(045) Area 20 Involved 表裏
--表裏--#リク
ミエが出て行ってすぐに、私は北田さんに連れられて西門から研究所の敷地の外に出た。
今さっきまでカイさらわれた件について真剣に話していたのが嘘かのように北田さんは平然としている。夕焼けがあまりに綺麗で現実味が湧かない。
「ミエは素直じゃないから、表だけじゃなく、裏も見てあげて。あと、さっきは引き止めてごめんね。友達に会う約束があるんだろ?」
北田さんはそう言いながら、門の脇に止めてあった私のバイクのハンドルにかかっているヘルメットを意味ありげにトントンと叩くと、関係者の駐車場がある通りの向こう側に走って行ってしまった。
私、友達に会うなんて言ったっけ?
私のリュックには、北田さんに無理やり渡された脅迫状が入っている。犯人から渡された携帯は北田さんが持っているが、脅迫状を手放すなんて、北田さんは一体何を考えているんだろう。
私はハンドルにかけてあったヘルメットを手に取ると、その中に見慣れない紙が入っていることに気がついた。ざらざらとした濁った色の紙には、文字が斜めに傾いた独特な筆跡で『ひとりになるな』と書いてある。さっき北田さんが入れたに違いない。
出会ったばかりの人の本心を知ることなんて、そう簡単にはできない。信じるべきか否かは自分の直感を信じるしかない。この時、私はこの警告は聞いたほうがいいと直観的に思った。少なくとも、あえて一人になる必要もない。どこで誰が監視しているかわからない。
私はヘルメットの中のその紙を外から見えないように手で握りながらポケットに入れた後、ハンドルを握り、できるだけ自然にバイクを発進させた。
◇ ◇ ◇
正直言って、マンションまでの帰り道、私は何もまともに考えられなかった。
街灯の明かりが灯った頃、私はマンションの近くまで戻って来たけれど、このままバイクでマンションの駐車場に戻るのは危険な気がしてたので、マンションから少し離れた物陰にバイクを停め、裏通りからマンションの一階にある神作博士の店舗に向かった。
余計な心配だったのだろうか、何事もなく、神作博士の店舗の裏口まできた。目の届く範囲にのところ不審な人はいないようだ。裏口のドアのノブをひねるとドアが開いた。案の定、鍵はかかっていない。相変わらず無用心な人だ。
普段なら大声で博士を呼びながら店内に入っていくところだが、カイのさらわれた事件に博士が巻き込まれた可能性はゼロじゃない。私はできるだけ音を立てないようにそっとドアを押し開けた。
「ミャー」
ドアを開けた途端、中からコネコが出て来た。いつもと変わらず落ち着いた様子で、怯えたり逃げ出して来た様子はない。夜の散歩に行くのだろう。いや、別の寝床に行くのかもしれない。コネコは年々家の数が増えているのか、この頃は一週間ほど帰ってこないこともよくある。
私は店の中に入ると、ゆっくり廊下を進んだ。数メートル先には見慣れたキッチンやソファーある。博士の部屋から何やらゴトゴトと音が聞こえた。
博士の部屋にいる人物が誰かわからないで、私は博士の
しばらくすると、どこからか電話が鳴る音がした。
「あぁ、俺だ。——今からか? ——わかった。でも突然何で気が変わったんだ? ——そうか、気にするな。あぁ、待ってるよ」
博士の声だ。誰と何の話をしているのかまったくわからないが、切羽詰まった様子はない。声のトーンはいつもと同じで、緊迫した感じではない。よかった。博士は事件に巻き込まれてないようだ。
「博士!」
部屋から出て来た博士に声をかける。
「あぁ、リクか、いつの間に入って来たんだ? 全然気が付かなかったよ」
博士はそう言いながらも特に気にする様子もなく、キッチンに向かうと、大きく欠伸をして、だるそうに腕を伸ばしながら、冷蔵庫の中を覗いている。
「昨日は徹夜でな。さっきまで寝てたよ。まだ眠いけど、電話で起こされたんだ。それにしても、何にも入ってないな。そろそろ買い出しに行かないと……。んー、今日はたいしたものは作れないな……。リクは今日もここで食べてくのか?」
「うん」
私は夜ご飯のことなんて考えられずに生返事をした。
「どうしたんだ? 何かあったのか?」
「うん」
博士にカイのこと相談するために来たのに、なぜだろう、どうやって話を切り出したらいいのかわからない。
「さっきの電話で連絡が来たんだが、これから、知り合いが来ることになったんだ」
「誰が来るの?」
「親友の娘だ、多分リクより少し年上だったはずだ。何で来るのかもよくわかってないんだが、なんか急な用事があるらしい」
「その人が来るまで、まだ時間ある?」
「多分三十分くらいはあるだろう」
「実は、今すぐ話さないといけないことがあるの」
博士は私の様子がおかしいことに気がついたのか、眉間にシワを寄せた。
「もしかしたら、大変なことになってるかもしれないから。これ見て」
私はリュックから脅迫状を取り出すと、博士に渡した。
「読んでみて」
「何の手紙だ?」
私はあえて博士の問いに答えなかった。説明抜きで、先入観のない状態で読んでもらいたかったからだ。神作博士は変わってるけれど、私が信頼できる唯一の人だ。だからこそ、正直な意見が欲しい。博士が紙を広げた。
————————————————————————————
門崎ミエ。お前の弟のカイを預かった。
俺たちの要求はわかるな。
解放の条件は三年前と同じだ。
期限は明日の午後二時まで。
連絡は同封した携帯からのみ可能なように設定してある。
電話は本体を分解したり、データを解析しようとすれば、
壊れるようにプログラムされている。
我々からの電話に出ることができなければ、
その時点で弟の命はないと思え
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博士はゆっくりと脅迫状に目を通している。博士の表情が次第に険しくなり、戸惑いのような表情が浮かんでいる。
「これは……。どこでこの手紙を手に入れたんだ?」
「門崎ミエという人からよ。配達に行った先で突き返されたの」
博士の様子がどことなくおかしい。何か知っているのかもしれない。
「ちゃんと説明したいけど、詳しく話してる暇がないの。まず私の部屋に行ってカイが無事か確認しなきゃ。多分、ここに書かれているカイは、私が連れて来た鷺沼カイだと思う。でも、まだ確証はない。私は、カイに私の部屋にいるように言って配達に出かけた。だから、人違いならまだ部屋にいるはず。今すぐ部屋を確かめないといけないけど、ひとりにならないように、門崎さんと一緒にいた人に忠告されたの」
博士は食い入るように脅迫状を見ている。脅迫状を握るその手には心なしか力が込められているように私には見えた。
「……ほんと、何でこんなにややこしいことになったのかな?」
いつもの博士は私が何を言っても、すぐに自論を並べ立てて説き伏せようとするが、今の博士は人が変わったように口を開こうとしない。
「ねえ、博士。お願いだから私の部屋についてきて!」
はっと、我に帰ったように博士が私を見る。
「それなら、わざわざ見に行かなくてもいい」
博士の声は奇妙なほどに落ち着いていて、焦っている自分の方がおかしいようにさえ思える。
「どういうこと?」
「カイのことを試して警察まで封筒を配達に行かせただろ? その時にカイの目に埋め込まれているレンズにアクセスしたんだ。そのレンズなら、あの時カイに持たせた
「え?」
私は拍子抜けしそうだった。カイの目に埋め込まれたレンズのことや、そのレンズにアクセスして位置検索できるなんて、何も知らなかった。遠隔で位置を確認できると聞いて、張り詰めていた緊張の糸が解けて、拍子抜けしそうだった。予想外の展開に、唖然としていたと言ったほうが適切かもしれない。私が突っ立ったまま数秒間黙っていると、博士が「どうするんだ」と尋ねてきた。
「なんだ? リクの部屋を確認する前にカイの位置を確認したら、何か都合でも悪いのか?」
いくら私が無鉄砲だからって、危険な人物がいるかもしれない部屋に乗り込んで行きたいわけじゃない。博士には私がさっきまでどれだけ気を張り詰めていたかわからないのだろうか。
「そんなことない。都合が悪いわけない——けど、私やっぱり博士のこと怖くなってきた……」
博士を敵に回すと、地の果てだろうと地獄であろうと平気で追いかけてくるんじゃないだろうか?
私の胸中に渦巻く何とも形容し難い複雑な思いなど、どこ吹く風といった様子で、博士はスタスタとパソコンに向かって行き、作業を始めた。
「こっちに来い、すぐに確認できる」
気を取り直し博士の隣に着くと同時に、博士はため息をついた。
「まずいな。まったくアクセスできない。リクの部屋には確実にいないよ」
「うそ? こんなにはっきりわかるの? これ、リアルタイムで動いてるの?」
航空写真のようなデータだが、アパートの階層ごとに、サーモグラフィーのように青から赤に色付けされた物体が映し出されている。それも、かなり細かく動いている様子までわかる。
「あぁ、お前の部屋のキッチンにいるのはおそらくレインだ。この形は犬だろ? だが人間の姿がない。それに、レンズで追ってるデータには点滅する丸が付くが、その点滅がない。半径五キロ圏内にはいない。あと、心配な点がある。レインがまったく動いていない。寝ているだけならいいが……」
レインが動いていないと聞いた瞬間、私は部屋に向かって走り始めた。
「リク! 一人で行くのは危ない!」
博士の声が背後から聞こえたが、私の足は止まらなかった。
◇ ◇ ◇
エレベーターは最上階に止まっている。
私はエレベーターが降りてくるのを待てず、無我夢中で四階まで駆け上がり、部屋のドアの前まで来た。ドアの鍵がかかっていない! やっぱり何かあったんだ。レインと思われる影が写っていたキッチンに向かう。キッチンのドアは閉まっている。私はドアを勢いよく開けた。
「レイン!」
今までレインがキッチンで寝ていたことは、一度もない。私がどれだけダメと言っても、レインは私の部屋のベッドで寝るのだ。なのに、目の前でレインがキッチンの床に不自然に倒れている。駆けつけて体を起こしても、目を覚まさない。私はその場に座り込んで、レインを膝に乗せ抱き上げた。
「リク! レインは大丈夫か?」
博士の声が玄関の方から聞こえる。けど、返事をする気力か出ない。
博士がキッチンに入ってきて、レインの心拍や呼吸を確かめた。
「まったく目を覚まさないな。何か薬を打たれたのかもしれない——リク? 大丈夫か?」
博士は立ち上がると、食器棚からグラスを出して、蛇口の水を注ぎ、私に差し出してきた。私、そんなに様子がおかしいんだとうか? ありがとうとお礼を言おうとしても、なぜか声が出ない。
「俺の店まで連れて行けば、もう少し詳しくレインの状態を調べられる」
博士が私の膝からレインを抱き上げた。その瞬間、私は無意識に博士に問いかけていた。
「ねえ、博士。どうしてこの世界は、こんなことになってるの?」
「こんなこと?」
博士が不思議そうに問い返してくる。
「人が人を道具として使ったり、隔離したり、優劣をつけたり……」
「さあな、そんなことは、今に始まったことじゃないだろう?」
博士が私の問いに困惑しているのがわかる。私はどうして自分がそんなことを質問したのかわからなかった。理不尽なことばかりのこの世界で、自分の力だけじゃどうにもならないことがあることぐらい、とうの昔からわかってる……。どんな人間も、生まれる環境を選べないし、それぞれ制約のある場所で生きている。わかっているのに……。なのに、長年胸につかえていたものが、溢れ出して止まらなくなってしまった。
「でも、でも、それなら、ずっと昔から続いてきたことは、いやでも受け入れなきゃいけないのかな?」
駄々をこねるような私の問いに、博士は静かに答えてくれた。
「受け入れる必要はないが、変えることは難しいだろうな」
その答えを聞いた途端、張り詰めていたすべての神経ががプツリと切れて、重力が力を増したように強く感じ、私は床に倒れた。そして、まるでテレビを消すように、パチンと意識が途切れた。
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