第7章 人の記憶を読み取れる女性と博士

(067)   Area 15 Everybody hurts 壊れた記憶

 --壊れた記憶-- #海


 僕と神作博士が店に戻ると、リクさんが店の奥の一角にあるソファーに腰掛けてくつろいでいた。リクさんの膝をさっきのオレンジ色の猫が、我が物顔で占拠している。膝の上は猫の定位置なのだろう、安心しきった様子であくびをしている。


「あっ、カイ。お疲れ〜」

 リクさんは呑気に、手をヒラヒラと振っている。


「あれ、リクさん用事はもう終わったんですか? ……っていうか、本当に用事なんてあったんですか? 僕を試すように博士に頼んでたなんて……」

「あぁ、ごめんね。一時間以上も走り回ってたんだって? さっき博士からメールもらったわ。用事があったのは本当よ。でも思ったより早く終わったから、カイが心配で見に来たの。あと、さん付けはやめて、なんか気持ち悪いから。リクのまま、呼び捨てでお願い」


 リクさんは『お願い』といったが、有無を言わせぬ物言いだ。


「それより、カイ、なんか顔色が悪いけど大丈夫?」


 この人、言葉では「心配で」とか「大丈夫?」とか言ってるけど、本当に心配してくれてるのかな、なんか、態度が軽すぎる……。

 リクの様子は言葉とは裏腹で、僕の悲痛な気持ちなどまったく意に介さないのか、相変わらず明るい調子でいるのだ。


 僕は昨日からの訳のわからない状況が続いていたせいで、目眩を起こしそうになっていた。ここでは常識なんて通用しないのかもしれない。


 僕はちょうどいい場所にある椅子が目に入って来たので、そこに腰掛けると、リクに面と向かって座った。


「あの、僕は、大丈夫かと言われると。あなたの、えっと、リクのこともまだ全然わからないし。今の状況が受け入れられていないというか。もう頭がいっぱいで……。とにかく、今までの事の経緯をちゃんと教えてください」


 僕がしどろもどろ話し出すと、リクは面倒臭そうに問いかけた。


「うーん。君ってかなり神経質で、理屈っぽかったりする?」

「いや、そんなに神経質じゃないと思うけど……」


 自分の置かれた状況をちゃんと理解したいだけなのに、神経質って言えるだろうか? 


 どちらかというと、まったくの他人である僕をここに連れてきたのは自分なのに、その上で僕が危ない人間じゃないか確認するために、博士に頼んで僕のことを試したりするリクの方が、僕よりずっと神経質なんじゃないだろうか? いや、無神経なのかも……。


 そうやって、頭の中でブツブツ考えていると、リクがぶっきらぼうに聞いてきた。


「そう。じゃー、カイは何が受け入れられないの?」

「えっと」


 突然知らないところに連れてこられたら、戸惑うと思うんだけどなぁ……。


 僕は、頭の中がパンクしそうになって目をつむった。とにかく、一つひとつはっきりさせないと。だけど、どこから聞けばいいんだ?

 わからないことだらけで、何をどうはっきりさせたらいいかわからない。


 しばらく考えた末に、まずは、時系列順に起きた出来事を確かめることにした。僕は目を開けると、昨日の夜リクに出会った瞬間を思い出して質問した。


「あの、まず第一に、昨日の夜、リクはどうして僕に話しかけてきたんですか?」


 リクは、質問の内容に驚いたようだった。もっと、核心に迫ったことを訊いてくると思っていたのだろうか。それでもリクは、そんな質問ならお安い御用とでも言うように、淡々と軽い調子で答え出した。


「あの時はね。一人でいると危ないし、あんな場所で何をしていたか怪しまれそうだったから、ちょうどいいと思って声をかけたのよ」

「ちょうどいいって、そんなに適当に他人を巻き込んで盾にするんですか?」


 僕はリクが事の真相を隠すために、話をはぐらかそうとしているんじゃないかと、心配になってきた。しかし、僕の心配をよそにリクは話を続けた。後で知ったことなのだが、彼女の軽い物言いはふざけている時だけではないらしい。


「えっとね、運河の向こう側、DA3では基本的に女や子どもは夜出歩かないの。特に一人ではね。

 でも昨日の夜は仕事で手間取っちゃって、気がついたらもう夜の十一時過ぎてたの。そんな時間に大通りに出るのは危険すぎて、どうしようかなって建物の入り口で悩んでたら、ちょうど道路の向かい側の建物の陰に座り込んでるカイを見つけたってわけ。

 どう、これで謎は解けた?」


 リクは自分の説明に満足したような表情をしている。ただ、その言い方には何処か取って付けたような違和感があった。


「自分の安全のために、僕を無理矢理引っ張ってきたんですね」

「無理矢理引っ張ってきたなんて、カイは大袈裟おおげさね……」

「あの、百歩譲ってリクが自分の安全のために僕を利用したことが事実だとして、どうして僕なら大丈夫だと思ったんですか?」

「うーん。大丈夫というか、何というか……使えそうだなって思ったの」

「使えそうって、まるで人を道具みたいに……。やっぱり、どうしても納得できないです」


 この人が言うことをどこまで間に受けていいのかわからない。カイはイライラしてくる気持ちを抑えながら、リクに聞き返した。


「そうね、君が困ってそうだったから。私のことも助けてくれるかと思ったのよ」


 もしかしてリクは、言葉で説明するのが極端に苦手なのか? 


 本当に、ただ大丈夫そうな感じがして、僕に話しかけてきたのかもしれない。僕は少しだけ、リクを信じたいと思う気持ちが出てきていた。


 でも、やっぱり納得できない。ここで引き下がったら何もうやむやなままになってしまう。だから、最後にもう一度だけ諦めず食い下がってみようと、まっすぐリクを見つめて、ゆっくり念を押すように訊いた。


「なんだか、ごまかされてる気がするんですけど、僕の気のせいですか?」

 一瞬目を合わせるのを避けようとしたリクだったが、思い直したのか、強い視線で僕を見返してきた。


「やっぱり、ダメか」

 リクは深くため息をついた。


「騙されやすくてお人好しのカイなら、納得はしなくても、引き下がってくれるかもって思ってたんだけどな。これ以上はぐらかしても無駄ね」


 やっぱりはぐらかしてたのか、もう少しで騙されるところだった。僕ってもしかして、リクの言った通り、騙されやすいお人好しなんだろうか? リクを信じそうになっていた僕は自分のナイーブさというか、浅はかさが妙に悲しくて、顔をしかめた。


 しばらく黙っていたリクは、僕の顔を見て、何かを決心したような顔つきで話し出した。


「君さ、自分のこと、わかんないんだよね?」

 リクの声のトーンは、さっきまでとは明らかに違って、真意をはぐらかそうとしている様子はない。


「はい」

「名前も、出身も。過去が抜け落ちてる」

「そうです」


 僕はMCP記憶制御された者だから、過去の記録がないのは当然だけど、何でそんなこと聞くんだろう?


「私が昨日、君に会った時に、MCPなのか聞いたの覚えてる?」

 僕はゆっくり思い返して、そして頷いた。


「あのさ、もしMCPなら、私、その人の記憶を問題なく読み取れるんだよね。何もかも」


 記憶を読み取れる?


「あの、どういうことですか?」

 今度は何か別の冗談だろうか?

「つまり、君はMCPじゃない。と、思う」

「……と、思う?」


 リクの曖昧だけれど真剣な物言いに、僕は今まで構えていた気持ちが一瞬緩んだ。もしかしたら、リクは本当のことを話しているのかもしれない。


「わかりやすく端的に言うわね。私には人の記憶を読み取る能力があるの」


 思いがけない話の展開に、カイは身を乗り出すようにして全神経をリクの言葉に集中させた。


「人の記憶を読み取る?」

「そう」


 話の内容が突飛すぎて、どんな反応をしたらいいのかわからない。SFじゃあるまいし、そんなことありえるのだろうか。僕はまたからかわれているんじゃないかと、不安になってきた。


「そんなことができるなんて、信じられない。僕をからかっているんですか?」

 僕はこれ以上からかわれるのが嫌で、口調がきつくなってしまった。


「君をからかって何の得になるのよ?」

 僕は、自分さえ知らない過去を他人に知られるなんて、ひどく怖いと思った。


「でも、それが本当なら、リクにはMCPのことが全部わかるんですか?」

「そうともいえるし、そうじゃなともいえる」

 リクは真剣な表情で、慎重に言葉を選びながら説明を続けた。


「君のことを知ろうとしたけど、わからないことが多すぎて不安になったから、神作博士に頼んで君を試したの」

「どういう意味かよくわかりません」


 リクの選ぶ言葉が曖昧過ぎて、僕は話の論点を見失いそうになる。リクは目線を落とすと瞼を閉じて、考えをまとめるためにゆっくり息を吸って吐いた。


「できる限りわかりやすく話してみるけど、わからないことがあったら質問して」


 さっきまで核心を避けて、話をはぐらかしてばかりいた人とは思えないリクの態度の変化に、僕は少々調子が狂いそうだった。


「普通、MCPの記憶っていうのは、本人の意識上に上がってこないように記憶の流れが制御されている状態にあるの。つまり、記憶は消えてはいなくて、鍵がかかっている状態に近い。本人が思い出そうとしても思い出せない、鍵が開かない状態。意識に上がってくるための手段を断ち切られた状態なの。

 でも、私は人の目を見ると、その人の記憶が私の中に流れ込んでくる。まるでホテルのマスターキーを持っているような感じ。部屋の鍵をなくしてしまって入れなくなった人の部屋にでも、私なら入れるの。……でも……」


「でも?」


「昨日通りの向こうで、君と目があった瞬間、私には断片的に崩れた映像のようなものが見えたの。そして、それは、記憶というにはあまりにももろいものだった」


「脆い? つまり、記憶が曖昧あいまいってことですか?」


「曖昧とは少し違う気がする。あえて言葉にするなら……『崩れた状態』って言うべきかな。つまり、君の記憶はMCU記憶制御装置で鍵をかけられた状態ではなくて、なんらかの衝撃で個々の記憶が互いにつながらなくなった状態にあるんじゃないかって思ってるの」


 リクの説明が終わっても、僕は何て言葉を返したらいいかわからず、しばらく沈黙が続いた。僕がMCPじゃないとか、記憶がつながってないとか、もう訳がわからない。


 僕は自分がとても危うい存在だと言われた気がして、ひどく不安になってしまった。僕には記憶を制御された施設で目覚めた時からの記憶しかない。だけど、それからの記憶ははっきりしている。僕はあの施設で、はっきりと自分がMCPであることを告げられた。なのにMCPじゃないなんて……。


 数分後、リクがその沈黙を破った。


「少なくとも、その時に流れてきた記憶の断片から、君が危ない人間じゃないって判断した。だから、橋を渡るまで一緒にいてもらおうと思って、引っ張ってきたの」

「やっぱり、引っ張ってきたんじゃないんですか」

 僕は責めるようにリクを見た。リクは少しバツの悪そうな顔をして、視線を逸らした。


「わかりました。僕を一時的に利用して橋に向かい、DA2に戻ってきたんですね。でも、橋を渡った後、なぜ僕を放っていかなかったんですか?」

 リクは斜め上に目線を動かして自分の記憶を探っているような表情をした。そして、僕の問いにリクは困ったような顔で答えた。


「それは、自分でもなぜか……よくわからない」

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