(046) Area 20 Involved 交渉
--交渉--#カイ
『君の名は
門崎カイ……。僕は
鈍器で殴りつけられたように頭が痛み、全身で門崎カイと言う存在、そして、門崎総司と言う人物を拒否しているのがわかった。今まで、これほどの痛みを感じたことがあっただろうか?
僕の体が、魂が、まるで存在自体を否定するかのように叫んでいる。
考えがまとまらない。僕は一体誰なんだ?
徐々に視界がグラグラと揺れだしてきて、椅子に座っているのも難しくなってきた。
僕の名は門崎カイ。僕の父親は、MCS社の元CEOである門崎総司……。
違う、いやだ、いやだ! そんなことあるわけない!
でも、本当にあるわけないのか?
わからない。わからない……。
いや、本当はわかってるんじゃないのか?
僕が椅子ごとグラリと揺れて倒れそうになった時、柏原さんの落ち着いた声が聞こえてきた。ただ、僕にはその内容が、まるで死刑宣告のように思えた。
「君は間違いなく門崎カイだ。何者かが君になりすましている可能性を考慮してDNA検査もした」
その言葉を聞いたとたん、張り詰めた糸がプツンと切れたように全身から力が抜けていった。
柏原さんがとっさに駆け寄り、僕が床に倒れこむ直前に支えてくれた。そして、力が入らない体を椅子の背もたれに、もたれかけさせてくれた。さらわれてきたときに飲まされた薬の効き目が完全には切れていないのか、頭がおかしくなったのか、どんどん気が遠くなっていく。
柏原さんが嘘をつく理由がみあたらない。だけど、僕は、何を、誰を信じたらいいんだ?
僕はとてつもなく怖い夢を見ているんじゃないかと思った。
「DNA検査……。いつのまに?」
かろうじて意識を保ちながら、僕は柏原さんに尋ねた。
「君が意識を失っている間に検査した。
私たちはここ半年ほど、DA2内に設置されたカメラにハッキングをかけ、顔検索機能を使って君を検索し続けていた。
似た顔が誤検知されることすらないまま時間だけが過ぎていたが、数日前、突然積木橋周辺で君が検知された。
その後、タクシーの中に乗っていることを確認し、君が高坂リクという女性の家に向かったことを確認した。突然のことだったから、私たちは何かの罠かと思い、君をここに連れてきてすぐにDNA検査を実施したんだ。
最新の機器があるから、既に結果が出ている。三年前のデータと照合したんだ。間違いなく、君は門崎カイなんだよ」
柏原さんの断固とした態度は崩れない。
「そんなわけない。僕は犯罪を犯した後にMCPになった人間だ。DA3で逃げ隠れしながら、なんとか生き抜いてきた。そんな人間が、MCS社の元CEOの息子であるはずがない。門崎カイなんて知らない。他人の空似だ……。
でも、体内のマイクロチップは鷺沼カイになっている。僕は、僕は、何をして、どうして記憶がないんだ。何で? どうして……」
目に映る世界が歪んでいく。もう声が出ない。耳鳴りがひどくて考えることすらできない。息ができない。溺れそうだ。
椅子に座っているのに足元が揺らぐ、倒れないように両手で椅子に掴まる。
一体どれだけの間、椅子に掴まってじっとしていただだろう。数分。いや、数十分、それとももっと長い間だろうか。永遠に思える様な時間だった。それでも狂った感覚の暴走は次第に静まり、世界の歪みが消えていく。
目線を上げると、柏原さんが視界に入ってきた。僕の斜め前に置かれた椅子に柏原さんは座っている。その深刻な表情から、彼が話したことが嘘じゃないことがわかる。
この人を信用していいのだろうか。いや、柏原さんだけじゃない。僕には信用できる人が一人だっているんだろうか。
オヤジさんのところに移送された日の前日、つまり記憶を制御された後に施設で目覚めた日、その日より前の記憶は僕にはない。信じられないのは他人だけじゃない。自分自身だって素性がわからない十分に怪しい存在なのだ。
でも、MCPになって目覚めたあの施設での記憶が、実際の記憶じゃないのなら、僕はどこからの自分を信じたらいいんだ?
オヤジさんに出会った日から?
それとも穴見さんに助けられたあの日から?
いや、もしかしたら僕はずっと一人でDA3を
わからない。わからないよ……。
オヤジさんの食堂で働いていた頃は、僕は記憶制御が解かれる日までオヤジさんのところで働いて、昔の自分に戻ると信じていた。でも今では、何を信じていいかわからない。
それどころか、今の自分が覚えていない記憶を取り戻したとしても、それが本当に以前の自分だと信じることや証明することは、誰にもできないんじゃないだろうか。
そう思った瞬間、僕は何もかも投げ捨てたい衝動に駆られた。自暴自棄になりそうだった。
柏原さんは僕を『門崎カイ』だと言う。そして、神作博士は『鷺沼カイ』、リクとオヤジさん、それにばあばは『カイ』だと呼んだ。でもやっぱり、僕自身にはこの『カイ』という人物が自分だという確証はない……。カイという人間は本当に一人の人間なんだろうか?
僕は
だから、たとえ僕が本当にMCPでないとしても、MCUの全容が理解できれば、自分を、少なくとも忘れている何かを取り戻すことができるかもしれない。僕は今まで以上にMCUについて知りたい、知らなければならないと強く思った。
今はもう、目の前にあるものだけしか信じられない……。
今の僕には、過去の記憶はすべてただの夢と同じに思えた。
僕は疲れ果てていた。
できることなら消えてしまいたかった。
でも、目を開けると、僕の目の前には柏原さんが座っている。
「柏原さん、あなたたちには信じられないかもしれませんが、先ほども言った通り、僕には今年の四月より前の記憶がありません。僕は四月から今までずっと、自分がMCPだと信じて生活してきました。
僕が門崎カイだとして、あなたたちが僕を連れ去ってここに監禁している理由は何ですか?
父親である、MCS社の元CEO門崎総司に復讐するためですか?
それとも他に成し遂げたいことがあるんですか?」
柏原さんは腕を組んだまま何も言い返さない。
「一体、僕を人質にして、何を手に入れようとしているんですか?」
僕の声がガランとした倉庫内に響き渡った。その直後にドアが開き、舵が倉庫内に入ってきた。そして、言い飽きたセリフのように淡々と言った。それは、まるで子どもじみたセリフを大人が
「MCUの破壊とMCPの解放。そして、DA3に住む人々の人権回復だ」
そう言った時の舵の目は、僕には無性に悲しげに見えた。
◇ ◇ ◇
それから数分間、僕はただ自分という人間がなぜ今こうしているのか、必死で考えていた。自分が何者かわからないまま過ごして来たけれど、記憶が戻ればそれなりに平和に過ごせると信じていた。それが、今はもう、ただの幻想でしかなかったということがわかる。
僕はまだ自分自身の過去について何も知らなかった時に、永薪食堂にいた時に、戻りたかった。何も言葉が出ずに黙り続けた。
何も言い返さない僕に業を煮やしたのか、舵が僕のほうに向かってくる。
「お前が本当に何も覚えてないなら、何度でも教えてやるよ。門崎カイ。お前は、門崎グループ会長の孫であり、MCS社の元CEOである門崎総司の息子だ。お前の母親はMCU開発者だった。そして、お前は、三年前の事件の首謀者だ。俺たちと共謀して、連れ去られたふりをし、家族を騙していた人間だよ」
舵が凶器を振るって斬りつけるように、僕に向かって僕の素性を言い放った。
月見里グループ会長の孫? 元CEO、MCU開発者、三年前の事件の首謀者……。何を言っているんだ?
「三年前の事件の首謀者? 僕が僕を連れ去ったんですか?」
三年前の事件の首謀者が門崎カイ?
僕が、MCUの破壊とMCPの解放。そして、DA3に住む人々の人権を回復しようとしたってことなのか?
つまり、門崎カイは自ら進んで父親の会社を潰し、母親の開発した
「そうだ。連れ去りは偽装だった。本当に何も覚えていないようだな。ふざけた話だ。自分が俺と手を組んでいたなんて、夢にも思わなかったか?
三年前の目的は今回と同じだった。だが結局何一つ達成できなかったがな。あの時のお前は、自分が餌になれば、母親がMCUを破壊し、父親が国に掛け合ってMCPの解放を進め、最終的にはDA3の人権回復も夢ではないと考えていたようだが、物事はそんなに単純には進まなかったんだよ」
僕には舵が言ったことを受け入れることができなかった。
自分がMCU開発に関わった人間の息子で、かつ三年前の事件の首謀者……。何を言っているんだ?
僕が混乱していることに、気がついているのか、無視をしているのかはわからないが、舵は僕の様子などまったく気にする様子もなく話を続けた。
「まあ、少なくとも七歳上のお前の唯一の姉は、お前を助けるために、あらゆる手段を用いて交渉してきたがな。
だが、当時のお前の姉には力がなかった。誰もお前の姉の意見など聞かなかった。しかし、その姉が、今では脳科学研究所にとってなくてはならない人物になっている。
お前の姉が開発しているシステムと薬で、MCUで記憶を制御し、MCPをMCUにかけられる前の記憶だけを持った、記憶障害のない完璧な回復者にする技術が現実になるらしい。つまり、回復者になるたびに、MCPだった時の記憶が完全に消えるってことだ。
素晴らしい技術に聞こえるかもしれないが、そんなことが実現したら、同じ人間が、何度もMCPにされて利用されかねない。そうなれば、もうこの国に自由はない。何もかも政府の思いのままだ。
だが、今ならまだ事態をひっくり返せる可能性がある。そうだ今ならまだ……。ただ、逆に言えば、このチャンスを逃したら、もう次はない」
舵は確固たる意志を持って目的を成し遂げようとしているようだ。誰が何を言おうと、その決意は揺るがないだだろう。おそらく彼自身のすべてを賭けて、計画を実行に移しているのだと僕は直感的に思った。
話を黙って聞いた僕は、彼らに利用されるくらいなら、自ら乗り込んでいったほうがましだと思った。
僕は、本当の自分を取り戻すためには手段を選ばないことに決めた。意を決して舵に目を合わせると、動揺している心を必死で隠し、平静を装って言った。
「舵。僕ともう一度手を組みませんか?」
僕は、自分を取り戻すためには、彼らの望む『門崎カイ』になることも
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