(069)   Area 14 Doubt カイ

 --カイ--


「すみません。カイって、やっぱり、僕の本当の名前なんですか?」

「ああ、間違いない情報だよ。体内のマイクロチップの情報を読み取って確認したんだ」


 またしても、出会ったばかりの知らない人からカイという名前で呼ばれ、うみは困惑していた。


「本当の名前って、カイは他に名前があるのか?」


 神作は、からかうような口調で海に問いかけたが、動揺を隠せない海の様子に気づき、表情を変えた。



 実は、封筒に入っていたリクからの手紙を読んだ神作は、目の前にいる鷺沼カイという人間が自分の名前すら覚えていないことを知っていた。


(さすがに名前さえ覚えていないのには、深い理由があるに違いない。だから、もっと慎重に物事を進めるべきなのかもしれない。少し強引に物事を進め過ぎたかもしれない)


 神作はそう考えていたが、海は神作の態度の変化には気が付かず、名前についての今までの経緯を必死に説明している。


「えっと、ここに来る前は、働いていた食堂のオーナーにはうみと呼ばれていて。でも、それ以前のことは、記憶がないので、わからないんです。本当の名前が何なのかも、自分が誰なのかも……」


 神作が黙っているせいで、さらに不安になった海は、必死に伝えようと言葉をつなぎ合わせた。なぜ、事情をわかってもらいたいのか。自分がどうして気が動転しそうなほど動揺しているのか、海自身にも分からなかった。




「んー。なんだか話を聞いてたら長くなりそうだな」


 神作は名前のことなんてどうでもいいというような態度で、海に封筒を渡した。


「すまんが、ちょっと急いでいるんだ。今からこの封筒を届けてきてくれ。細かい話はその後だ」


 神作に無理やり話を打ち切られ、さらに封筒を渡された海は、あっけにとられていた。


 博士はカードリーダーからさっきのガラスのようなカードを取り出すと、スマホのような端末を開けて、中に差し込んだ。


 うみは、「カイ」という名前で呼ばれるたびに動揺を隠せなかった。


 なんとか冷静になろうとしただけれど、足元の床が不安定になって、グラグラと崩れ落ちるような感覚に襲われていた。


 それでも、気持ちを落ち着かせるために、渡された封筒に集中しようとした。


(茶色いA4サイズの封筒で、結構重い。1キロぐらいあるんじゃないかな?)


   ◇     ◇     ◇


「にしても、リクは一体どこに行ってるんだ?」


 神作は突然無口になった海の前で、ブツブツとぼやきながら、パソコンに何かを打ち込んでいる。


 海は、目の前にあるものに集中してさえいれば大丈夫と心の中で繰り返し、偽りでもいいからできる限り平静を装った。


「この封筒の中には、何が入ってるんですか?」

「おまえはそんなこと気にするな。地図は……ほいよ。これを見ていけ」


 神作が投げ渡した小さな画面のついた端末を海は反射的に受け取った。


「スマホですか?」

「そうだ、かなり古いスマホを改造して作ったんだ。見かけはレトロで骨董品並みだが、中身は最先端の端末だぞ。それに、お前の目に埋め込まれているレンズにアクセスしてあるから、普通のスマホより便利なはずだぞ」

「僕の目にレンズが埋め込まれてるんですか?」


 海は驚いた様子などお構いなしに、神作は早口で端末スマホに入った地図アプリの説明を始めた。



 アプリと端末の説明が終わると、神作は「早く行ってこい。あと、政府が全国民に発行するIDカードなんて、もうここの国にはないから心配するな」と言って海を店から追い出した。


 神作の有無を言わせぬ物言いに、海は仕方なくアプリを起動させると、とぼとぼと歩き出した。


 さっきの説明で、博士は旧式のスマホを改造してアップグレードし、アプリをいくつか追加したと言っていた。博士曰く、それらのアプリは世紀の大発明らしい。でも、地図アプリの使い方しか説明されていないから、海にはどこまで便利なのかわからないし、その発明の偉大さを実感することもまだできない。


 地図アプリのナビ機能をオンにすると、目の前の景色にあらゆる標識が現れた。自分の目に埋め込まれたレンズに映っているなんて信じられない。


 電話がかかってきたので、どうすれば話せるのか考えると勝手に通話モードに切り替わった。


(この機械には思考まで読まれてしまうのか?)


「カイ、俺のアプリは快適だろう!」

「えっと、はい。でも僕の目に埋め込まれたレンズについて、博士はなぜ知っていたんですか?」

「さっきカイの情報を読み取った時に、わかったんだよ。子どもの頃に目を悪くしたみたいでな、その時移植されたレンズの情報がマイクロチップに登録されていたぞ。とにかく俺の手にかかればそのレンズにアクセスするなんて朝飯前だからな。スマホ上手く使えよ!」


 ビーーーーーーーーップ。

 電話が切れ、長めの電子音がなった。


 今見えている情報が目の中のレンズに映っていると思うと、海は少し気持ちが悪くなった。



(たとえ移植されたレンズであっても、自分の身体の一部をいとも簡単にコントロールされてしまうなんて……。それに、マイクロチップに登録された細かな情報まで博士は確認できるのか!


 リクさんや神作博士って、危ない世界の人なんだろうか?

 こんな封筒、捨てて逃げたほうがいいのかな?

 ……でも、今はこの封筒を早く配達して、『鷺沼カイ』という人物の情報について詳しく聞かないと。


 はぁ、配達は、どこに行けばいいんだっけ?)



 海が配達先について考えたのと同時に、さまざまな標識に加えてレンズに経路を示す矢印が映し出された。


(この矢印を辿たどればいいのか……。便利だけど、思考を読み取られるのは怖いな)


 そう考えた途端に、次のような音声案内が、字幕付きで流れた。


 #このアプリ内で用いられた個人情報は、管理者権限を持ったもののみに送信されますので、ご安心ください#


 音声案内を聞いて、海は余計に不安になった。


(管理者権限って、神作博士が持ってるんじゃ……)

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