(040)   Area 22 Untold 後悔

 --後悔-- #リク


 カイを探しに行くことが決まると、しばらくの間、移動手段について四人で話し合った。


 運河周辺のエリアでカイの居場所を探索する時には、できるだけ怪しまれないような方法がいい。けれど、どこかで車を調達している暇もないので、結局、全員で博士の白いバンに乗り込んでいくことになった。犯人たちに博士の身元がバレてしまう可能性があるけれど、致し方ない。


 移動手段が決まると、早速カイの位置を検知する為の装置をバンの後方に積み込み、運河沿いの道に向かって走り出した。

 犯人に顔がバレている可能性が一番低い博士が運転席に座り、他の三人は、カーテンで仕切った後方の座席を外した空間に乗り込んだ。博士は普段この空間にガラクタ(博士にとっては宝の山)を積んでいる。


 博士が一応ハンドルは握っているものの、ほぼ全自動で車を走らせていく。

 私とミエ、そして北田さんはカイの位置が検知されないか、検知器につながったディスプレイを注視している。ミエと北田さんはそれぞれ片耳に、犯人から電話がかかってきた時にすぐに出られるようにイヤホンをつけている。


 バンの中には、機器のファンの音だけが響いている。私はなんだか落ち着かずソワソワしていた。そのせいか、気がついたら、ポケットの中にあるバイクと家の鍵がついたキーホルダーを出して、キーホルダーの輪を指にかけて、鍵をくるくると回していた。変な癖かもしれないけれど、こうしていると余計なことを考えずに済むのだ。


 海岸沿いを走りだして何分経っただろう。ミエが唐突に沈黙を破った。


「ここまで巻き込んでおいて、今更だけど、あなたはここで降りていいのよ」

 ミエの口調は、研究所での刺々しいものとはまったく異なり、柔らかく、優しい響を持っている。

「ありがとう。でも、やっぱりカイを助けたいから」

 逃げることは簡単だけれど、今逃げたら私は一生悔むだろう。


「でも、あなたが思っている以上に危険が伴うわ。詳しく話さなかった私たちも悪いけど、下手したら、政府を敵に回すかもしれない」

「政府?」

「そう、政府。それにその背後にいる大企業や組織も。あなたはまだ何も知らない。だから今ならまだ引き返せる」


 その時のミエの口調から、ミエはきっとすごく強い人で、私が知らないものをたくさん背負って生きてきたんだと感じた。でも、私は危ない目に遭うことより、逃げて後悔することの方が怖かった。だから、わがままかもしれないけれど、ここから逃げたくなかった。


「そっか。ありがとう。でも、逃げたくないの。私には失うものは何もないから大丈夫。ここに居させて」


 私の言葉に、ミエの表情がほんの少しだけ揺らいだように見えた。同情されたいわけじゃない。ただ、事実なだけ。それなのに、口に出してしまったことで、改めて自分の境遇が虚しく思えた。そうだ、私には、失うものなんて何もないんだと……。


「クーン」


 車の後部で、レインが悲しげな泣き声をあげた。『そうだね、レインだけは失いたくないね』と、私は心の中でレインに話しかけながらレインの頭の毛ををくしゃくしゃと撫でた。


 本当はレインには博士の店で待っていて欲しかった。けれど、私が目を離した隙にバンに乗り込んでいて、出発前にバンから降ろそうとしても必死に抵抗するので、結局一緒に行くことになったのだ。


 子犬の時ひどい雨の日にレインを拾った。その日から、私がずっとレインを守ってきたと思っていたのに、もしかしたら、レインがずっと私を守ってくれているのかもしれない。

 レインがいなかったら、私の存在意義なんて、とうにないのかもしれない。


「わかった。リク、ありがとう」


 ミエの声はひどく小さくて、かすかに震えていた。車の中は暗くて表情は見えなかったけれど、もしかしたら、あの時ミエは泣いていたのかもしれないと、随分と時が経ってから私はふと思った。


 バンは一定の速度で走り続けていく。運河沿いの道路に規則正しく並んだ街灯の灯りが、バンの窓に反射する。


   ◇     ◇     ◇


 電話の着信音?


 "おばあちゃん?"

 "迎えに行かなくていいの?"

 "予定? あるけど、行けなくはないよ"

 "ほんとに?"

 "わかった、気をつけて来てね"


 おばあちゃん、遅いな。やっぱり迎えに行けばよかった。


 ごめんなさい。ごめんなさい……。

 

 誰に謝ってるんだろう。私には、もう誰もいないのに。


   ◇     ◇     ◇


 少しだけ、うたた寝をしてしまった。私が目を開けた時、レインは私の膝に顎を置いて眠っていた。


「あっ」

 北田さんが沈黙を破る。三人に緊張が走る。

「出たよ」

 私とミエが画面を覗き込む。画面の右上に青いドットが点滅している。


 運転席と後部座席のあった私たちがいる空間を仕切るカーテンの隙間から、北田さんが博士に話しかける。


「神作さん。カイくんを見つけました。どこか、車を停められる場所を見つけてください」


   ◇     ◇     ◇


 カイが検知されたのは、予想通り運河沿いだった。


 街灯や店などはなく、暗い倉庫街のようだ。倉庫の入り口から死角になる場所に上手く車を停めると、北田さんが博士の持ってきた超小型の防犯用ドローンを操作して、倉庫の様子を調べることになった。どうして犯罪に悪用できそうなほど小さなドローンを博士が持っていたのか、私には不思議だったけれど、あえて口には出さなかった。


 車を停めると、すぐに倉庫の持ち主について調べてみた。現状としては、貸倉庫だが借り手のいない状態のようだ。貸倉庫の持ち主を調べても、特に犯人につながりそうな情報は出てこなかった。


 カイが検知された場所のデータも、さっき私の部屋にカイがいないか調べた時のように、建物の階層ごとに、サーモグラフィーのように青から赤で動く物体が映し出されるのかと思っていたけれど、カイを検知した青いドットと建物の外枠以外は何も映し出されていない。


「博士、この映像、さっきとはずいぶん違うのね」

「ああ、アパートとその周辺だけは、防犯のためにシステムを構築して、階層ごとに人や生き物の位置を表示できるように、データを読み込んで解析できるようにしてあったんだ。他の場所だと、地図上に検知された対象物をドットで表示することしか、今のところできない」

「あぁ。そういうこと」

 私の問いに、博士は淡々と答えたが、自分が住む建物が、常に見張られた状態にあったなんて、何とも気味が悪かった。


 ドローンから送られてくる映像は、なんの変哲もない古びた倉庫の外観で、倉庫内の電気はついておらず中の様子はさっぱりわからない。このままでは埒があかないと私が感じ始めたその時、博士は「様子を見てくるから、何かあったら逃げてくれ」と言い残して、私たちに引き止める間も与えず倉庫街の闇へと消えていった。


 それから五分ほどの間、北田さんとミエ、そして私の三人の間には沈黙だけが続いていた。私には、これからどうやってカイを助け出すのか想像できなかった。犯人の人数も、どれだけ危険な武器を所持しているかもまったくわからない。ミエも北田さんもただ手を組んだまま、検知されたカイが点滅する画面を見続けている。


 ジリジリとバイブ音が車内に響く。私はポケットの中の端末のスクリーンを確かめる。博士からの電話だ。ビデオは切られていて、博士の様子まではわからない。


「今すぐそこから逃げろ、できる限りバラバラに、個別に逃げた方がいい」

「博士? 今どこにいるの?」


 私の返事を待つかのように、博士が電話先で「わかったか、聞こえているか?」と繰り返している。私の声は博士に届いていないようだ。


 私の背後でミエの声がする。私が博士からの電話に出ている間に、犯人から送られてきた端末へも電話がかかってきたようだ。


「カイは無事なの?」


 ミエの物おじしない強気な声が車内に響く。


 博士からの電話は切れてしまった。私は端末のメモ帳に、


『博士から電話 

 今すぐ個別に逃げ得た方がいいと言われた 

 電話は切れてしまった』


 と入力して、二人に見せた。


 北田さんが私の隣に来て、電話の向こう側のカイを連れ去った犯人には聞こえないように、小さな声で耳打ちをしてきた。


「私とミエはそれぞれ私の家に向かう。ミエくんは、一旦この近くに一時的に身を寄せられる知り合いはいない?」


 私はカイの居場所を示した画面を見つめながら、どこかいい場所がないか考えた。駒井さんのところなら突然行っても怪しまれないし、近くではないが走って行ける距離だ。


「ここから走って三十分ほどの場所に知り合いの家があります。そこにいった後、私はどうすればいいですか?」

「とにかく身の安全を確保して。電話は盗聴されてしまうかもしれないから、落ち着いたら君にDR・Appで配達依頼を出すよ。そしたら承認して、集荷先の住所まで来てくれるかな?」


 北田さんは既にリュックを背ってバンから出る準備を始めている。

「わかりました」

 私は北田さんに返事をすると、レインに向かってこっちにおいでと手招きした。北田さんとミエが車の後部座席のスライドドアを静かに開けて外に出てた。私も二人に続いてバンから降りた。その直後、ミエが私の耳元で思いもよらないことをささやいた。


「研究所にいるときは、冷たくしてごめんなさい。色々事情があって、言えないことが多いの。おじさんの、神作のことは、無条件で信用すべきじゃない。気をつけて」

「え? どうして?」

 私の問いに答えることもなくミエは走り出した。


「じゃあ、あとで落ち合おう」

 北田さんはそう言うと、足音も立てずミエの後に続いて夜の闇の中に消えていった。


 レインは車から外に出れたのが嬉しいらしく、緊張感なく尻尾を思いっきり左右に振っている。運河沿いの空気は都会にしては澄んでいて、真っ暗な倉庫街のおかげで、普段よりも星が多く見える。レインにつられて私の緊張感まで薄れていった。


 ここからは倉庫が見える、あの中にカイがいるのに、どうして私はここから逃げなくちゃけないんだろう?


 私の気持ちを察したのか、レインも倉庫の方をじっと見つめている。


 倉庫の中から何かが崩れるような物音がした。扉の隙間から光が漏れていて、扉が開いているように見える。さっきまで電気が消えていて、扉も閉まってなかったっけ?


 私は『逃げたら一生後悔する』と自分に何度も言い聞かせて、倉庫に忍び寄った。

 やはり扉は開いているようだ。中には誰の姿も見えない。死角になるような物も置かれていないので誰かが隠れていることもなさそうだ。


 私は扉を静かに引いて、倉庫の中に入った。鉄の錆びた匂いがする。倉庫内は不思議なほどに静まり返っている。


 前方に赤茶色の扉が見える。倉庫の中はいくつかの部屋に区切られているようだ。私とレインは赤茶色の扉の前で立ち止まった。

 カイが検知された場所から考えると、この扉の向こうにカイがいるはず。カイは閉じ込められているはずなのに、この扉も隙間が開いた状態になっている。

 不審に思い立ち止まった私の足元をすり抜けて、レインが勢いよく扉の隙間から中に入ってしまった。


 仕方ない、一か八か、私は扉を勢いよく開け放ち中に入った。


 開け放った扉の向こう側に、カイの姿はなかった。さっきまで画面で確認できていたのに、カイはどこに消えてしまったのだろう。



 いや、誰かいる!



 部屋の片隅に立てかけられた鏡には、赤茶色の扉の枠の向こう——さっき私が勢いよく開けた扉のそばに佇むカイの姿が一人で映っている。カイが拘束されている様子はない。




 一体何が正しいの?

 誰を信じたらいいの?

 私は何を望んでいるの?

 私は、私は、私は、私は……。




 いくつもの疑問が浮かんでは消えていき、足元から崩れ落ちて、私はまた気を失った。

 薄れゆく意識の中で、私は遠い日の記憶に飲み込まれていった。


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