第6章 DA2
(075) Area 13 Encounter バイク
--バイク-- #海
世界が色を失って灰色に姿を変えたようで、身動きが取れなくなり息苦しい。そんな憂鬱で無意味とも思える反復の日々を僕は過ごしていた。
昨日と今日の違いさえもうわからなくなってしまったある日、僕は工場の仕事帰りにどうしても食堂の跡地に行きたくなった。
毎晩たくさんの人で溢れていたオヤジさんの食堂が、懐かしくてしょうがなかった。耳の奥でざわざわとした食堂の音が響いて聞こえる。
もしかして、僕はおかしくなってきているんじゃないだろうか?
その夜は風が強く吹いていて、大通りにも人影はまばらだった。独り歩く僕に吹き付ける風は冷たく、ひと月ほど前に手に入れた薄手のコートでは寒気がして、鳥肌が立ちそうだったけれど、来た道を引き返す気にはなれなかった。
夜空は雲で覆われ、月は出ておらず、街灯もまばらにしかない暗い道を、早足に通り抜けていく。
商店街の角にある桜の木にたどり着いて、アーケードをくぐると、風が遮られているおかげで寒気が治まってきた。歩幅を緩めて、ゆっくりと商店街を歩く。初めてここに来た日には、車に乗せられてあっという間に通り過ぎたこの道を、その夜僕は、左右の店の閉じられたシャッターを懐かしむように見つめながら一歩一歩進んだ。
もうすぐ食堂があった商店街の端に着く。けれど、食堂の明かりが僕を照らすことはもうない。わかっているのに、心の中でイメージしてしまう。
残像を追うように、記憶が蘇る。お客さんの出入する時に聞こえる店のドアの音、食堂に響く食器とカトラリーの奏でる不規則な音の連続。まるで、目覚める直前に夢を惜しむように時間をかけて歩く。
この先にあるのは、ぽっかりと空いた小さな空間。
ブラックホールがどんな光も吸い込んでしまうように、真っ暗な空き地はわずかな希望も吸い込んでしまうだろう。
ゆっくりと頭をあげた僕の視界に小さな光が入る。
おかしい。
ここから先に街灯はない。あるのは、かつて食堂のあった空き地だけのはず。
それなのに、小さな光は動きながら地面をチラチラと照らしている。
誰かいる!
これ以上近づいてはいけないと本能的に感じた僕は、立ち止まって目を凝らした。
人影を目を凝らして見つめる。
手に持ったライトで地面を照らし、何かを探しているようだ。
ライトの光が動き、空き地をぐるりと照らす。ライトを持っている人以外には空き地には誰もいないようだ。空き地の端にバイクが停まっている。このバイク、前にどこかで見たことがある……。バイクのナンバープレートが一瞬だけライトに照らされた。
『DA2-』
DA2-に続く番号は読めなかったが、手がかりになる。DA3はこの地区のバイクについているから、DA2はDevelopment Area 2 ——第二開発地区の登録バイクだ。
空き地にいる人物は僕の存在には気がついていないらしく、諦めたように首を横に振ると、ライトを消し、バイクに向かって歩き出した。
僕がいる場所からバイクが停めてある場所までは比較的距離が離れているから、何かの物陰にでも身を潜めれば見つからないだろうと思い、急いで近くの電信柱の陰に身を潜めた。
人影はバイクにまたがると、エンジンをかけた。バイクのライトが道を照らし出し、走り出す。そして、空き地から通りに出ると、僕が隠れている場所とは反対の方向に進み、走り去っていく。
走り去るバイクから軋むような音が響く。
その音を聞いた瞬間、一瞬耳を疑った。いや、間違いない。この音は、火事が起きた日の午後、店の前の向日葵に水やりをしようとしていた時に耳にした軋むような音と同じだ! 追いかけないと!
僕は一心不乱にバイクを向かって走った。
バイクの運転手は僕に気づく様子もなく、商店街の角を曲がっていく。もう追いつけないとわかっていながらも、僕は走り続けた。数十秒後、僕が商店街の角を曲がると、遥か先にある店のショーウィンドーの明かりに照らされたバイクが見えた。
その色は、燃えるようなオレンジ色をしていた。
バイクは、瞬く間に闇の中に溶けていってしまった。走り去るバイクを背に、僕は来た道をとぼとぼと引き返し、空き地に戻った。
しばらくの間真っ暗な空き地を見つめながら、DA2の人間が何の目的でこの空き地に来たのかを考えていた。
あの軋むような音は、間違いなく火事の日の午後に聞いたものと同じだ。バイクの持ち主にたどり着くことができれば、火事の原因やオヤジさんの死ついて少しでも情報が掴めるかもしれない。
僕は今までの出来事を回想しながら、どこに向かうでもなく歩き続けた。
その夜は一晩中、自分がどこにいたのか記憶がはっきり思い出せない。
ただ、バラックに戻ることもせず、街中を当てもなく歩き続けた。
何時間経っただろう、眼前に広がる朝焼けが眩しい。
いつの間にか、僕はまた空き地に戻っていた。
昨日の怪しげな人物が、食堂のあった空き地で何を探していたのかは皆目見当がつかない。ただ、空き地の端に残るバイクのタイヤの跡だけが、昨日の夜の出来事が夢でないことを示していた。
前に進みたいのに、どこに行けばいいかわからない。
ただ、他に行くあてのない僕は、この世界で唯一自分の場所と言えるバラックに向かって、力なく歩き出した。
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