(047)   Area 20 Involved 研究室

 --研究室-- #リク


 北田さんは混乱する門崎さんと私を何とか研究室まで引き戻し、門崎さんを彼女のキュービクル内にある椅子に座らせると、私を研究室の奥にある広い会議スペースに案内した。


 私は部屋中を見渡せる窓側にある椅子に座った。この部屋にはキュービクルが三つと会議スペースがある。妙に広くてガランとした研究室だな。


 北田さんは研究室の一角にある冷蔵庫から、水の入ったペットボトルを三本取り出した。


「すみません。すぐ戻ります」


 北田さんは持って来たペットボトルのうち一本を私に渡すと、門崎さんのいるキュービクルに向かった。


   ◇     ◇     ◇


  私は貰ったペットボトルをテーブルに置くと、両手で挟むように握ったまま、気持ちを落ち着かせようと窓の外を見た。空に浮かぶ雲が少しくすんで見える。キュービクルの壁のせいで二人の姿は見えないが、部屋の反対側からは北田さんの心配そうな声が聞こえてくる。


「ミエ、大丈夫か?」

「ええ。ちょっと……わからなくなっただけ」


 さっきまでの尖った声とは違う覇気のない小さな声で門崎さんが返事をした。私にはまだ彼女が動揺しているように思えた。


 北田さんがキュービクルにいる門崎と話している間、私はカイのことを考えていた。


 カイが本当に家にいないのか確認するために、手元にあるモバイル端末から家にあるタブレットにメッセージを送ろうとしたが、ネットワークが圏外になっている。


 しばらくすると、北田さんは門崎さんをキュービクルに残したまま、私のいる会議スペースに戻ってきた。


「門崎さんは、大丈夫ですか」

「ああ、彼女は問題ない。それより君は大丈夫?」


 北田さんはペットボトルのふたを開けて一口飲むと、私の向かいにある椅子に腰掛けた。


「大丈夫です」

「そうか、よかった。えっと、君の名前を教えてもらってもいいかな」

高坂こうさかリクです」


 北田さんは少し考えるようなそぶりを見せたあとに、ゆっくりと口を開いた。


「高坂さん。門崎が迷惑をかけてすまない。僕に君を引き止める権利はない。ただ、状況が状況なので、封筒の配達を受けた時のことと、鷺沼カイと言う人についてだけでも教えてもらいたいんだ」


 私はこの時、できることなら早く家に帰って、カイの無事を確認したかった。けれど、さっき読み取った門崎さんの記憶から考えて、鷺沼カイと門崎ミエの弟のカイは同一人物で間違いない。そうなると、連れ去られているであろうカイの無事を、今から家に帰って確認することは時間的なロスにしかならない。


「わかりました。実は、」


 私はさっそく事の経緯を話し出そうとした。すると、北田さんは私が話すのを制止するように右手を軽く上げた。


「えっと、門崎も一緒に聞いていいかな」


 私は北田さんの問いに返事をする代わりに軽く頷いた。


「ちょっと待ってて」


 北田さんはさっそく門崎を呼びに行くために席を立ったが、私は北田さんを慌てて引き止めた。


「あの、北田さん。話を始める前に電話をかけたいんですが……。ここは、ネットワークが圏外で、電話もネットも使えないんですね」

「あっ、すみません。ご不便をおかけして。この施設内では、セキュリティー上通常のネットワークは使用できないようになってるんです。これを使ってください。ゲストモードでログインしもらえれば使えますので」


 そう言うと、北田はポケットからネットワークに接続する方法が書かれた名刺サイズの紙を出して渡してきた。


「あの、差し支えなければ誰に連絡するか教えていただけませんか」

「さっき私が言った鷺沼カイに連絡が取れるか確認したいんです」


 北田さんは頷くと、門崎さんのいるキュービクルに向かった。


   ◇     ◇     ◇


 数分のうちに北田さんが門崎さんを連れて戻ってきた。

「待たせてすまないね。連絡は取れた?」

 私は首を横に振ると。北田さんは険しい表情を見せた。

「そうか」


 北田さんがさっきと同じように私の向かいの椅子に座ると、続いて北田さんの隣に門崎さんが座った。


「早速だけど、まず、この封筒の配達を引き受けた時のことを教えてほしい」

 北田さんはそう言いながら、封筒と脅迫状をテーブルの上に並べた。

「わかりました」

 私は早速、郵便局の前で配達の依頼を受けた経緯を北田さんと門崎さんに話し出した。


 私が事の経緯を話している間、北田さんが相槌を打つ以外は一切話が途切れることはなかった。私の話が一通り終わると、北田さんはメモ帳を取り出して質問を始めた。


「こんな風に、突然見知らぬ人から配達の依頼を受けることはよくあることなの?」

「道で突然依頼を受けたのは初めてです。でも、私は国に個人登録済みの正規のライダーとして働いているので、配達依頼アプリ経由で依頼が入ることはよくあります」

「配達依頼アプリって、DR・Appのこと?」

「はい」


 私が返事をすると同時に、北田さんはメモにアプリの名を書き込んだ。きっとあとで私の身元を確認するのだろう。


 DR・Appにログインすれば利用者は、登録ライダーの情報は簡単に確認できる。北田さんは人は良さそうだが、慎重な性格のようだ。彼は無条件に人を信じたりはしないだろう。


「あと、依頼をして来た男の特徴を覚えてるかな」


 私はできる限り人と目を合わせずに生活しているから顔を覚えるのは苦手だが、服装や背格好はかなり正確に思い出せる。


「えっと、百八十センチほどの痩せ型の若い男性で、確かカーキー色のチノパンに黒いコートを羽織っていました。ただ、どこにでもいそうな感じの人で、特に目だった特徴はなかったです」


 門崎さんは、私と北田さんのやりとりにまったく口を挟まず、ただ苛立った様子で聞いている。どちらかと言うと興味がないようにさえ見える。


「そっか。相手の顔は覚えていない?」

 私は首を横に振った。

「仕方ないね……。次に、鷺沼カイと言う人のことを教えてほしい」

 門崎さんの態度とは正反対の真剣な態度で、北田さんは質問を続けた。

「実は数日前に知り合ったばかりで、よくわからないんです」


 黙り込んだ私に北田さんは嫌な顔をすることもなく、一度姿勢を正して言った。


「ミエの弟は、門崎カイというんだ」

 門崎ミエの弟の名が門崎カイという——この情報は特に驚くことでもない。どちらかが結婚でもしていない限り、姉と弟が同じ苗字なのは自然なことだ。でもそうなると、私がミエの瞳を通して見た彼女の記憶の中のカイと私が知っている『鷺沼カイ』は、他人の空似ということになるのだろうか。それとも偽名? いや苗字が変わったのか……。


「じゃあ、鷺沼カイは別人だと考えていらっしゃるんですね」

 私が念押しで聞くと、意外な答えが返って来た。

「いや、それがそうとも限らない。実は二人の父親の旧姓が鷺沼なんだ」

「それって……」

「そうだね、珍しい苗字だし、偶然にしては話が出来過ぎている。十中八九同一人物だろう。わざとその名を名乗っているか、苗字を変えたかのいずれかだと思う」


 門崎さんが北田さんを一瞬鋭く睨めつけた。私情に介入されたくないのだろうか。


 弟を助けるためにはこれくらいは仕方がない気がするが、門崎さんはこの場から抜け出したくて仕方がないように見える。


 彼女の態度はあまりに冷たい。というか、まるで厄介ごとに巻き込まれ、苛立っているかのようにさえ見える。他人事に付き合わされているように見えるのは、私の気のせいなのだろうか?


「あの……。脅迫状に書いてあった内容は——カイが連れ去られたというのは——本当なんでしょうか?」


「いたずらかもしれない。だが、確認が取れるまでは、手紙の内容を信じて行動したほうがいいと私は考えている」


 北田さんは今までの話を整理するように、メモを取っている。


「もしも手紙の内容が本当なら、私たちここでゆっくりしている場合じゃないと思うんです」


 私の声に顔を上げた北田は、もちろんそんなことはわかっているよと表情で返して来た。それでも私が記憶を読み取れることに気がついているかのように、目線だけはしっかりと外してくる。この人はどこまで用心深いんだろう。




 コーンコーンコーン、コーンコーン。




 建物内にチャイムの音が鳴り響いた。私は腕時計に一瞬目をやった。アナログ時計の針は五時を指している。


 この研究所の西門には四時過ぎにはついたはずなのに、いつの間にか一時間近く経っている。


 五時か……。


 午後五時? あっ、そうか、そうだったんだ。封筒を渡された時に、男に『今日の午後五時までに』って言われて違和感を抱いた、その理由がやっとわかった。


 ただ単に『五時までに』って言えばいいだけなんだ。長くても、今日の五時までか午後五時までと言えば十分伝わる。


 もちろん『今日の午後五時までに』って言ったのは男の癖かもしれない。だけど、仮に私とのやり取りのために、事前に誰かと打ち合わせしていたとして、セリフとして言った言葉なら、男のぎこちなさや私が感じた違和感に説明がつく。


 それに、突然バイクが誤作動を起こしたことも、すべては仕組まれたことだったのだ考えれば、今日の一連の出来事に納得がいく。……まあ、全部ただの推測に過ぎないけど。


 チャイムが鳴り終わると、門崎さんが勢いよく席を立って言った。


「もういいでしょ。私はもう家に帰るし。その脅迫状も封筒に入ってた携帯も全部二人の好きにすればいいわ」

「でも、弟さんがさらわれたかもしれないのに!」

「私が弟の命を助けるわけないでしょ?」


 門崎さんは他人の話でもするかのように、切り捨てるように言った。


「助けるわけないって、どうして?」

「どうしてって、私はとっくににあんな弟とは縁を切ってるの」


 私の問いに、めんどくさそうに答えを返した。


「縁を切ってる?」

 私は耳を疑った。私は守られることや守ることに理想や幻想を抱きすぎなのだろうか?

「そんな、どうして?」

「だって、私にはいらないもの」


 いらない……? 門崎さんは特に隠すことでもない普通の会話をするように、いらなくなったものを捨てるかのように淡々と言った。


「いらないって、家族を簡単に切り捨てられるの?」


 私の問いに、冷たい目を向ける。


「簡単に? 適当に想像して物事を決めつけないでくれる? 人の事情なんて理解できなくて当然よ。あなたには守りたい家族がいるんでしょうけど、私にとっては重荷なだけよ」


 重荷って……、もしかして、カイのことを犯罪者のMCP記憶制御された者だと思っているから関わりたくないってこと? 私には見捨てる家族すらいない。この人はどうして実の弟を簡単に切り捨てられるのだろう? どうして、助けようとしないのだろう……。わからない。私にはわからない。私には、もう憎む家族さえもういない。だから家族を見捨てる人の気持ちはわからない。


「MCPだからって、家族を見捨てるなんて……」


 私は強く言い返す気力が出ず、項垂うなだれるようにして言った。いつも、どんなに人の心が読めても、他人のことに介入したりしなかったのに。他人の事情なんて、何もわからないのに、どうしてあんなことを言えたのか、あとで振り返ってもわからない。


 けれど、この時の私はひどく悲しくて、ミエの冷たい態度が受け入れられなかった。私は冷静さを失っていた。


 私の言葉にミエが初めて苛立ちの感情を消し、驚いた目で問いかけて来た。


「MCPって……。それ、どういうこと?」


 ミエが知らないわけがない。


「カイが犯罪者でMCPになったから縁を切ったんでしょ? でもカイは記憶が壊れてるだけよ!」

「一体何をいってるの?」


 ミエは一瞬押し黙り、私に目を合わせてきつく冷たい言葉をぶつけてきた。


「私の弟はもう一年近く行方不明なの。だから気にするだけ無駄よ」


 行方不明?

 予想外の言葉に、私は頭が回らなくなってしまった。


「行方不明って、いなくなったってこと?」

「他にどんな意味があるのよ?」


 私は自分の思考が緊急停止したかと思った。

 犯罪者でもMCPでもなく、行方不明者?


「何か言いたげね——」


 ミエはもうどうでもいい、というような表情でリクを見ている。


「——カイは突然消えたの」


 そう言い放つと、ミエは脅迫状と一緒に入っていた携帯をリクの目の前のテーブルにバンっと叩きつけるように置いて部屋を出て行ってしまった。

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