(060)   Area 16 With... 写真の中の場所

 --写真の中の場所-- #カイ


「ねえ、本当にここで間違いないの?」


 巨大な工場の壁の脇に長屋のように連なっている五軒の家を見て、僕は落胆していた。どの家も手入れされている様子はなく、窓ガラスが割れている家まである。


「そうよ。もうほとんど何も残ってないって言ったでしょ」

「あれが、国立第四脳科学研究所?」

「そうよ。でも、敷地が広いから、研究所の建物はここからだいぶ遠くにところにあるわ」


 リクはここの現状を実際に見て知っていたのだろう。驚くこともなく、僕と家をゆっくり交互に見ている。ひっそりと佇む家に人の気配はなく、誰も住んでいないようだ。


「ここに住んでいた人たちはどうなったの?」


 僕は昨日このエリアの情報をネットで調べたが、ここはDA2の中でも特殊なエリアのようで、周辺の政府関連施設の公式ウェブサイトしか情報がほとんど見つからなかった。


「詳しくは知らないけど、数年前に見かけた記事によると、最後までここに住んでいた人は両親が施設建設の反対派で、ここに一緒に残ったらしいわ。けれど、両親が亡くなってから一人でここに残る必要もないと判断して、出て行ったみたい。まあ、どこまで本当のことかわからないけどね」


「じゃあ、ここの家は今は全部空家なんだね」


 かつては美しく手入れされていたであろう家の前庭は荒れ果て、雑草が生い茂っている。タブレット端末の写真に映る風景とのあまりの違いに、僕は寂しさを覚えた。


「そうね、どっちみちここに残っても近隣にはスーパーやコンビニさえないから、不便なだけだろうし」


 リクは歩道に転がる小石を蹴りながら、僕と家の間を何度も弧を描きながら、トボトボと行ったり来たりしている。


「このエリアに研究施設の建設計画が持ち上がった頃、国内はひどい食糧難でね、その問題を解決するためなら、多少の無理は通ったのよ。だから、このエリアに反対派が残っても無駄だった。ひどい話かもしれないけど、周辺のバスの路線は廃止されて、スーパーやコンビニは、国に言われるがままにこのエリアの店舗を閉鎖したの……。いくら抵抗しても、生活基盤がなくなったら出て行くしかないものね」


 周辺の道路や歩道、建物などは管理が行き届いており、道路脇にはさまざまな植物が植えられていて、エリアの緑化も進んでいる。

 とても整備されたエリアなのに、五軒の古い家だけが時間に置いてけぼりにされたかのように、くすんで見えた。


 僕は端末のスクリーンに映る写真と目の前の景色を、何度も何度も見比べた。


 気が付くと、リクが腕組みをして僕の隣に立っていた。


「やっぱり誰もいないみたいね。窓に近づいて家の中を覗けるだけ覗いてみたけど、部屋の中は空っぽで、電気もついてなくて薄暗いし、人気はなかったわ。全部の家の中を確認できたわけじゃないけど、こんなにさびれた場所に住んでる人はいないと思うわ」


 僕も家の中をできる限り覗いてみたが、前庭に面した部屋の窓のほとんどは雨戸が閉まっていて中が覗けなかったし、中が見えている部屋はガランとしていて、生活感がまったくなかった。


 加えて、僕につながるようなものは見当たらなかった。この場所はオヤジさんに関係するだけで、僕とはまったく関係ない場所なのかもしれない。


「ここが写真に写っている場所で間違いないのに、新しい情報は何も得られないなんて……」


 僕は途方に暮れていた。けれど、まだ諦めがつかなかった。もしここで完全に諦めてしまったら、本当の自分もオヤジさんのことも何もかもわからずじまいになってしまいそうで怖かった。何かせずにはいられない衝動に駆られていた。でも、具体的に何をすればいいかはまったくわからずにいた。


 僕は一時間ほど、真ん中の家の玄関脇に腰掛けて考えを巡らせていた。


 リクも並んで腰掛けていたが、踏ん切りがつかない僕の背中を押すように勢いよく立ち上がると、僕の肩を軽く叩いた。


「カイ、帰ろっか」

「そうだね」


 小さく頷くと、僕はタブレット端末をリュックにしまい、ゆっくり立ち上がり、歩き出した。


   ◇     ◇     ◇


「みっちゃんは元気にしてるかい?」


 帰ろうとした直後、背後からしわがれた声が追いかけてきた。


 振り向くと、小柄で少し背中の曲がった白髪のおばあさんが、工場に接した家の隣の家、つまり左から数えて二軒目の家のドアの前に立っていた。


 足が悪いようで、杖をついており、何とも頼りない足取りで僕たちに向かって近づいてくる。


 誰もいないと思っていた家に人がいただけでも驚きなのに、まるで知り合いのように話しかけてくるので、僕とリクは戸惑ったまま、無言でそのおばあさんを凝視した。


「みっちゃんは元気にしてるかい?」

 おばあさんが僕の目の前までくると、同じ質問を繰り返しながら、まっすぐ見上げてきた。

「カイ、みっちゃんは元気にしてるのかい?」

 また、カイ……。この人、僕を知ってるの?

「えっと……」

 僕がまともに返事できずにいると、リクが横から割って入ってきた。

「おばあさん、この子を知ってるの?」


 リクは本当は警戒してるのだろうが、もし警戒していたとしても、その警戒心を表にまったく出すことなく、臆することもなく話しかけている。


「ああ、カイのことはずーっと小さい時から知ってるよ。お姉ちゃんっ子で、カイはいつもみっちゃんと遊んでた。お嬢さんはどなた?」

「私はリク。カイの友達です」

「そうかい、私の知らないうちに、カイにもやっと友達ができたんだね。よかった、よかった」

「あの、私たちカイのお姉さんを探しているんですけど、最後に会ったのはいつですか?」


 リクはカイの姉のことなど初耳のはずだが、カイにつながる手がかりを逃すまいと、おばあさんに問いかけているようだ。


「ああ、先々週の金曜かな? いつもは毎週来てくれるんだけど、先週は無理だったみたいだね。どうしたんだろう、何だか心配だね」

 リクは他人に調子を合わせて話すのが得意なようで、よどみなく自然に会話をつないでいく。


「確かに、それは心配ですね。おばあさんから電話してみてはどうですか?」

 少なくとも、今のところ、おばあさんに怪しまれてはいなさそうだ。


「電話できないんだよ。いつも呼ばなくても来てくれてたから、連絡先を聞いていなくてね」

「そうですか。それじゃあ、住んでいるところや仕事しているところも知りませんか?」


 僕は、見知らぬおばあさんにあれこれ質問し続けるリクの上着の袖を引っ張って、おばあさんに聞こえないようにリクの耳元にささやいた。

「適当なことばっかり言わないでください。バレたらどうするんですか?」

 僕はおばあさんを警戒していた。もし昔の自分が犯罪を犯すような危ない人間なら、このおばあさんも、その犯罪に関わっていてもおかしくはない。


 昔の僕を知っている人をそう簡単に信用していいとは思えない。


「いいじゃないの、何か手がかりが掴めるかもしれないじゃない」

 リクが僕に耳打ちする。そして、僕の心配をよそに、リクはおばあさんの方に向き直ると、平然と嘘を並べ立てた。


「カイもお姉さんと連絡が取れなくて、お姉さんのことが心配でここに来たんです」

 今のリクに何を言っても無駄なようだ。彼女は結局、自分の好きなようにしか行動しない。僕は諦めて話を合わせることにした。


「あの、姉は最後に来た時に何か言ってませんでしたか?」

 おばあさんは目を丸くしている。何か間違ったことを言ったのだろうか。


「おやおや、よそよそしい喋り方で話しかけないでちょうだい。本当にカイはすっかり変わったんだね。まるで別人のようだよ」

 そっか、『カイ』の喋り方が以前とは違うのか……。僕は自分が喋ると簡単にボロが出てしまうことがわかり、不安で表情がこわばってしまった。


 やっぱり、ここには長居しない方がいいと思い、僕はリクに視線を移した。


 おばあさんがその様子を見て、僕が去ろうとしていることを察したのか、引き止めるように誘ってきた。


「二人とも、私の家でお茶でも飲んで行かないかい?」


 正直なところ、僕もおばあさんが知っていることを聞き出したくてしょうがなかった。それでも、今日のところは出直して、このおばあさんのことについてちゃんと調べた方が良いと思い、おばあさんの誘いを断ろうとした。

 その矢先に、僕の思いを知ってか知らずか、リクが返事し、誘いを受け入れてしまった。


「もちろん、喜んで!」

 リクの返事と同時におばあさんの表情がぱっと明るくなった。

「よかった、よかった」

 おばあさんは家に向かい歩き出した。そしてリクは、さっさとおばあさんの後について行った。


 僕は、この状況でおばあさんをどこまで信用していいかわからず、警戒心を緩めることはできなかったが、迷いを振り切るように勢いよくリクの後を追いかけていった。

 

   ◇     ◇     ◇


 この時なぜリクが突き進んだのか、その理由を僕はあとになって知った。


 彼女には後悔し続けている過去がある。後悔の一つや二つは誰にでもあって、他人からすれば大したことではないかもけれど、当人にとってはどうしようもなく大きな出来事で、取り返しのつかないこともある。


 好機を逃したら二度目は無いかもしれないのだ。


 突き進むか逃げるか、二つに一つしか道がない時、逃げる道を選んでしまったら、あり得たかもしれない未来に取り憑かれて生きて行くしかない。そして、目的地までの道筋が見えない時には、目の前に差し出された糸がどんなに不確かなものでも、その糸を手繰り寄せるように進むしか道はないのだ。


 たとえその先に何が待ち受けていたとしても。

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