第5章 部品工場とトキさん
(082) Area 11 Despair 歪んだ記憶でできた街
--歪んだ記憶でできた街-- #海
穴見さんが去ったあの日から、過去の自分やオヤジさんのことについて何の手がかりも得られないまま時が流れ、季節は秋へと移り変わった。
この頃には朝や夜は冷え込んで、葉の色は変わり落ち葉も増えてきて、コートが無いと外を歩くには寒かった。
街外れの部品工場では、IDのない、身元を証明できない多くの人間が身をひそめながら働いている。
あの火事の夜に行き場を失った僕は、穴見さんに紹介してもらった工場で日雇い労働者として働いている。
◇ ◇ ◇
紹介状を手に初めて工場へ行った日、工場の塀の外にあるインターホンを何度も鳴らしても、部品工場の社員は僕のことを不審がっていたのか、返事さえしてくれなかった。
それどころか、門には看板一つ出ていないので、本当に部品工場かわからず、人が働いているのかさえ怪しかった。
それでも、そのまま帰るわけにもいかないので、カメラ越しに穴見さんが用意してくれた紹介状を見せながら「穴見さんからの紹介できました」と何度か言うと、数分間の沈黙ののちに「いま向かう」と返事があり、しばらくしてドアが開いた。
建物の中に入ると、小柄な男性に「ついて来てください」と言われた。
その人の後について、廊下を何度か曲がると、ドアに『Private』と書かれてた小さなプレートの掛かった部屋の前にたどり着いた。僕はその部屋に通された。
部屋の内装はシンプルで、白とグレーを基調としていた。
窓を背にしてかなり大きなデスクと椅子があり、デスクの隣にキャスター付きのキャビネットがありその上には小さなサボテンの鉢が乗っていた。部屋の一番奥には会議用と思われる十人掛けの楕円形のテーブルがあり、部屋に入ってすぐ右側にコーヒーテーブルを挟んで大きめのソファーが二台並んでいた。
部屋には背が高く、肩幅の広い白髪まじりの男性だけいて、その男性は作業着の上にコートを羽織り、出かける準備をしていた。
「ここの工場長をしている、
「あの、はい、そうです。えっと。これが紹介状です」
名前を知られていたことに驚いて、しっかり受け答えできない。慌てて紹介状を渡すと、工場長は無言で受け取り、封を開けて中に入っていた数枚の紙に目を通した。
「やっと向こう側に行ったんだな」
工場長は誰に言うでもなく小さく呟くと、読み終わった紙のうち一枚を半分に折って、その紙を僕に返してきた。
「家に帰ってから読め」
「あ、はい」
「今日は忙しくてな、話している暇がないんだ」
工場長はデスクの横にあるキャビネットの引き出しから分厚いカードを取り出し、僕にそのカードを手渡してきた。
「今日からおまえのものだ。ここに入る時に必ず持ってこい」
受け取ったカードは工場に入構するためのIDだった。
「K Anami……。これって」
「ああ、穴見のだ。ここじゃ細かいこと気にするやつはいないから、それを使ってくれ」
「ありがとうございます」
IDカードを渡された以外に手続きはなく、工場の入り口まで送ると言われ、僕は工場長の後について部屋を出た。入り口に着くと工場長はドアノブに手を置いた。
「ここには毎朝八時に来れば仕事ができる。すまないが、日雇いで契約書はない。その代わり、毎朝前払いだ。細かいことは何も決まっていない。とにかく、周りのやつと上手くやってくれ。
工場長は説明を終えると、ドアを開けた。促されるままに僕が外に出ると、背中越しに、工場長がため息混じりに呟いた。
「穴見はいいやつだったよ」
仕事をくれたお礼を言おうと振り向いたが、お礼を言う暇もなくドアが静かに閉まり、中からカチャっと鍵がかかる音がした。
◇ ◇ ◇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます