(086) Area 8 Moratorium 無意識
--無意識-- #海
僕は一人になると改めて部屋を見回した。
今朝は気が付かなかったけれど、ソファーの下には本が入った箱がいくつもあった。窓際には鉢植えの小さなサボテンが置いてあって、僕が寝ていたマットレスは無理やり部屋に押し込まれているように見えた。マットレスの上に転がったタブレットを見つめていると、穴見さんが外から戻ってきた。
「そのタブレット、大事な物なんだろ?」
穴見さんが、何か長い紐のようなものを僕に向かって放り投げてきた。
「充電ケーブルだ。海、あんたかなり運がいいぞ! そんな旧式のタブレットのケーブルが転がってたんだから」
「充電ケーブル?」
「そうだ、そのタイプは旧式だからな、コンセントに差し込んで充電するんだよ」
「そうなんですか」
「今朝あんたが起きる前にタブレットを見てみたら、ほとんどバッテリーが切れてたからな。もう、そう長くは動かないんじゃないかと思って、ちょっとそこいらを探してきたんだ」
穴見さんはマットレスの上に置いてあったタブレットを取ってきて、僕に手渡した。
確かにバッテリーが切れているようで、電源ボタンを押しても画面は真っ暗なまま、うんともすんとも言わない。
穴見さんは僕の手からタブレットと充電ケーブルを奪うと、電気ポットのプラグをコンセントから抜いて、代わりにタブレットの充電ケーブルのプラグを差し込んだ。すると、タブレットはピッと音を立てて、画面にバッテリーのマークが浮かび上がった。
「壊れてないみたいだな」
「あの、このタブレットって、いつ頃発売されたものなんですか?」
「うーん、確か、十五年くらい前だったような……。ちょっと待てよ、多分タブレットの裏に書いてあるんじゃ……。2085。えっと、十七年前だ。もうそんなになるか」
「穴見さんは、このタブレットの操作方法わかりますか? 僕は全然使ったことがなくて」
「まあ、俺が持ってたモデルとほとんど同じだから、簡単なことならわかると思うが。もう十年以上使ってないからなぁ。あんまり期待するなよ」
そう言うと、穴見さんはソファーの上に転がっていたノートパソコンを持ってきた。
「詳しいことはネットで調べたほうが早いだろう。タブレット名は、TW-02530……」
◇ ◇ ◇
充電し始めてしばらくすると、点滅していたバッテリーのマークが消え、小さな電子音が鳴ると同時に画面が明るく光った。
「おっ、起動したみたいだな。ん?」
画面に映し出された写真を見て、穴見さんが何かに気がついたような声をあげた。
「そこは、DA2だな。たぶん十五年近く前の写真だよ。このエリアは国に買い取られて、今は研究施設が立ってるはずだ」
「穴見さん、この場所知ってるんですか?」
「ああ、有名な場所だよ。俺は行ったことはないが、ニュースで何度も見たことがある。国が研究施設の建設のためにそのエリアの住民と交渉していた頃にな。
計画初期の頃、一部の住民が立ち退きに反対していて、よくニュースになってたんだ。結局は大金を積まれて、計画を受け入れ出ていったみたいだがな。うわさじゃ、最後まで反対していた人間がいたのに、無理やり工事が始まったらしい。まあ、ただのうわさだし、気にすることはないさ」
「ここに行けたら、何か詳しいことがわかるかもしれない……」
僕にはこの場所が、オヤジさんの、そして僕自身の過去につながるような気がしてならなかった。
「DA2にさえ行くことができれば、その場所に行くのは簡単だと思うが、そのエリアの古い建物はほとんど壊されてるから、行っても何も見つからんかもしれんぞ」
「何の研究施設がそこに建ってるんですか?」
「記憶制御の研究施設だよ。名前はなんつったかなぁ…」
「国立第四脳科学研究所」
僕は無意識に口走ったその名を頭の中で繰り返していた。
「そう、そう。それだよ。お前詳しいな」
「え? ああ、まあ」
僕はどうして研究施設の名を知っているんだろう。思い出せないけれど、もしかしたらそこでMCPになったのだろうか? とにかく、このタブレットの中身が見れれば、もっと詳しいことがわかるかもしれない。
◇ ◇ ◇
それから僕は、しばらく黙って画面に映る写真をぼーっと眺めていた。
「海、ログインしないのか?」
僕の様子を見ていた穴見さんが、痺れを切らしたように問いかけてきた。
「実はパスワードがわからなくて、ロックが解除できないんです。ちょっと見てもらってもいいですか?」
「見るだけならできるが、役に立つと約束はできないぞ」
穴見さんはタブレット端末を手に取って調べ始めた。
「もしかして、この端末、パスワードなしでロックを解除する方法ってあったりしますか?」
そんな方法は普通はないにだろうけど、僕は駄目元で聞いてみた。
「そうだなぁ、専門家ならともかく、パスワードがわからないとなると、もう初期化して使うしかないかもなぁ」
「やっぱり、そうですか」
「端末が使いたいだけなら初期化することはできるぞ。データのバックアップは取ってあるのか?」
「いいえ。譲り受けたばかりのもので、僕が管理していたタブレットではないので……」
初期化するとなると、データはすべて消えてしまう。僕は小さくため息をついた。
「中のデータが見たいので、初期化するのは困ります」
「そっか、となると、簡単には解決できそうにないな」
穴見さんはそう言うと、僕につられるようにため息をついた。
「あの、実はこれ、昨日の夜の火事の時に渡されたものなんです。オヤジさんがこれを持って逃げろって。だから、使い方もパスワードもわからないんです。今日の昼間、適当に見当をつけて入力してみたんですが、解除できませんでした。それどころか、入力を間違えると六十分間パスワード自体が入力できないように、ロックがかかってしまうんです」
「六十分って、やけに長いロックだなぁ。もしかしたら、そのタブレットのソフトウェア、リプログラミングされているかもしれない。そうなるとこのタブレットの使い方をネットで調べても当てにならないぞ」
穴見さんはパタンとノートパソコンの画面を閉じると、立ち上がった。
「シャワーに入ってくる」
「あの、そのパソコン使わせてもらってもいいですか?」
「ああ。好きにしたらいい」
穴見さんは、パソコンをテーブルに置いたまま部屋を出て行った。かと思ったらドアがバンっと開いて、鉄砲玉のように勢いのある声が飛んできた。
「そう言えば、運がいいといえばな! さっきの充電ケーブルもそうだが、そのマットレスも、一昨日バラックを出て行ったやつの部屋からかっぱらってきたんだ。それがなきゃ俺かお前は床で寝てたぞ! 何でもかんでも都合よく出てくるもんだな!」
「それじゃあ、穴見さんは普段あのソファーで寝てるんですか?」
「ああ、言っとくが、硬いマットレスより何十倍も寝心地がいい! 俺はもう年で、すぐに腰や肩にくるんでな、ソファーは絶対に譲らん。そのマットレスでなんとか我慢してくれ!」
閉まったドア越しにガハガハと笑う声が聞こえる。穴見さんの物言いと笑い声ががなんとも滑稽で、僕は気が付くとハハハと声をあげて笑っていた。
なんとも摑みどころのない人だなぁ……。きっと、運がいいのは僕じゃなくて穴見さんなんだ。きっと『幸運』っていうのは僕みたいな人間にふらふらついてくるのではなく、さっきの穴見さんの笑い声のように、悪いものを吹っ飛ばすほどの豪快な声に引き寄せられてくるに違いない。
数日後に知ったことだけれど、穴見さんのソファーは硬くて寝られたものじゃなかった。
この人はオヤジさんと同じ、優しすぎる人だ。
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