(074)   Area 13 Encounter 行くあてを失って

 --行くあてを失って-- #海

 

 足取りが重い。


 バラックにたどり着くまでにはまだ距離がある。


 お腹がひどく空いていて、昨日の昼から何も食べていないことに気がついた僕は、コンビニに立ち寄ることにしたた。


 早朝のコンビニには僕以外の客は誰もおらず、店内は静まり返っている。

 手っ取り早く、目についた牛乳とメロンパンを掴んでセルフレジに向かった。


 セルフレジの奥にはスクリーンが設置してあり、生活情報やニュースが無音で映し出されている。


 画面が切り替わり、今日の天気予報が表示された。

 今日は午後から雨になるようだ。


 会計を終え、もう一度スクリーンに目を向けると、天気予報はニュースに切り替わっていた。そこに映る見慣れた建物に、僕は絶句した。バラックが燃えている! 


 画面に字幕が流れ、その詳細が語られていく。


『昨夜、午後十時過ぎ、第三開発地区DA3

 積木橋付近のバラックで火事が発生。


 消防隊による消火作業により

 火は数時間後に消し止められたが、

 火の勢いが強く建物は全焼。


 火事の原因及び火元は調査中。


 避難したバラックの住民によると、

 バラックに住む十代の男性一名が現在行方不明。


 男性は住民登録されておらず、身元確認は困難。


 警察によると、火事との関与が疑われるため、

 現在その男性を捜索中……』



 嘘だ……。嘘だ、嘘だ!



 画面に釘付けになったまま、全身が硬直し、動けなかった。

 画面に映る野次馬や避難した人々は、見慣れたバラックの住民や工場の労働者ばかりだった。

 間違いない。僕のバラックは、穴見さんの残してくれた唯一の居場所は、燃えてしまったんだ。


 警察は行方不明の十代の男を放火犯として探している。

 僕がバラックに戻ったら、間違いなく犯人として吊し上げられてしまうだろう。


 僕はパニックになってしまった。


 その心に追い打ちをかけるように、バラックが燃えているの最中の映像に、信じられないものを見た。


 野次馬の中に混じって、昨日の夜に追いかけたオレンジ色のバイクが写っている!


 そのバイクを押している人物は、周りの様子を確かめるように首を左右に動かしていたが、ゆっくりと野次馬から抜けて立ち去ろうとしている。ヘルメットをかぶっているため、年齢や性別はわからない。


 火事のニュースが終わって、別のニュース画面に切り替わっても、画面に映されていた炎が脳裏に焼きつき、頭の中が押しつぶされるような錯覚に陥った。


 そして、半狂乱になった僕はコンビニを飛び出した。

 あの夜オヤジさんに燃え移った炎が、僕を追いかけるように迫ってくる。



 その日は一日中、DA3をさまよった。

 路地から路地へ。

 警察や建物を放火した得体の知れない人物から、身を隠せる場所を探して歩いた。

 昼過ぎから、勢いよく雨が降り始めた。


 運がいいのか悪いのか、僕は二度の火事から逃れることができた。

 だけど、行くあてなんてない。一体これからどうすればいいんだ。


 傘を持っていない僕は、人気の少ない路地裏の家の軒先で雨宿りをした。

 薄汚れた灰色の壁にもたれかかる。


 昨日からの疲れが、打ち寄せる波のように身体中に押し寄せてくる。


 僕は壁にもたれかかったまま腕を組んで目をつむった。そうすると、一分も経たないうちに眠ってしまった。



 "お姉ちゃん、これ教えて!"


 二、三歳くらいだろうか、小さな男の子が、分厚い本を抱えて細い廊下の突き当たりにある鏡に向かって走っている。


 廊下の突き当たりまでくると、男の子は左を向いた。そこには一階に下りる階段がある。

 階段には誰もいないようだ。

 男の子は廊下の突き当たりの壁に立てかけられた鏡を覗きこみ、鏡に映り込んだ姉の姿に気づき、振り返る。


 "お姉ちゃん! この本、お母さんにもらったんだ。読んで!"


 振り向きざまに視界がぐらりと揺れて、男の子は本を足元に落とした。と同時に男の子の体も大きく揺さぶられる。


 "そんな本、自分で勝手に読めばいいじゃない!"

 "でも、お姉ちゃん、なんでも知ってるから!"


 男の子の無邪気な笑顔を見て、女の子の表情が凍りついた。


 "なんでも知ってるわけないでしょ? なんでも知ってたら、こんなに勉強ばっかりしてるわけないじゃない! パパやママはもっと私を見てくれるはずでしょ?"


 初めは小さかった女の子の声がどんどん大きくなり、家中に響き渡る。女の子が男の子の肩を両手で掴んで揺さぶる。


 "あんたのせいよ! どっかに行ってよ。邪魔なの。私は忙しいの。ちゃんとしなきゃいけないの!"


 男の子は倒れそうになったが、なんとか踏みとどまっている。

 だが、揺さぶりがますますひどくなり、男の子は立っているだけで精一杯になった。


 "お姉ちゃん、ごめんなさい。ごめんなさい"


 男の子の謝る声に我に返った女の子は、とっさに両手を男の子の肩から離した。


 だが、揺さぶられていた反動で、バランスを崩した男の子は、足元を滑らせ、階段の左側にある階段を転げ落ちていった。


 そのあとは、真っ暗な部屋の中にいるかのように、何も見えなかった。




 意識が戻り、雨音が規則正しく耳に届く。

 十分、一時間、どれだけの間眠っていたんだろう。

 まだ雨は降っていて、降り止む様子はない。


 瞼の奥に涙が溜まっているのがわかる。

 その涙がこぼれないように瞼を閉じたまま、僕はじっと、壁にもたれかかっていた。


   ◇     ◇     ◇


 数時間後、夕闇が近づく頃に雨は止み、僕は軒先を後にした。

 雨が降ったあとの独特な湿っぽい匂いが鼻を刺す。


 人通りの増える時間には、大通りに身を潜めた方が目立ちにくいだろう。


 仕事が終わり家路を急ぐ人や夜の闇に姿をくらまし蠢めく人で街が賑わう頃、僕はDA3で最も栄えている通りの一角に身を潜めた。


 僕は目立つ服を着ているわけでもなく、容姿も背格好も目立ったりしない、どこにでもいるただのガキなんだから、ここにいれば特に僕に目を留める人間なんていないはず。


 心を落ち着かせるために、心の中で何度も何度も『絶対に見つからない』と言い聞かせた。


 この時の僕は、この世に特別な能力を持つ目を持つ人がいるなんて知らなかったから、誰もが自分と同じように世界を見ているものだと思っていた。


 でも、このあとすぐに、僕には見えないものが見える人に出会った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る