(043) Area 20 Involved 合流
--合流-- #リク
声が聞こえる。博士と妙に聞き覚えのある女性の声だ。意識は戻っているのに、目を開けられない。もしかして私は死んでしまったのではないか、と一瞬思った。
レインの足の爪が床に当たる音がコツコツという聞こえる。よかった。レインは大丈夫だったんだ……。
レインの生暖かい舌が私の鼻先をぺろっと舐めた。私が動かないからだろう、レインがアンアンと呼ぶように鳴いている。
「レイン、リクの目が覚めたのか?」
博士がゆっくりと近づいてくるのが感覚的にわかる。
私の目が微かに開く。博士の店のソファーで眠っていたようだ。私はしばらく自分がなぜソファーで眠っているのかわからなかった。
それでも逆らえない重力に引き寄せられるかのように、瞬く間に現実に引き戻されてきた。
レインが嬉しそうに尻尾を振っている。
「リク、大丈夫か?」
博士はレインを撫でながら心配そうな表情で私を見ている。
「大丈夫。私、キッチンで気を失ったの?」
「そうだ。レインはすぐに意識が戻ったが、お前の方はまったく反応しなくてな。店に戻ってこないと身動きが取れないから、ここまで運んで来たんだよ」
「私、どれくらいの間意識を失ってたの?」
「小一時間かな」
博士の返事に被さるように奥から女性の声が響いた。
「ホント、この非常事態によく一時間も呑気に寝てられるわね」
憎まれ口を叩きながら現れた人物を見て、私は自分がまだ夢を見ているのかと思った。
「どうしてあなたがここに?」
私は驚いて起き上がり、声の主に向かって座り直した。女性の声に聞き覚えがあって当然だ。目の前に現れた人物はなんと、さっきまで第四脳科学研究所で話していた門崎ミエだったのだ。
私の疑問に答えることもなく、ミエはキッチンのカウンターに座ってパソコンで何か作業し始めた。
「ミエは相変わらず愛想がないな」
「博士、この人……」
私の目は、今、点になっているんじゃないだろうか?
「知り合いが来るって言ってただろ? リク、カイの姉のミエだ」
「博士、ちょっと待って。どういうこと?」
「どういうことと言われてもな、そのままだよ」
カイの姉がミエで、ミエと博士は知り合い?
「もしかして、博士……。この人とカイと三人で私をからかってるの?」
「もしそうなら、どれだけいいか……。カイが連れ去られたのは事実だ」
私は現状が理解できないまま、博士を見返した。
「リクがこの件に巻き込まれたのは、おそらく偶然じゃない。リクが脅迫状を配達することになったのも、仕組まれて起こったことだと考えている」
◇ ◇ ◇
私の目の前で、博士がミエに、私がカイをここに連れてきてから今朝までの経緯について話している。私が二人の話を軽く聞き流しながら、今まで起きた出来事と今目の前で起きている出来事を、必死でつなぎ合わせていた。すると、裏口の方から声が聞こえてきた。関係者がもう一人姿を現したようだ。
「遅くなってすまない」
「君はいつだって遅れてくるだろう」
ミエが冷めた目で声の主に言い放った。
「失敬だな、私はいつだって最善を尽くしている」
「最善を尽くしても結果が伴っていなければ、意味がない」
私が振り向くと、苦笑いを浮かべながら私に目を合わせてきたのは、夕方、研究所の門ので別れた北田さんだった。
「北田さん!」
「やあ、高坂さん。研究所ではミエが迷惑かけたね。それにしても、こんなに早く君と合流できるとは思わなかった。一体どうやってここに落ち合ったんだい? てっきりこれからDR・Appで呼び出すのかと思ってたよ」
何も言い返す余裕がないまま、私が黙っていると、博士が不思議な表情ひとつせずに、北田さんに向かって手を差し出した。
「君が、噂の同僚くんだね!」
「どんな噂になってるのかは知りませんが、ミエの同僚の北田です」
私は、博士と北田さんが和やかに挨拶している状況について行くことができず、目を固く閉じて『夢なら早く覚めて!』と願った。
◇ ◇ ◇
私が混乱していることに気がついた博士と北田さんは、私の座っているソファーの近くにある椅子に腰掛けると、順序立てて状況を説明してくれた。
まず、カイとミエは姉と弟であり、カイは門崎カイのはずだが、現在は鷺沼カイとして国に登録されている。鷺沼は母親の旧姓であるため、どのような経緯で鷺沼になったのか、詳しく調べる必要がある。
そして、カイとミエの両親は博士の親友であり、カイとミエは博士のことを昔から知っている。ただ、ここ数日のカイの様子から判断すると、カイは博士のことをまったく覚えていないようだとのことだった。
私がたまたまカイをDA3で見つけてDA2に連れてきたことが、どのようにしてカイを連れ去った人たちに知れ渡ったのかはわからない。
だが、カイを見つけ出し、私が出かけている隙にカイを連れ去ったことは間違いないだろう。
そして、私がバイク便の配達員であることを利用し脅迫状を配達させたと二人は考えているようだった。しかし、私を事件に巻き込んだ理由まではわからないとのことだった。
私が状況を飲み込み始めた頃、ミエは相変わらず冷静な、どちらかと言えば冷たい態度でカウンターも席に座ったまま博士に話しかけた。
「おじさん、やっぱりカイの居場所は簡単には見つけられないみたい」
博士が落胆した表情でミエの方を見た。
「そうか。犯人が連絡してくるのを待つしかないのか……」
ミエは、斜め上を見るように目線を上げて、椅子を左右に回転させながら、少しの間考えると、カイの居場所を突き止める方法を何か思いついたようで、博士に向き直って言った。
「そうとも限らないわ。ここから五キロ圏内にカイはいない。だけど、三年前と同じ人が犯人なら、
そして、ミエの話を北田さんが引き継ぐようにして話を続けた。
「……それに、犯人はおそらく、ミエに渡した携帯の近くに私たちがいると思って、居場所を監視し、追跡しているだろうから、私たちの動きを読まれる可能性は低い」
つまり、携帯の近くにいることを知られないってことは、今携帯はここにないってこと?
「あの、北田さん、犯人から渡された電話は今どこにあるんですか?」
「僕の家だよ」
「北田さんの家⁈ 犯人にバレたら北田さんも危険じゃないですか?」
「もともと犯人に僕の素性ばれているだろうから、守りに入っても無駄だよ」
北田さんはまるで仕事の打ち合わせでもするかのように落ち着いている。
「それに電話がかかってきた場合、遠隔で操作して出られるように仕掛けてきたから、ここから移動しても問題ないよ」
私が質問をしなくなると、北田さんは調べ物をすると言って席を外した。
◇ ◇ ◇
北田さんが席を外してから少しの間、私は再びソファーに横になると、うつらうつらしていた。
カイのことは心配で仕方ないけれど、今朝からの疲れがどっと出てきて、横にならずにはいられなかった。なぜか嫌なことばかり思い出す。面倒なことなんて無かったことにできたらいのに……。
横になってどれくらい経っただろう、少しの間眠っていたようだ。目が覚めてきて、しばらくすると、カウンターの方から声が聞こえてきた。
「カイは本当に記憶がない状態なの?」
ミエの声だ。まだウトウトしている私に気を使っているのか、若干声のトーンが低い。私が眠っている間に博士とミエがどれだけの話をしたのかはわからないけれど、ミエはまだカイの現状を把握しきれていない様子で、眉間にシワを寄せており、博士に説明してもらっている。
「カイはここに来た時、自分の名前もわからなくなっていた。俺は記憶が自然に元に戻ってくれることを願って、名前以外はあえて何も言わなかった。もっと早くミエに連絡すべきだったな」
微妙な間を開けて、ミエが言葉を返す。
「そのことは気にしないで。私が——家族なんていないものとして——届いた手紙だって無視して過ごしていたんだから、おじさんは何も悪くないわ」
二人の会話はどことなくよそよそしく不自然で、どこか取って付けたように他人行儀なところがあり、私は違和感を覚えた。
博士はカイの素性や家族について知っていたのに、私にはそのことを一言も言わなかった。今更だけど、私は今まで博士を疑ったことや深く知ろうとしたことがなかったことに、気がついた。そして、自分の危機感に欠けた行動が恐ろしく思え、寒気がした。
私は結局のところ、博士が私の両親の長年の知り合いだったということ以外、博士のことをよく知らない。なのに、いつの間にか無条件で博士を信じていたんじゃないだろうか?
私は博士の記憶を読んだことがない。
もし、博士が犯人だったら、私は今頃殺されていたかもしれない。それでもなぜか、こうやって考えてる今だって、博士のことを信じている自分がまだここにいる。
結局のところ、どこかで線引きして受け入れなければ、誰も信じることはできず、人は誰だって一人だ。
ただ、ここでこうして、この事件に関わることは危険なことなのかもしれない。けれど、今は自分が巻き込まれたこの状況から逃げ出すのはいやだ。
なぜって、私がDA3に連れてこなければ、カイが連れ去られることもなかった。責任を取るってほど律儀な人間じゃない。ただ、後悔だけはしないようにしたい。ただの自己満足かもしれないけれど、私は、カイの記憶が戻るまではカイのことを放ってはおけない。
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