、無事でよかった」
「リクも」
私たちのやりとりを見た柏原さんが、目を細めると、なんとも言えない表情で言った。
「思ったより親しそうだね」
「昨日知り合ったばかりよ」
ミエが味気なく言い放つ。柏原さんは、挨拶も早々に本題に入った。
「ミエ、薬は届いている?」
「ここと、計画通りの場所に全部無事に配置済み。あとはばら撒くだけよ」
「ばら撒くって? どこに?」
私にはまだ計画の全貌が見えてこない。
「今晩中にすべての開発地区の施設と住宅に配達するわ」
私はどれだけの薬が用意されているんだろうと不思議に思った。
「一晩で? 一体、どうやって?」
私の質問に答えるようにリクが視線を向けた先には、二台のバイクが止まっていた。一台はオレンジ色のもので、もう一台は私のバイクだった。
「ごめんね、博士の店の近くで見つけて持ってきちゃった」
自分のバイクとのまさかの再会に、私は苦笑いをしてリクに向き直った。
「ミエ、あなたって結構怖いわね。でも、すべての施設や住宅に配達するのはちょーっとバイクの数が少ないんじゃないかな?
……真面目な話、他にも協力者はいるの?」
リクは悪戯好きな小悪魔のような笑顔で端末を操作している。
「簡単よ。ここにたくさんいるわ」
リクが端末の画面をタップしたのと同時に、私のポケットの中でバイブが鳴った。画面を確認するとプッシュ通知が来ている。
『DR・App*速達依頼』
「もしかして?」
「すべてのライダーに送ったわ。どのライダーもすぐに配達に向かえるように、各エリアに十五箇所ずづ、荷物の受け取り場所を設置した。配達依頼、リクも受けてくれる?」
「もちろん!」
私は即答したものの、想像していたよりずっと大規模な計画に巻き込まれたことに、今更だけど、少しだけ尻込みしそうになった。
「じゃあ、薬を取りに行きましょう」
ミエに続いて、庭を進みと民家の裏口が見えてきた。その裏口から家に入ると、キッチンがあり、数人の人がノートパソコンで作業中だった。
他にも遠隔で作業している人がいるらしく、さまざまな画面にチャットでやりとりしている様子があり、スピーカーからも声が聞こえて来る。
——
「政府関連施設のネットワークダウンを確認。一部の例外施設と国営農場以外の施設は、停電になっています」
——
「農場のハッキング完了。監視塔へのすべての出入り口をロックしました」
——
「マイクロチップの無効化中。一部通信障害が発生し、想定より時間がかかっています」
——
「予定通り、十五分後に農場の東西南北の門を解錠します」
——
「現在の農場内の監視映像の読み込みと解析を完了。農場の門の解錠とともに、マッチングが完了しているMCPの情報を、紐づいた家族や知人に送ります」
——
「じゃあ、任せたわよ」
縦横三十センチほどの紙袋をミエが柏原さんに渡す。
「京、舵の待機場所にはあなたが持っていってね。急がないといけないから、私のバイクを使って」
「私が行っていいのか?」
柏原さんは、申し訳なさそうな表情をしている。
「行きたいんでしょ」
ミエはバイクの鍵を柏原さんに押し付けるように強引に渡した。
「ありがとう」
柏原さんは渡された紙袋を抱えて、裏庭に消えていった。
ミエは少し悲しそうな表情で柏原さんを見送っている。
「どうして、舵には薬の存在を今まで隠して、柏原さんが直接渡すようにしたの?」
私にはここにいる人のそれぞれの事情など、計り知ることはできない。
「明日になればわかるよ」
ミエの声には優しさが滲んでいる。みんな、明日には、どんな表情をしているんだろう。
柏原さんが去ってすぐに、私はミエに問いかけた。なんの根拠もないが、ただ漠然と、ミエは気休めは言わない気がした。
「ミエ、カイは大丈夫かな?」
私は、自分が渡したメモのせいで、カイが工場のあの部屋から消えた。それは間違いない。でも、記憶の不安定なカイから目を離すべきじゃなかった。できれば一緒に行くべきだったと思ってしまう。
「カイなら大丈夫。あの子はそんなに弱くない」
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