(048)   Area 20 Involved 国立第四脳科学研究所

 --国立第四脳科学研究所--


 リクは門の脇のドアを通り研究所の敷地内に入ると、キョロキョロと周りを見渡しながら北田についていった。


 綺麗に整備されているが、個性の感じられない庭で、同じ大きさの木が等間隔に並んでいる。歩道と車道の間には、はっきりと白線が引かれ、車道を車が一台、構内の制限速度ギリギリでのろのろと走っていく。


「まったく面白みがないだろ。ここで一生の半分近くを過ごすなんて嫌になる……」


 北田が冗談を言っているのか本気で言っているのか、リクにはわからなかった。目を見れば、相手の意図していることははっきりわかるが、普段の生活で能力を使うこと——相手の目を覗くこと——をリクはできる限り避けていた。無理やり他人の個人的な事情を知る必要はない。



 敷地内の駐車場を横切ると、七階建ての巨大なブロックような味気ないビルが目に入ってきた。


 そのビルの壁には『国立第四脳科学研究所・西棟』と書かれたプレートがかかっている。研究所内に入ってエントランスを抜けると、そこには二重扉が設置されていた。


 監視カメラも複数台設置されていて、扉を開けるにはセキュリティーカードだけでなく網膜スキャンまで必要だった。ただし、私のために作られた特別な入構許可カードだと、網膜スキャンはお飾りのようなもので、スキャン後に画面に、特別来客者と表示された。


 このカード、無敵すぎて怖い。


「私のようなバイクのライダーにも、入構許可って結構簡単に下りるんですね。国立の研究所なのに意外でした」


 リクがそう言うと、北田はちらりとリクの方を見て、いたずらがバレた子どものような表情をした。


「まあ、色々事情があってね。奥の手を使ったんだよ」

「奥の手……ですか?」

「まあ、あんまり深く気にしないで。少なくとも、ちゃんと正式な許可を得てるから」


 あまり口外すべきことではないのだろう、北田さんは頬を掻きながら若干困った表情をしている。


   ◇     ◇     ◇

 

 研究所の内部は外見に負けず劣らず、病院のように味気なかった。加えて迷路のようだ。窓と扉はどれも同じ形で見分けがつかない。


 廊下は入り組んでいて、階段や廊下には非常時用のサイン以外目印になるものはなく、自分が何階のどこにいるか、すぐにわからなくなってしまう。


 研究所の建物に入って数分後にドアに『研究室K-5』と書かれたプレートのかかった部屋の前に着くと、北田はリクに扉の前で待っているように言って、一人で中に入っていった。


 しばらくすると、廊下で待つリクには、研究室の中から北田と女性(おそらく門崎という人の)声が聞こえてきた。北田が相変わらず穏やかな調子で話しているのに対し、女性はヒステリックな口調で返事を返していて、ひどく機嫌が悪そうだ。


「今手が離せないの。私は動かないわ。入ってもらって」

 落ち着いてはいるが、きつめの女性の声が響いた。

「ここには機密情報が山とあるのに、本当にこの人は……」

 呆れたような北田の声が続く。

「だいたい素人が見て何がわかるって言うのよ」

 女性は北田の心配などまったく意に介さないようだ。

「わかりました。ちょっと待っててください」


 北田は研究室から出てくると、リクに向かって苦笑いを浮かべながら謝ってきた。北田がドアを開け、リクを招き入れる。


「ごめんね騒がしくて」

「いいえ。あの、入ってもいいんでしょうか?」

「大丈夫です。でも一点だけ、研究室内で見聞きしたものは他言しないようにお願いします」


   ◇     ◇     ◇


 リクが研究室に入ると、声から想像していたよりも若く——というよりは、幼く見える女性が忙しそうにパソコンでデータ処理をしていた。何かのプログラムのようだ。


「門崎様、郵便物の配達に来ました」

「ありがと」


 女性は振り向きもせずに作業を続けている。


「受け取りのサインをお願いします」

 リクがデスクの隅に端末と電子ペンを置くと、女性は一瞬手を止めて、配達記録の確認画面にサインをしてくれた。


 女性の作業しているキュービクルの壁にはフックがあり、そのフックには白衣とともにIDカードがかけてあった。そのIDにはKADOSAKIという文字が記載されているのが見える。


 研究室を出る間際に、北田さんは振り向いてリクに向かってすまなさそうな表情をした。


 そして、リクに目配せしながら、門崎に聞こえるようにあえて大きな声でわざとらしく、「すまないね。対応で。この人、研究に没頭すると手に負えないんだよ」


 と言った。はっきり嫌味を言われても、門崎はまったく意に介していないようで、データ処理を淡々と続けている。


 北田はため息をついて、諦めたように首を振った。リクは北田に続いて研究室の外の廊下に出た。


「気にしないでください。何年もライダーとして仕事していたら、いろんなことがありますから、理不尽なことで叱られたり、ときには怒鳴られたりもしますので……」


 この時リクは、北田に話しかけながらも、頭の中では別のことを考えていた。


 ここに来るまで、配達をすれば、もしかしたらカイの姉のことを何か思い出せるかもしれないと期待していた。けれど、その期待とは裏腹に、カイの姉については何も思い出せないまま、あっけなく配達を終えてしまったのだ。リクはそのことに酷く落胆していたのだ。


「一体どこで会ったんだろう?」


 北田につづいて廊下歩きながら、リクは独り言を呟いた。


   ◇     ◇     ◇


 その頃、研究室では、差出人の名前に気がついた門崎が慌てて封筒開き、中に入っていた手紙の内容を確認していた。


「うそ、でしょ?」


 手紙の封筒を見直して、そこには切手が貼ってあるのに消印がないことに気がついた門崎は、急いで研究室を飛び出した。


 リクが北田と無言でエレベーターを待っていると、背後から門崎の声が追いかけてきた。


「待って! この封筒、どこで依頼を受けたものなの?」

 門崎の顔はひどく青ざめており、その引きつった表情が、ただならぬ事態であることを物語っている。


「どうかしましたか?」

 リクの問いかけに、門崎はできる平静を装おうとしているようだが、苛立った様子を隠せずにいる。


「だから、便って聞いてるの。切手が貼ってあるのに、消印がないし。あなた、何か隠してるんじゃないでしょうね!」


「えっと、配達依頼は私が直接受け付けました」


 リクはありのままの事実を述べたが、門崎は納得いかないようだ。


「切手を貼ってある封筒を、誰が郵便局以外に預けるっていうのよ!」

 封筒を握りしめている右手が力んで、封筒がよじれていく。


「依頼主の方は、郵便局が土曜の午後は閉まっていることを知らなかったようで、たまたま郵便局の前で出くわした私に、急遽配達を依頼されたんです。今日の五時までに配達が完了することを希望されていたので、急いで伺いました」


「ふざけてるわ!」

 そう言うと、門崎はリクに封筒と便箋を投げつけた。


「なんてことするんだ! 君はいつも衝動的すぎる」

 さっきまで門崎の態度を冗談めかして、からかっていた北田が、声を荒げた。


「待ってください。何がどうしたっていうんですか?」

 リクは状況を理解しようにも、なぜ門崎が怒っているのかさっぱりわからない。北田は床に落ちた封筒と三つ折りの白い紙を拾い、その紙を広げた。リクも北田とともに紙に書かれた文章に目を通した。




 ————————————————————————————

 門崎ミエ。お前の弟のカイを預かった。

 俺たちの要求はわかるな。

 解放の条件は三年前と同じだ。

 期限は明日の午後二時まで。

 連絡は同封した携帯からのみ可能なように設定してある。

 電話は本体を分解したり、データを解析しようとすれば、

 壊れるようにプログラムされている。

 我々からの電話に出ることができなければ、

 その時点で弟の命はないと思え

 ————————————————————————————




 二人はそこに書かれた予想外の内容に凍りついた。


 リクは便箋に書かれた文章の一行目を食い入るように見た。


「カイを預かった? これってどういうこと⁉︎」

「こっちが知りたいわよ!」


 怒りと戸惑いが入り混じったような、引きつった表情のまま、門崎がリクに向かってきた。


「ミエ、落ち着くんだ! わかるように説明してくれ」


 今まで黙って二人のやりとりを傍観していた北田だったが、門崎の暴走を制止するため二人の間に割って入ってきた。


「ミエ? もしかして、カイのお姉さんのみっちゃんって……」


 リクは問い詰めるように、門崎の目を覗き込んだ。

 その瞬間、門崎の記憶がリクに流れ込んできた。


 記憶の渦には、タブレットの写真に写っていた男の子と、タキさんの家で見た写真に写っていた少年の姿が何度も現れた。ただ、悲鳴のような声が始終鳴り響いていて、二人の会話はまったく耳に入らない。小さな男の子と女の子が、二人で遊んでいる姿も見える。


 門崎の記憶が濁流だくりゅうのように激しく押し寄せてきた。その記憶の痛みに耐えかねてリクは目を逸らした。


「門崎さん! あなたがカイの、鷺沼カイのお姉さんなんですね?」

「鷺沼カイ? 一体誰のことを言ってるの?」




 

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