(050)   Area 19 Twisted 被害者

 --被害者-- #カイ


「柏原さん。あの、直接お会いするのは初めてですよね」

「私と君が顔を合わせるのは初めてだよ。今まで面識はなかった。だけど君は私を舵の記憶の中で見たんだろう。舵の記憶をどこまで見たんだい?」


 僕は柏原という男に不思議なほど親近感を覚えた。彼には威圧感がまったくなかった。そして、適度な距離感を保ちながらも、相手の警戒心を解く方法を心得ているようだ。


「あの、僕が見たものは本当に舵という人の記憶なんですか?」

「私が知る限り、舵が他人に見せられるのは自分自身の記憶だけだよ」


 柏原さんの落ち着いた柔らかい物腰に、僕は自分がここに監禁されていることを一瞬忘れそうになった。


「柏原さん、あなたは僕から何を聞きだそうとしているんですか?」

「私は君がどこまで事情を把握しているか知りたいだけだよ」


 この人に悪意はないと僕の感覚が語りかけてくる。信じていいんだろうか?


「僕は、なぜ僕がここに連れてこられたのかわかりません。さっき見た舵の記憶も、なぜ舵が僕に見せたのかわからない……」


 僕の受け答えに対して、柏原さんはひどく悲しそうな表情を返してきた。まるで僕が重罪でも犯してしているかのようだ。


「君はふざけるのが好きなのかい? それとも本当に何もわからないのか? もし君が言っていることが事実なら、君が一番の被害者だよ」


 柏原さんの言おうとしていることが僕には理解できなかったが、被害者という言葉は舵の記憶の中の帆澄に対して使われるべきものだと思った。


「あの、帆澄という女性はどうなったんですか?」

「やっぱり舵は、最後まで見せなかったんだね」


 僕には何が『最後』なのかわからなかったが、舵が見せてきた記憶だけでは僕がここに連れてこられた理由は理解できなかった。


「わかった。君を信じて、私が知っていることをできる限り話そう」


   ◇     ◇     ◇


 柏原さんはパイプ椅子に深く腰を掛け直すと、順を追って話し出した。


「私と舵が調べてわかったことはほとんどない。事実は帆澄の記憶がコントロールされてしまったこと。そして、舵と帆澄の両親が逮捕されたこと。MCS社が政府の保護下にあること。それだけだ」

「それだけですか?」

「そうだ。だから、これから話す内容は、起こった出来事が偶然ではなく故意に引き起こされたものだと仮定して、導き出したものだということを念頭においてくれ」

「わかりました」


 僕はできる限り詳しく事情を聞き出すために、返事を相槌程度にとどめることにした。僕が本当に知りたかったのは、僕がなぜここに連れてこられたのか、その理由だけだった。だが、その点について、舵と柏原さんはまったく語る必要がないと考えているようにさえ見えた。


   ◇     ◇     ◇


 柏原さんは頭の中でこれから話す内容をまとめているのだろう、僕から視線を少し逸らし、両腕を組んだ。


「まず、帆澄はMCS社の記憶制御を無理やりに受けさせられた。そのことは知っているよね」

「はい」

「では、なぜMCS社は帆澄を狙ったのか、なぜ帆澄の記憶を無理やりコントロールする必要があったのか。


 まず、MCS社(メモリーコントロールサービス社)が記憶制御の反対派——つまり、MC反対派——である人間の記憶をランダムに制御しているとは考えにくい。


 私たちは、帆澄はおそらく以前からMCS社に目をつけられていたのだろうと推測した。


 その目的は、MC記憶制御反対派の中心人物である舵と帆澄の両親の世間の持つ影響力を弱めるためではないかと私たちは考えた。


 当時、勢力を増すMC反対派の中心人物である二人の両親は、MCS社や政府から目をつけられていた。二人の活動は暴力を用いない平和的な交渉を行うもので、世間からの支持は絶大だった。


 そのような中心人物の子どもが記憶制御サービスを受ければ、世間がMC反対派の活動自体に疑念を抱く可能性が高いとMCS社は考えたのではないかと思っている。


 もちろん、冷静に考えれば帆澄の記憶制御がMCS社の仕組んだものである可能性があることを想像するのはたやすいが、世間に対して疑念を沸かせることができれば、MC反対派の基盤を揺るがすことができる。


 MCS社に対し訴えを起こすため舵と私はすぐに行動に移ったが、裏で糸を引いている人間がいるのか、物事が上手く進まずに奔走していた。


 MCS社の名前を出すと、腕利きの弁護士はもちろん、仕事にあぶれた弁護士さえ話すら聞いてくれず、結局この件を引き受けてくれる者は現れなかった。

 私はMCS社と政府が結託しているのではと以前から疑っていたが、この疑いは、この頃に確信に変わっていった。


 当初、舵と私はMCS社が帆澄に対して行った行動が無謀なものにしか思えなかった。しかし、彼らがもともと政府とつながっていたのであれば、MCS社はリスクを背負わずに帆澄の記憶を制御できる力を持っていたことになる。


 政府は国民に九割以上の食料を提供する国営農場を盾にここ二十年ほどやりたい放題だからな。


 ほどなくして私たちは、自分たちで弁護してでも訴訟を起こそうと準備を始めたが、その矢先に、追い討ちをかけるように舵と帆澄の両親が突然逮捕された。


 二人が逮捕された現場には、MC記憶制御反対派や私たちの知り合いは一人もおらず、警察からの舵に連絡もなかった。そのため、私と舵が二人の行方不明者届——つまり、捜索願——を出しに警察に行った時に、初めて二人が逮捕されていることを知った。


 二人が犯したとされる罪は、ネット上のニュースにもならないほど小さな事件だった。二人は食品スーパーでの窃盗容疑で捕まったとのことだった。


 だが、二人が窃盗なんて犯す必要がないことは明白だった。


 若くして莫大な遺産を相続し、衣食住に困ったことがなかった二人が、窃盗の罪で捕まるなんて考えられない。MC反対派を無力化させようとする力が働いていることは明らかだった。

 そしてその後、数ヶ月のうちにMC反対派の中核となる人物の身柄が警察に拘束された。理由はどれも些細なことばかりで、各メディアで放送されることはなく、世の中の目を引くことはなかった。メディアもどうせ政府の言いなりだったんだろう。


 記憶を制御された日から、帆澄は知り合いのことを覚えていないどころか、知り合いだった人を見るだけでパニックを起こすようになった。


 特に兄である舵を見ると帆澄は怯えて震えだし、気を失うことさえあった。舵は帆澄の心を守るため、実の妹に話しかけることさえできなくなってしまった。


 帆澄の精神を守るために、私たちは信頼できる人物に帆澄を預けることにした。


 私たちは、帆澄に施された記憶制御が単純な記憶消去ではなく、何かしらの条件が付けられた複雑なものであったと考えているが、それを証明できるものは何もない。



 結局、私たちには何もできなかった。



 言い訳のように聞こえるかもしれないが、政府を敵に回してしまうと、できることは限られてくる。舵の両親は今だに釈放されていない。それどころか、第三開発地区で二人を見かけたものがいるという噂さえ流れている。


 帆澄にの記憶が操作されてから五年以上の月日が流れたが、何も変わっていない。それどころか事態は悪化している。


 だが、政府の事情や舵の両親については君に説明するまでもないはずだな」


 柏原さんは、ここで一旦話を止め、僕の目を見直して言った。


「だからこそ、三年前に私たちは強行手段に出た。だが、詰めが甘かった。そうだろう?」


 柏原さんは、なんのことを言っているんだ? 三年前? 私たち? 僕は彼らとどんな関わりがあったんだ? 僕には見当もつかない。


「どういうことですか? 三年前に僕は舵に出会っているんですか?」


 舵もさっき、『三年前にお前を餌にした』と言っていた。一体何があったのかまったくわからない。


「君は何を考えているんだ?」


 柏原さんは、僕の表情から感情を読むように、眉をしかめ目を細めて僕を見ている。


「柏原さん。僕にはあなたたちが僕をどう利用しようとしているのか、まったくわからないんです」


 柏原さんの話で、舵がMCS社と政府に恨みを抱いていることは理解できたが、その話と僕がどのようにつながっているのかはわからない。


「質問を変えよう。君は誰の息子だ? いや、こんな質問をしてどうなる……知らないはずがない。どういうことなんだ⁉︎ 君は本当に何も知らないのか?」


 柏原さんは動揺を隠せないようで、硬い表情で、僕に質問をぶつけてきた。


「ごめんなさい。わからないんです」

 この時僕の声はか細く、体は小刻みに震えていた。


「冗談だろう? 君は、MCPなのか……。君は、君自身のことを、我々のことを、すべて忘れたと言うのか……」


 僕には柏原さんが独り言を言っているのか、僕に質問しているのかわからなかった。


「柏原さん。僕には今年の四月より前の記憶がありません」

「君の父親はどこまで卑劣なんだ!」


 柏原さんはきつい口調で吐き捨てるように言うと、椅子から勢いよく立ち上がった。その勢いで椅子は倒れ、倉庫中にガタンと大きな音が響いた。


 柏原さんは、気を落ち着かせるように、両手で頭を抱えながらゆっくり息を吸って吐いた。そして、何秒か息を止めて僕の目を見ると、意を決したように口を開いた。


「君の名は門崎かどさきカイ。君の父親は、MCS社の元CEOである門崎総司かどさきそうしだ」

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