(006) Area 33 To love and be loved 海の見える丘
ミエは、長く激しい嵐から抜け出した船に乗っているかのように、静かで穏やかな表情を浮かべている。
「さっき二人が話していた通り、お母さんが死んだ時、あの人は——父さんは——その事実を私から隠した。
私はずっとお母さんっ子で、私のしていた研究は、お母さんが続けられなくなった薬の研究を引き継いだものだった。表向きには政府が望む『MCPが記憶制御されていた時の記憶が完全に消えてしまう薬』を開発しつつ、裏ではお母さんと情報交換しながら、『MCPが記憶制御されていた時の記憶をすべての保持したまま記憶制御を解除する薬』を開発していた。
お母さんの具合は悪くなる一方で、ある日、博士から、父さんがお母さんを凍結したと連絡を受けた。
お母さんの体はボロボロだったから、お母さんが凍結体になったと聞いた時には、不自然だとは思わなかった。——お母さんが死んでいるなんて夢にも思わなかった。
あの火事の夜に、永薪食堂で、父さんを問いただして知ったことだけれど——もし、お母さんの死亡届を出したら、MCU開発者の死亡はあっという間に世間に公表され、私の耳に届いてしまう。お母さんの死を私が受け入れられないと判断した父さんは、お母さんの死が私に伝わることを恐れ、お母さんの名前でカイを凍結することを思いついた。
ただ、父さんがどうしてカイを凍結したか私にはわからない。——凍結体のデータを私が閲覧できることを知っていた父さんが、凍結体がちゃんとデータベースをにないと不審がると思って、念には念をと一時的にカイを凍結したのか、他に何か理由があったのか、私には知る由もない。
お母さんを凍結したと博士から聞いた後、私は研究の鬼になって、朝も昼も夜も、研究に明け暮れた。薬の開発で体を壊したお母さんを助けるためだけに生きていた。自分でも、もしあの時、実はお母さんが死んでいるということを知らされていたら、生きる気力を失ってしまったんじゃないかと思う。
私は、子どもの頃から父さんを避けていたから、自立してからは特に疎遠になっていた。
だからあの人がどこで何をしていようが、気が付かなかったし、気にも留めなかった。何かあれば、博士から連絡が来ると思っていた。
カイのことも正直わからないことだらけだったから、一緒に脳科学研究所で働けることになった直後にカイが姿を消しても、正直あまり気に留めなかった。今思えば私はどうかしていたんだと思う。
お母さんが死んで、カイが凍結体になったことも知らずに、私は薬の開発を続けた。私は、薬の開発に成功すれば、お母さんを解凍して、薬の開発の実験台になってバラバラに崩れてしまったお母さんの記憶を正常な状態に戻して、また一緒に過ごせると信じていたの。
何とか薬の開発に成功した時、誰よりも初めにお母さんの記憶を元通りにしようと思った。お母さんの凍結体を解凍するには、凍結者が指名した者の許可が必要だったから、父さんに連絡しようとしたけれど、連絡がつかず、博士に聞いても居場所がわからなかった。
それどころか、過去過去数ヶ月間の足取りさえたどれなかった。
それから数日後、脳科学研究所全体で停電が発生した。無許可で何者かがMCUを作動したことにより、施設内の電力使用量がキャパシティーを超え、停電が起きたの。あの日の夜は、ほとんどの職員が設備の復旧に追われていた。
緊急招集による夜勤で十七時から勤務開始した私は、凍結体のコントロールルームの電気が回復した時にたまたま管制室に居合わせ、画面に表示された内容がおかしいことに気づいて、早速その内容について調べたの。
画面には『凍結体の状態:エラー』と表示されている凍結体IDが表示されていた。一時期ニュースになったFB—045REのことよ。そのIDの詳細欄をクリックすると、凍結体の氏名の欄に門崎千波と映し出された。
MCUが無許可で動かされたり、凍結体の状態がエラーと表示されている背後に父さんが関わっていることを疑った私は、即座にその凍結体に関するデータをコピーして、『凍結体の状態:エラー』となっているところを、なんとか『凍結体の状態:正常』に変更して、何事もなかったように業務を続けた。
コピーした凍結体のデータの詳細を調べたけど、何者かによって無理やり四月八日に凍結体の解凍が行われたということしかわからなかった。博士に相談しようかとも思ったけれど、セキュリティーの厳しい施設にいとも簡単に潜り込めそうな知り合いは博士しかいなかったから、逆に怪しくて相談できなかった。誰かが母さんを解凍して、どこかに閉じ込めて利用しているのかと思った。それからは、お母さんや父さん、そしてカイについてありとあらゆる手段を講じて調べた。
さすがに、凍結体の定期点検でデータを書き換えたことがバレるかと思ったけど、ここ数年は定期点検は簡略化されていて、私がしたデータの書き換えはバレず、内部ですら凍結体FB—045REが騒ぎになることはなかった。
父さんの居場所を見つけ出すのは至難の業だったけれど、ある日、誰かが私の研究データに外部から不正にアクセスしようとしている形跡を見つけた。アクセス元を探ったら、あの食堂に辿り着いた。DA3の食堂なんて、まさかとは思ったけれど、駄目元で確認しに行った。そうしたら、食堂の外でカイを見つけたの、でもカイは
それでも、しばらくして、もう一度、永薪食堂に行った。食堂に入れてもらうと、そこにはすっかり人が変わった父さんがいた。私は父さんに詰め寄って真実を聞き出した。私はお母さんが死んだことを聞かされた後、取り乱して、話を最後まで聞かずにその場から逃げ出してしまった。私はお母さんが死んでいたことに、何ヶ月前に既に死んでいた母親を取り戻そうと必死になっていたことに、動揺を隠せなかった。
父さんとあの日、もっとちゃんと話をするべきだった。あの日が最後になるなんて思わなかった。火事が起きるなんて、父さんが死ぬなんて、夢にも思わなかった。
その後しばらくは、父さんやカイのことは考えずに、MCUを破壊する方法ばかり考えていた。それからだいぶ経って、父さんに会いに行った日の夜に永薪食堂で火事が起きていたことを知った。急いで、食堂があった場所に確認に行った時には、時間が経ち過ぎていたからか、そこにはもう何もなかった。父さんやカイが死んだのか生きているのかも、噂程度の情報しか入って来なかった。
その後も、父さんやカイのについて確実な情報を得られずにいた私は、警察や政府を動かして二人を探すことはできないかと考えた。
そこで、マスコミに、凍結体FB—045REが消失したという情報を流したの。そのニュースは、すぐに国中で報道された。
緊急で行われた警察と凍結体を保管管理している内部のチームによる調査では、明らかにバックアップデータとリアルタイムデータの相違が認められ、存在するはずの凍結体が消失ていることがわかったはず。——なのに、マスコミ向けには、調査の結果、凍結体FB—045REは消えたのではなく、外部からのリアルタイムデータの書き換えにより追加された偽のIDであるとし、凍結体自体が存在しなかったと発表された。
さすがにデータの書き変えられたの凍結体の名前がMCUの開発者である門崎千波だったから、警察や政府、関係施設の上層部は、門崎千波の家族や関係者、そしてMC反対派についても調査したみたいだけど、どこからも私が自分で調べた以上の情報は上がってこなかったし、彼らは、私が凍結体のデータを、『エラー』から『正常』に書き換えたことさえ、見抜けなかったみたい。
だから結局、父さんやカイに関する情報は自分で探す以外に方法がなかった。
私は常にDA3の情報にはアンテナを貼っている状態たっだ。永薪海と名乗る男がバラックに住んでいるとの噂を聞いて確認に行ったけど、タイミングを見計らったようにバラックは火事で燃えてしまった。
本当は、バラック周辺でカイを探し続けたかったけれど、永薪食堂とバラックの火事が偶然起きたものとは思えなかったから、怖くなってバラックからすぐに離れたの」
ミエはずっと俯いて話していた。ここ一年間の出来事は、思い出すだけでも相当辛いのだろう。
「ねえ、僕はずっと門崎カイだったと思うんだけど、いつ、どうやって鷺沼に変わったのか、ミエは知ってる?」
「苗字が変わったのは、去年の十一月の末ごろよ。
食堂で父さんから聞いた話によると、母さんが死んだ直後、父さんが凍結体の管理システムにハッキングをかけ、母さんが昔、行方不明の祖父にのために申請しておいた凍結登録ナンバーを使い、母さんの名前で凍結者登録を完了させた。そして、国立第一脳科学研究所の地下にある凍結施設に忍び込んで、門崎千波を凍結したように見せかけ、実際はカイを凍結した。
その直後、父さんは、苗字を変えて身を隠しやすくするために、父さんは離婚届を提出した。
離婚届は、何年も前にお母さんがサインした書類を父さんに渡していたみたいで、あっという間に受理されたみたい。
父は母の苗字から旧姓の鷺沼に戻り、カイの苗字を鷺沼に変えたみたい。だから、今、国に登録されているあなたの名前は父さんの旧姓の鷺沼カイなの」
父さんは名前を旧姓に戻したのに、その名前さえ捨てて偽名を使い、記憶を失った僕とあの食堂で暮らしながら、一体何を感じていたんだろう。
ミエはずっと一人で、どれほど苦しかったんだろう。
◇ ◇ ◇
朝日が海面に反射して、キラキラと眩しく輝いている。僕は、海を見つめる姉さんの横顔をじっと見つめていた。
しばらくすると、北田さんがレインを抱えて戻ってきた。
レインは満足そうな顔で北田さんにもたれかかっているが、北田さんはかなりくたびれているようだ。
車を降りる前と後で大きな変化はないけれど、僕は、心の重石が少しだけ軽くなっていた。ミエと北田さんも、肩の荷が下りたように足取りが少し軽いように思えた。
それでも、何事もなかったかのように全員が車に乗り込むと、隠れ家を目指して車は再び走り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます