(035)   Area 24 Flickering 停電

 --停電--#カイ


 サシャの家に戻ると、柏原さんがダイニングテーブルに座ってコーヒーを飲んでいた。暖炉の上の掛け時計が一時二十分を指している。


「やあ、カイくん。今日はDA3に向かうよ」

「今日ですか?」

 柏原さんの言葉に僕が驚いて問いかけた。

「そうだよ。すぐに出発しないとね。もたもたしていると誰に嗅ぎつけられるかわからないから」


 しかし、言葉とは裏腹に、柏原さんはたっぷりと時間をかけてコーヒーを飲み終えた。


「さあ行こう」


 柏原さんはサシャの家を出ると、地下世界について話し出した。


「少し錆びれてるけど、なかなかいい場所だと思わないか?」

「昼間は照明がついていて、地上と同じくらい明るいのには驚きました」


 昨日の夜は不気味な場所だと思ったけど、こんなに明るいならしばらくの間住んでも窮屈ではないだろうと思った。


「そうだね。数年前まではこんなに明るくなかったけど、色々と改善されてきたからね。暗い空間に住んでいると、多くの人が鬱になってしまうんだ……」


 そう言えば、舵の記憶の中で見た五年前の地下世界はどこも薄暗かった。おそらく、僕が舵たちに協力した三年前と比べても、ずいぶん住みやすくなっているのだろう。


「ここにはどれだけの人が住んでいるんですか?」


 今歩いている道に人はほとんどいないけれど、コンビニのような店の中には少なからず買い物客がいるのが見えた。


「二十四時間ずっと地下世界で生活している人は三百人くらいかな? 資源やスペースの問題があって簡単には増やせないんだよ。それにDA3から移って来た人は数十人だ」

「たった数十人」

「DA3までの抜け道ができてから、まだ数週間しか経っていないんだ。今までMCPがこちら側に来る手段はなかったから、それが可能になっただけでも大きな進歩なんだよ。だけど、ここにいても完全な自由はないよ。だから根本的な問題の解決にはならない」

「でも、少しでもDA3から出られた人がいるなんて嬉しいです」


 そう言いながらも、もう少し早くDA3までの抜け道ができていたら、穴見さんは助かっていたかもしれないと思うと、僕は悔しくてならなかった。


 話を聞きながら歩くうちに、天井の高い開けた空間から、背の高い人では屈んで歩かないといけない天井の低いトンネルを抜けて、どこかの古い地下鉄の線路に抜け出た。線路にはオレンジ色の薄暗い照明しかなく、三人と一匹の足音が反響する。


「君は、自分自身のことは何も覚えていない。それは間違いないね?」

「はい」

 僕は自分の何もない記憶の奥底を探って虚しくなった。


「君は協力したいと言ったけど、何か策はある?」

「今はまだないです。ただ、僕を囮に使うことはできるんじゃないかと」

「そうだね、君の父親か母親が生きていれば、囮に使えるかもしれない」

「二人が今どこにいるかわかりますか?」

「……君は本当に何も覚えていないんだね」

「どういう意味ですか?」


 柏原さんと僕の会話がどこまで聞こえているのかわからないが、リクは始終無言で僕たちの後をついてきている。線路の途中で避難用に作られたであろう横道に逸れた。どこか見覚えのあるドアを柏原さんが開けると、床も天井も壁もすべてコンクリートでできた無機質な長い廊下がまっすぐ伸びていた。そのを進むと、その行き止まりに鉄の扉が見えてきた。そうかここは舵に見せられた記憶の中で見た場所なんだ。


「着いたよ」

「柏原さんの病院ですか?」

「よくわかったね。そっか、舵の記憶の中で見たんだね。ここは私の病院、兼、自宅だ」


 柏原さんが開けた扉を押さえている。僕とリクに続いてレインが中に入ると、柏原さんはそっと扉を閉めた。


 その瞬間、目の前が真っ暗になった。


「停電……⁈」


 リクが思わず声を上げた。レインが僕の足元にすり寄ってきた。柏原さんが携帯端末のフラッシュライトをつけた。

「すぐに非常電源に切り替わるはずなんだけど……。ちょっと見てくるよ」

 柏原さんが行ってしまうと、部屋は再び真っ暗になった。

「カイ、大丈夫?」

「大丈夫だよ。リク後ろにいる」


 非常電源が動き出したのか、照明がチカチカと点滅した。その瞬間、まるで地震でも起きたように足元が揺らいでドスン倒れ込み、僕は床にうずくまってしまった。


   ◇     ◇     ◇

 

 "世界の国々はどうしてこんなに孤立してしまったんですか?"


 "それは、なんだろうな。理由は単純じゃない。政治的な対立、環境破壊、資源の枯渇、などなど。ちょっと昔には、科学の発展がすべてを救う鍵だなんて考えた時代もあったみたいだが、思った通りにはいかなかったみたいだな"


 "僕たちは、どこへ向かうべきなんでしょう……"


 僕がそう言ったきり、博士は天井を見つめたまま、何も言わなくなった。



「カイ⁈ カイ!」

 苦しい。

「博士……」

「博士? 博士はここにはいないよ」


 目を開くと、レインが鼻を思い切り突っ込むようにして顔中を舐めてきた。


「カイ、どうしたの、どこか具合が悪いの?」

 リクが心配そうに覗き込んでくる。

「いや、大丈夫。少し気分が悪かっただけ」


 リクに支えてもらいながら立ち上がると、僕は改めて部屋を見回した。ドアのすぐそばには舵の記憶の中で見た物と同じ長椅子があったので、僕はそこに腰掛けた。


   ◇     ◇     ◇


 しばらくすると、柏原さんが戻ってきた。


「非常電源は壊れていたみたいだけど、停電は治ったみたいだね」

 柏原さんは非常電源が壊れていたことが相当ショックだったのか、髪の毛をくしゃくしゃに掻きむしっている。

 リクは柏原さんの様子を気にすることもなく、部屋中を興味深そうに見て回っている。

「柏原さん、この病院には柏原さんしかいないんですか?」

「まあね。ここは小さな診療所で、奥が我が家だ。他には誰もいないよ。舵たちはもうすぐここに来るから、家の方に行こう」


 診療所の奥は普通の家のリビングになっていた。リビングにはソファーとコーヒーテーブルと壁一面の本棚があり、奥のダイニングキッチンには、六人がけのダイニングテーブルが見えた。大家族が生活できそうなほど広い部屋だ。そして、リビングの右奥にはダイニングキッチンがあるようだ。


「一人で住むには広すぎるだろ?」

 僕の気持ちを読んだかのように、柏原さんが小さく眉を上げている。

「何か飲み物を出すね」

「ありがとうございます」


 柏原さんはキッチンに向かっていった。リクは早速ソファーに腰掛けて、レインを撫でている。きっと彼女なりに落ち着こうとしているんだろう。


 僕は柏原さんに確かめたいことがあってキッチンに向かうと、ちょうどヤカンのお湯が沸いたところだった。


「コーヒーでいいかな?」

「はい」

 柏原さんは食器棚からコップを取って、カウンターに並べている。


「あの、あなたたちはどうやってMCUの破壊とMCPの解放を実現し、DA3に住む人々の人権を回復しようとしているんですか?」

 僕はリクには聞こえないように声のトーンを落として訊いた。

「みんなが集まるまで待てないかな?」

 柏原さんができる限り話を先延ばしにしようとしているように僕は感じた。

「いいえ、できるだけ早い方がいいです」

「……わかった。君は高坂さんを信じているんだよね」

「信用していいと思っています」

「じゃあ、彼女にも聞いてもらおう」

「わかりました。リクを呼んできます」


   ◇     ◇     ◇


 リクを連れてダイニングキッチンに戻ると、柏原さんはコーヒーの入ったカップをトレーに乗せて運んでいるところだった。僕とリクがダイニングのドアから近い椅子に並んで座ると、その向かいに柏原さんは座って、カップを僕たちの前に置きながら話し出した。


「高坂さん。さっきカイくんに、私たちがどうやってMCUの破壊とMCPの解放を実現し、DA3に住む人々の人権を回復しようとしているのか聞かれたので、一緒に話を聞いてください」


「わかしました」


 リクが返事をすると、柏原さんは目を閉じて深く息をついた。


「実はMCUの破壊に関しては、大した策がない。舵は、カイくんのお姉さんが二人の両親を動かしてMCUを破壊できると信じているが、MCUは国の所有物だ。そう簡単にはいかない」


 リクはカップを握ったまま、何も言わずに小さく頷いている。


「舵は……妹の帆澄が記憶を失ってから、冷静な判断ができなくなっている。実際にはお手上げなのに、私は親友に現実を受け入れるように言うことさえできない」


 柏原さんが間を置いたので、リクが口を開けた。


「私はカイのお姉さんと昨日話しました。あの人は国の施設で働いていてはいますが、真実を知れば、きっと弟のためにできる限りのことをしてくれると思います。ただ、柏原さんが言った通り、彼女に国の制度をひっくり返すほどの力があるとは思えません。

 舵さんの妹に起きた出来事については、昨晩カイから少しだけ聞きました。この国で起きていることは、私も納得していません。ただ、ミエを巻き込んでMCUを壊せたところで、新しいMCUを作られてしまったら、振り出しに戻ってしまうんじゃないですか?」


 リクの問いに柏原さんは答えようと口を開けたが、背後から別の声で、その答えが返ってきた。


「それが上手く行くんだよ。もし既存のMCUをすべて壊せたら、新しいMCUを製造することができない。つまり、新しいMCPはもう生まれないんだよ」


 振り返って、声の主を見た僕は驚きで言葉も出なかった。


「博士⁈」


 リクと僕の声が重なる。


「やあ、リク、カイ」


「どうしてここに?」

 動揺を隠すことができず、リクの声が少し震えている。


「実は俺もこっち側の人間なんだよ」

「いつから? どうして?」


 リクは不信感をあらわにして、博士を睨み返したが、呑気というか無神経というべきなのか、博士は微かに笑顔を浮かべている。


「昨日カイが連れ去られた件ついては寝耳に水だったが、以前から彼らに賛同して協力してきた」

「どうして……。なんで、昨日の時点で言ってくれなかったの」

 リクの声は冷たい。


「リクを巻き込みたくなかったんだ。できれば途中で手を引いて、家に帰って欲しかった。バンにいた時、そこから今すぐ逃げるように電話しただろう?」

「そうだけど……」

 腑に落ちない点があるのか、リクが落ち着くまでにしばらく時間がかかった。この状況で、誰を信頼していいかわからないのだろう。リクは表情が暗くなり、すっかり黙り込んでしまった。


「あの、既存のMCUをすべて壊せたら、新しいMCUを製造することができないってどう言うことですか?」


 僕の問いに、博士は言葉を選ぶようにゆっくりと話し出した。


「まず、前提として、MCUはこの世に二台しかない。一台目は国立第四脳科学研究所内にあり、国が所有している。二台目はMCS社(メモリーコントロールサービス社)の本社にある」

「二台あるんなら、どうして三台目が作れないんですか?」

「開発者が協力しないからさ」

「その人って確か……」

「そうだ、門崎千波かどさきちなみ、ミエとカイの母親だ」


「クイーン」


 虚ろ虚ろしているリクを呼び起こすように、レインが鳴いた。リクは膝によじ登ってきたレインを盾のように抱きしめた。僕にはリクが怒っているのか、悲しんでいるのかわからない。


「彼女は自分が装置の試運転に立ち会うことを条件として、あの装置を開発した。設計図に描かれていない部分あることに誰も気が付かないまま、一号機は完成した。二号機の製造時も同じだ。MCUを製造するには莫大な費用がかかるため、二号機以降はしばらくの間、MCUは製造されなかった。ただ、彼女が一線から退いた後に政府が三号機を作ろうとしたが、どうしても完成できなかった。立会い時に自分だけが知っている仕上げを施していたんだと推測されている」


「僕の姉は、ミエは、そのことを知ってるんですか?」

「彼女は何も知らないよ」


 どうして彼女は、問題の渦中にいるはずの人物なのに、蚊帳かやの外におかれたような状態なのだろう?


「ミエは今どうしているんですか?」

「実は連絡がつかない」


 その時、部屋のどこかで妙な電子音が聞こえていることを、僕は口にしなかった。


   ◇     ◇     ◇


「ドクター、家のほうにいるのか?」

 診療所のドアが開く音がして、騒がしい空気を伴って見覚えのある人たちが姿を現した。

「遅かったな」

 柏原さんが、声をかける。


 舵の後ろにいたのはミレイと凪、そして帆澄だった。僕の反応に気がついたのか柏原さんが三人を紹介してくれた。

「右からミレイ、凪、そして、だ。三人とも一緒にDA3へ行く」


 イズミ? 帆澄じゃないのか?


「よろしく。あなたが噂のカイね」

 イズミが和やかに僕に話しかけてきた。

「よろしくお願いします」

 噂って、どんな噂なんだろう。僕はどんな表情をしたらいいかわからなかった。


 イズミと呼ばれた女性は、舵の記憶の中で見た帆澄と比べると若干大人びていて、ショートヘアーだが、顔は帆澄と瓜二つだ。帆澄や舵の親戚なのだろうか?


 イズミは腰に両手を当てて仁王立ちしており、舵の記憶の中で見た弱々しい帆澄とは対局の雰囲気を漂わせている。


 まるで僕の思考を遮るように、柏原さんが勢いよくキッチンのキャビネットを開いた。キャビネットの中には大小さまざまなバッグが並んでいる。


「バタバタさせてすまないが、今からDA3に向かう。詳しいことは歩きながら話すから、みんなここにあるバッグを一つずつ持っていって。どのバッグにも食料と救急キットが入れてあるので、必要になったら、いつでも使ってください」


 どのバッグからも怪しい音はしない。何が入っているか詳しくはわからないけれど、協力すると決めたのは自分だ。疑い出したらキリがないので、僕は一番近くにある茶色のリュックを選んだ。リクは一番小さな赤いリュックをレインに背負わせると、自分は黄土色のかけカバンを斜めがけにした。


「行きましょう」


 柏原さんが皆に声をかける。


 部屋のどこかでバイブレーションの音がした。大きな音だったので、周りを見回したが、誰も反応しなかった。ということは、僕にしか聞こえなかったのかもしれない。

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