(034)   Area 24 Flickering トンネル

 --トンネル--#カイ


 診療所を出てから舵のおばあさんのサシャの家までは、来た道と同じ道を戻っていった。診療所を出る直前にリクが「二人だけで話したいことがあるの」と耳打ちしてきたが、今のところ二人で話すチャンスはない。昨夜、二人だけの時に今までの情報は共有したから、あの後にリクは何か新たに気づいたのだろう。


 柏原さんは『詳しいことは歩きながら話す』と言った割には列の最後尾にいて、隣にいる博士とずっと話をしている。二人は何か情報交換をしているようだ。僕の前には舵とイズミが歩いていて、二人も何か喋っている。


「リク、博士と柏原さんが何を話しているか聞こえる?」

「多少はね」

「ちょっと注意しておいて。あと、さっきから妙な電子音が聞こえるんだ。どこかに盗聴器か何かが仕掛けられているかもしれない」

「わかった」


 僕の耳は普通の人よりよく聞こえるけど、ざわざわとした場所では、言葉を上手く拾えないことに気づいていた。後で調べたのだけれど、僕は選択的聴取が苦手なようだ。つまり、さまざまな音を同時に拾って聞いてしまい、自分が聞きたい音に集中することができない。そのせいで人や機械音などが増えれば増えるほど、ノイズがひどく物事に集中できなくなる。つまり脳が音を取捨選択できないから、人が物音が多いところでは、周りの音が混ざり合って、ただ騒がしいだけになってしまう。


 この時には、地下で音が反響しているのに加え、凪とミレイ、舵とイズミが目の前で喋っているので、博士と柏原さんの会話に集中できず、内容がまったくと言っていいほど理解でなかった。


   ◇     ◇     ◇


 しばらくすると、サシャの家の前を通り過ぎて、地上につながるエレベーターの前にたどり着いた。ここから先は今までに通ったことのない道になる。


 博士はエレベーターのボタンを押して、僕とミエを呼んだ。ミエは博士と話す気になれないようで、少し離れた場所で僕のことを待っている。


「カイ。私は地上からDA3に向かって、今回の計画の待ち合わせ場所で合流する」

「え? 一緒に行かないんですか?」


 僕には博士が何を考えていて、どういう基準で行動しているのかまったくわからない。


「ああ、ミエと北田くんに連絡したが、未だに音信不通でな。二人を探してからDA3に向かうから、多少合流するのが遅れるかもしれん。とにかく何かあった場合には連絡する」

「わかりました。でも、ミエは僕たちがMCUを破壊しようとしていることを知らないんですよね。今までの経緯を知らされていないMCUの開発者の娘が、そう簡単に事情を理解してくれるでしょうか?」

「それは話してみないとわからんが、やるれだけのことはやってみるさ。それにカイ……、お前も開発者の子どもだが、こっち側についているんだろう?」

「あ、でも僕は、家族のことや昔のことは覚えていないから……」

「そうだな。すまん」


 ガタンという音がして、エレベーターの扉が開いた。

「カイ、気をつけてな。リクにもそう伝えてくれ」

 僕がリクの方を見ると、リクはレインの頭を撫でながら、険しい表情でこっちを見ている。

「はい」

 博士はエレベーターに乗りこみ、地上へ戻っていった。


 リクに駆け寄り『博士が気をつけてと言っていたよ』と伝えた時のリクの表情は頑なだった。博士が舵や柏原さんに加担して、DA3の解放やMCUの破壊をしようとしていたことを黙っていたことがショックなのはわからなくもないが、リクはひどい不信感を抱いているように感じる。僕の知らないところで何かあったのだろうか?


   ◇     ◇     ◇


 博士が去ってから、僕は最後尾にいる柏原さんの隣について歩き出した。


 目の前には古い地下街のような空間が広がっている。DA3にいた頃に、運河について調べたことがあった。実は運河は近年作られたもので、地下街は運河が作られるよりずっと前にこの場所に作られたが、運河が掘られた時点で、地下街を含む運河周辺の地下施設はすべて封鎖されたとのことだった。まさか、その地下街が水漏れもない状態で残っていたなんて!


「カイくん、もしかして、君は私に何か聞きたいことがあるんじゃないかい?」


 僕の隣にいる柏原さんが、僕が無口なことを気にしたのか、声をかけてきた。


「あ、はい。どうして僕が聞きたいことがあるのがわかったんですか?」

「さっき、私が神作さんと話している時に何度も振り向いてきただろう?」

「あんなに話し込んでいたのに、気づいていたんですね」

「まあね。とにかく、気兼ねせず何でも質問してくれたらいい」


 僕は柏原さんに、なかなか慣れることができずにいた。この人は本当に、態度や表情からは、何を考えているのかさっぱりわからない。


「柏原さん。博士はずっと昔から、あなたたちに協力してきたんですか?」


 自分のことや、両親のこと、今日の計画についてなど、聞きたいことは山ほどあったけれど、真っ先に僕の口から出てきたのはなぜか博士についての質問だった。


「神作さんは今からちょうど三年前、君と起こした誘拐偽装事件の直後に、運河沿いで倒れていたのをたまたま舵が見つけて、僕の診療所に連れてきた時からの付き合いだ。MCUに詳しくてびっくりしたのを覚えているよ。その時、神作さんは僕たちの目的を知って、彼の方から協力したいと言い出した」

「そうですか、その時から。あの、僕は三年前はどんな人間だったんですか?」

「本当に知りたいのかい? 他人が知っている君と、君自身の記憶の中にいる君は別人かもしれないよ」


 柏原さんは、僕の印象を語るのは、少し気が進まないようだ。


「教えてください。もし記憶が戻ったら、人が僕をどう思っていたかなんて聞くのは、きっと怖くなるから。逆に今のうちに聞いておきたいんです。今なら、過去の自分については、他人事のようにして聞けるから」


「……わかった。そうだな……。昨日も言った通り、私と君は直接面識はなかった。だが、三年前、君が私たちに加担したときに、私は監視カメラ越しに君のことを見ていた。だから、人から聞いた話や、監視映像から抱いた君に対する印象なら語れる。詳しいまではわからないが、それでいいのかい?」


「構いません」


 少しためらいながらも、柏原さんは記憶を探るようにしながら、過去の僕の印象を教えてくれた。


「わかった。念を押すが、私は監視カメラ越しに君を見ていただけで、君と直接話したことはなかった。カメラ越しに見た君は、君は……そうだな、子どもの割には落ち着いていて、自信過剰ではないけれど、でも気が強くて。でも、なんというか……」

「冷たかった?」

「いいや、脆く感じたよ」

「脆かった?」

「ああ、優しすぎるんじゃないかと……」

「優しすぎる……」

「そうだ。細かなところに気がついて、周りのことをよく見ていたよ」

「僕は何かに怯えていませんでしたか?」

「いいや、そんな様子は見たことがない」

「そうですか……」


 僕は、夢の中では怯えていることが多かったので、ひどく臆病な性格だったのかと想像していた。


「カイくん。あくまで私が抱いた印象だよ」


 柏原さんが、心配そうに僕の顔を見ている。僕は、話題を変えることにした。


「そうですね。あの、柏原さんは僕の姉に会ったことは?」

「ああ、あるよ。あっ、ここから先は暗くなるから足元に気をつけて」


 柏原さんとの会話に集中していて気が付かなかったが、足元には段差があった。顔を上げると、目の前に突貫工事で掘ったような、なんとも不恰好な小さなトンネルが目の前にあった。トンネルの中はオレンジ色の電球で照らされていた。トンネルには周辺の鉄の壁と同化する隠し扉がついていた。


「この道が完成したのが、数週間前なんですね」

「ああ、完成というには少々見窄みすぼらしいが、役割は果たしている」


 もう少し早くこの道が完成していたら、穴見さんは橋を渡らずにこちら側に来れたかもしれないと思うと、僕は悔しくてならなかった。


「この道はどこに抜けているんですか?」

「安全な場所までつながっているよ」


 僕は先を急ぐように背中を押され、答えをはぐらかされた気がした。

 僕がトンネルに入ると、続いて最後に柏原さんが入り、隠し扉を閉めた。


 トンネルは真っ直ぐに掘られていたが、どこまで続いているかわからないほど長い。一体何メートル続いているんだろう。トンネル内は、人がやっとすれ違うことができるほどの幅しかないので、皆、自然と一列になって歩いていた。隣に人がいないので、気が付くと全員無口になっていた。


 一時間ほど歩いたが、出口は見えず、前に進んでいないのではと思えるほど同じ景色が続いているので、僕は徐々に気分が悪くなってきた。換気は十分にされているようだが、空気が薄く感じる。なんだか足に力が入らなくなってきて、気が付くと前を歩いているリクから十メートル近く離れてしまっていた。


「あの、あとどれくらいで着くんでしょうか?」


 後方にいる柏原さんに尋ねると、彼は軽い口調で答えた。


「多分、半分くらい来たところだよ」

「長いですね」

「狭いところは苦手かい?」

「いいえ、ただ、出口が見えないので気になっただけです」

「そうか、僕は初めてここを通った時は嘔吐したけどね」

「そんなに爽やかに言わないでください」


 柏原さんのテンションについて行くのはのは、どうも難しい。


 トンネルないに皆の足音が響く中、背後で電子音がした。


「柏原さん、もしかしてこのトンネルの中でもネットにはつながるんですか?」

「もちろん。緊急時に連絡が取れないと大変だろう? まあ、ハッキングされたり追跡されることを防止するために、いつでもオフにはできるけどね」

「あの、もしかして博士から連絡が来ていませんか?」

「連絡? ちょっと待って。あ、メッセージが来てる」

「緊急事態ですか?」

「いや、現状報告だ。こう書いてある。『北田くんとミエくんが見つからない』」


 柏原さんは声には出さなかったが、ほんの少し間を置いて「だろうね」と、微かに呟いたのが僕にははっきりと聞こえた。僕にはまるで彼が勝ち誇っているように思えた。


   ◇     ◇     ◇


 僕は柏原さんか博士のどちらを信じるべきか悩んでいた。でも、「だろうね」と呟いた時の柏原さんの雰囲気から、博士を信用するより、博士と自分を切り離した方が安全な気がしていた。僕は自分の直感を信じることにした。


「あの、返事を送ったらトンネル内のネット接続を無効にしてもらえませんか?」

「どうして? 何か思い当たる節があるのかい?」

「博士は僕から半径五キロ圏内にいれば、僕の目に埋められたレンズにアクセスして、僕を追跡できるらしいんです。でも、どうやって追跡を止めたらいいかわかりません。今はただ博士を信じるのが怖いので……」

「わかった。君が安心するならネットはオフにするよ」

「ありがとうございます」


 それからすぐに、柏原さんは博士にメールを返信し、端末を操作して、トンネル内のネット接続を無効にしてくれた。


   ◇     ◇     ◇


 その後も、僕の足取りは軽くはならなかったが、なんとかそれ以上はペースを落とさずに進むことができた。


 視線の先に白い光が差してきて、その光に近づくと階段が見えてきた。逆光で顔が見えないが、体格のいい人が階段の前に立っている。



うみ、IDカードを持ってきたか?」



 満面の笑みを浮かべて現れたのは、穴見さんが紹介してくれた部品工場の工場長である船引さんだった。

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