(036)   Area 23 Rain 夜と昼

 目が覚めると天井が目に入って来たけれど、窓のない部屋で朝か夜なのかもわからなかった。それどころか、自分という人間がここで何をしているか、しばらくの間、理解できなかった。


「おはよう、リク」


 カイの声で現実に引き戻される。


「おはよう、今何時?」

「もうすぐ十二時だよ。でも、舵と柏原さんはまだ戻って来てないみたい」

「もうそんな時間なの?」

「昼ごはんを食べたら、少し家の外に出よう」


 ソファーから起き上がり、居間へ向かう。レインはとっくに朝ご飯を食べたのだろう。満足そうな顔して、絨毯の真ん中に寝転がっている。


 居間の奥にあるキッチンのコンロの上のヤカンから湯気が出ていて、カイはティーポットに紅茶の葉を入れている。


「サシャもいないのね」

「僕が起きた時にはもういなくて、スコーンとティーセットがテーブルに用意されていたんだ」


 居間の奥にあるキッチンの前にある四人がけのダイニングテーブルの席について、昼食を食べる。さっきまで満足顔で寝ていたのが嘘かのように、レインはスコーンを少しでも多くもらおうと、テーブル横を陣取っている。


「レインはどこにいても食欲旺盛だね」


 レインは嬉しそうに尻尾を振っている。昼食を終えてカイとレインとともに家の外に出ると、思っていた以上に開けた空間が広がっていた。


 コンクリートや錆びた鉄でできた建物が立ち並び、雑然としていて、決して美しいとは言えないけれど、天井が高く開放的だ。いつの間にこんな空間が地下に作られたんだろう。昔使われていた地下鉄だけでは説明がつかないほどの大きな空間だ。


「不思議だね」

「そうだね。昨日は気が付かなかった。もっと閉鎖的な場所に思えたのに」

「夜には照明を落としているから、よく見えなかったのね」

「今は、地上は雨らしいよ」

「ここに居たら、雨は降らないのね。なんか変な感じ」


 レインが私の横に座ると、大欠伸をした。


「ねえ、カイ。ごめんね。私があの時DA3で声をかけなければ、こんなことにはならなかったのに」

「謝らないで。何が起こるかなんてリクにはわからなかったんだし……。僕はこっちに来れて良かったと思ってるから……、本当に……。ずっと運河の向こう側にいたら、今ごろ僕はきっと気が狂っていたよ」


 カイは天井のライトを見つめている。


「カイはこれからどうするの?」

「僕は自分の記憶を取り戻すために、舵たちに協力する。でも、リクは本当にこれでいいの? 今ならまだ引き返せるよ」

「そうね。でも、ここで引き返したら一生後悔する気がするから」

「わかった」


 カイはこれからのことについて考えているのだろうか、少し不安そうだ。


 私の気持ちをどこまで察しているのかはわからないけれど、カイは私がここに残る理由を問いただしたりはしなかった。カイと出会ってまだほんの数日だし、友情とか、愛情とか、そういうカテゴリーの一つに当てはまるのかもわからないけど、一緒にいると不思議と家族といた時のように落ちついた気持ちでいられる。レインは私を写す鏡なのか、リラックスした様子でまた欠伸をしている。


 私は普段自分が特に感傷的な人間だとは思わないけれど、この時はひどくカイのことが気にかかっていた。記憶がない痛みや苦しみは私にはわからない。カイが私にわかってほしいと思っているとも思えない。私だって、誰かに私の痛みや苦しみをわかってもらえるとは思っていないし、お節介は嫌いだ。それでも今は、私がここに残ることで変わる未来があると思いたかった……。



「……それにね」


 私の言葉にカイが不思議そうな表情で振り向く。


「それに?」


「もし何かあったら、レインが私たちを守ってくれるわ」



 私が言っている言葉の意味がわかるのか、それとも、ただの偶然なのかわからないけれど、レインは私たちを見て、自信満々な顔で「ワン!」と大きな声を上げた。

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