(095)   Area 5 Awake 『夢』

 キッチンのカウンター越しに、食堂の入り口に目をやると、オヤジさんが配達されてきた食材が入った大きなダンボール箱を抱えて、運び込んでくるところだった。新鮮な野菜が手に入ったのか、オヤジさんは上機嫌だ。


 ここでは今日もいつもと同じ平和な時間が流れている。なのに気が付くと僕は、その平和な日常をかき乱すように、キッチンに入ってきたオヤジさんに、ここ数週間ずっと考えていた質問を投げかけていた。


「オヤジさん、僕はMCPで、あと半年ほどすると施設に戻されて、回復者になるんですよね?」


 想像していたよりずっと簡単に、躊躇うことなく口から出た言葉に、自分でも戸惑っていると、オヤジさんが凍りついたように硬い表情で、静かに聞き返してきた。


「どこでそんな話を聞いたんだ?」


 オヤジさんは怒っている様子ではないけれど、明らかに動揺を隠せない様子で、僕の目を強く見返してくる。


 オヤジさんがなぜそんなに動揺しているのか、僕にはまったくわからなかった。


「ここに来る前に、記憶を消された施設で聞きました。僕の担当だというセンバという名前の女性から説明を受けたんです。僕の刑期はMCPになって働くことにより減刑され、四月の時点で残り十ヶ月になると。MCPとして無事働き終えたら、二月八日にすべて元通りになると……」


 オヤジさんはひどく困惑した表情を浮かべ、眉間にしわを寄せている。


 オヤジさんは僕を、つまりMCPを受け入れた時点で、いつかその日が、僕が回復者となる日が来ることは知っていたんじゃないのか? 


 まさか何も知らなかったなんてことがあるんだろうか?


 僕は、オヤジさんの予想外の反応に、これ以上どう話を続けていけばいいかわからなくなってしまった。


「二月八日。あと十ヶ月……。センバ?」

「はい、小柄な女性で、すごく優しそうな人でした。でも、妙に無表情で……」


 オヤジさんは目を閉じて眉をしかめている。


 酷く厳しい表情で、考え込んでいるように見えた。オヤジさんは、野菜の入った段ボール箱を床に置くと、キッチンとダイニングエリアを仕切る壁にもたれかかった。そして、少し考えるように目を伏せたあと、問いかけてきた。


「MCPになった施設で何か他にも聞いたのか?」


 僕の脳裏にはっきりとあの日の光景が映し出される。

 僕は、少しだけ躊躇いながらも、あの日のことをゆっくりと話し出した。


   ◇     ◇     ◇


 そう、この食堂に来る前日、僕はDA2の湿島というエリアにある施設で僕は目を覚ました。そして、そこでさまざまな説明を受けた。


 あの日、僕は、ベッドの他には何もない殺風景な部屋で目を覚ました。その部屋に窓はなく、人工的な光が部屋中を異常に白く照らしていた。耳に音がまったく入ってこない。


 まるで、透明の殻の中に閉じ込められているような感覚に包まれていた。


 自分がなぜこの部屋にいて、そしてなぜここで寝ているのか、まったくわからなかった。何もわからないまま天井を見上げていた。永遠とも一瞬とも感じられる時間がそこにあった。


 少しずつ、手足の先から徐々に、体に感覚が戻ってくる。


 意識に上がってくる数えきれない疑問を押しのけるように頭を左右に振ると、僕はベッドの上でゆっくりと起き上がった。どれだけ長い間寝ていたのだろう。体の節々が痛み、痺れだした。蛍光灯の光が瞼の裏に映りこみ、眩しさで頭痛が起きた。


 ベッドの上で起き上がってからおそらく数分たった頃、白衣を着た男が部屋に入ってきた。その男は僕と目を合わせることもなく、

「向かいの部屋で説明することがあるから、私についてくるように」

 と言った。


 僕はその男の言葉に引っ張られるかのように立ち上がると、ふらつく足で歩き出した。頭痛と目眩のせいで視界に入るすべてが歪んで見えた。


 まるで、すべての感情が欠落したような無表情の男に続いて部屋から出ると、人がすれ違うのがやっとの、幅の狭い廊下が左右に数十メートルほど伸びていた。そして、五メートルほどの間隔でドアが、廊下を挟んで両側の壁に対になって、規則正しく並んでいるのが見えた。どのドアも閉まっていて、廊下に人影はなかった。


 男が向かいのドアを開けて中に入ると、僕も続いて部屋に入った、その部屋は天井から床まですべてコンクリートでできていた。こちらの部屋は、さっきまでいた部屋とは対照的に照明が薄暗く、すべてが灰色で、冷たい空間が広がっていた。窓が一つあるが、灰色のブラインドがかかっていて、外の様子はまったくわからなかった。


 部屋の壁には全身が映る大きな鏡が掛かっていた。目が霞んでいて、鏡の中には映る自分の姿はよく見えなかった。鏡の他には、アルミ製の折りたたみテーブルとパイプ椅子が二脚だけ置いてあり、僕は奥の椅子に座るように言われた。続いて小柄の女性がノートパソコンと紙の束を抱えて部屋に入ってきた。


 女性は向かいの椅子に腰掛けると、数枚の紙をテーブルの上に広げて、ノートパソコンを開けた。


「担当のセンバです」


 よく響く透き通った声だった。


「この紙を見てください。読めますか?」

「はい」


 紙には大きな文字で『MCP2102_BD19112085』と書かれていた。


「少しずつ話すので、落ち着いて聞いてください。わからないことや、気になることがあったら、いつでも質問してください」


 僕が首を縦に振ると、センバというその女性は説明を始めた。彼女の声は無機質で、感情の起伏がなく、まるで機械から聞こえる音のようだった。


「まずはこの書類を確認してください」


 彼女がデーブルの上に広げて見せた紙は、僕の自署入りの同意書と契約書だった。


   ◇     ◇     ◇


 説明の内容は多岐に渡っていた。


 まず、僕が僕自身の意思でこの施設に来たことを、僕の自署入りの同意書と契約書を確認後に、契約締結時の映像を用いて、その時の状況が説明された。その映像には紛れもなく鏡の中に映る人と同じ人の姿が映っていて、筆跡も間違いなく僕のものだった。渡された真っ白の紙にペンを走らせると、記憶がないのに同じ署名が書けた。知らない人間が自分の中に隠れているように思えて、不気味でしかたなかった。


 その後、施設についての簡単な説明を受けた。


 僕は、自分が何の意思も持たない人形なのではないかと言う錯覚に陥った。なぜなら、自分にとって重要な話を聞いているはずなのに、話にまったく興味が持てなかったからだ。


 時々、理解できているか、質問はないかと確認を挟みながら、彼女は淡々と説明を続けた。僕に施された記憶制御技術の概要やMCP(メモリーコントロールドパーソン:記憶制御された者)が思い出せる記憶の範囲、そして、記憶制御技術の使用が認められるようになった歴史的・社会的背景について、かなり詳しい説明を受けた。


 簡単にいうと、記憶制御の仕組みとそれに関する歴史はこんな感じだった。


『今から約二十年前、二〇八二年に、ある科学者が、ある薬剤を用いて、脳の神経細胞ニューロンから電気信号がシナプスに到達した際の神経伝達物質の働きを抑制することにより、記憶を制御することに成功した。


 また、記憶の制御の際には、同時に開発していたMCUと呼ばれる装置を用いることで、脳内の記憶の流れを解析し、制御する記憶の種類や期間などを選択することも可能となった。


 以降、この国では、必要に応じてMCUが用いられ、人間の記憶は制御されている。


 MCUはメモリーコントロールユニット(記憶制御装置)の略で、MCUにかけられた人をMCP(メモリーコントロールドパーソン:記憶制御された者)と呼ぶということだった。』


 つまり、僕はMCU(記憶制御装置)にかけられたMCP(記憶制御された者)で、記憶を消されたのではなく、思い出せないように鍵をかけられた状態になっているとのことだった。


 ただ、詳しい装置や契約内容の説明とは裏腹に、一連の説明が終わっても、僕自身の個人情報や記憶制御解除後の立場や処遇については、ほとんど明かされることはなかった。

 それらについては記憶制御解除の日に明らかにされるらしく、今説明をしてくれている彼女にも、僕の個人情報は氏名さえ開示されていないとのことだった。しかし、MCPは政府が管理しており、MCP自身の身の安全も保証されているとのことだった。


 最後に、記憶制御の解除日が来年の二月八日であることを告げられた。


   ◇     ◇     ◇


 ここまで話し終えると、夢から目覚めるように、僕の意識が永薪食堂に引き戻されてきた。


 そう、あと半年もすれば二月八日になる。その時、僕は何を知るのだろう……。


 オヤジさんは床に置いた食材の入ったダンボール箱を持ち上げると、キッチンのカウンターに運んで、僕から目を逸らしたまま、話を切り出した。


「すべて元通りになれば……」

 僕はその先を聞くことが怖くて、遮るように言った。

「あの、その時に、僕をここで本当に雇ってもらうことはできませんか?」

 すると、オヤジさんは驚いた様子で、顔を上げて僕を見て尋ねた。

「本当にそうしたいのか?」


 そして、こう続けた。


うみは、今、幸せか?」


   ◇     ◇     ◇


 その日の夕方、僕は店の前で向日葵にホースで水やりをしていた。

 オヤジさんの質問に答えられないまま、一日がダラダラと過ぎていった。


 店の前の電信柱に止まった蝉が、この夏が、この時が、永遠に続くように、いつまでもいつまでも鳴き続けていた。


 数日後、まるで初めからいなかったかのように、蝉の鳴き声は消えていた。

 ふと、寂しさがこみ上げてきて、電信柱の陰に落ちている蝉の亡骸を直視できなかった。

 

 それでも、その時の僕はまだわかっていなかった。

 永遠に続くものなど、この世には存在しないということを。

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