(085)   Area 9 Reality 焼け残ったもの

 --焼け残ったもの-- #海

 

 穴見さんは、木曜も金曜も土曜も、朝七時には家を出て、夜八時過ぎに仕事を終え、帰り道にスーパーに寄って、お惣菜を買って帰ってきた。


 毎晩、深刻な話は後回しで、まずは他愛もない会話をしながら夕飯を食べた。そして、夕飯後には毎晩遅くまで、僕の質問に答えてくれた。


 木曜の夜は、穴見さんは買ってきたお惣菜を袋から出しながら、食べ物の話をし始めた。


「俺はな、ここ十五年はこの店の惣菜ばかり食べててな。手料理にはかなわないのかもしれんが、でも、まあ、惣菜これも悪くないんだぞ。種類は多いし。味も飽きない。うみ、この豆腐のあんかけ好きか?」

「あんかけって、甘いですか? 」

「辛いものはダメか?」

「はい。辛いものはかなり苦手なので……。カレーはなんとか食べられるんですけど」


 そう答えながら、僕は永薪食堂での日々を回想していた。


 オヤジさんとの食事はいつもパターンが決まっていて、嫌いなものや苦手なものが食卓に上がることはなかった。偶然オヤジさんと食べ物の好みが似ていただけなのかもしれないけれど、冷蔵庫の中にも、僕の好みのものが常に入っていた。食べ物に関しては僕の記憶の操作されなかったらしく、不自由を感じることもなかった。


 穴見さんとは違ってオヤジさんは、僕の好みなんて聞いてきたことがなかった。無口なオヤジさんとの静かな時間が僕は大好きだったけれど、知らない人間同士が一緒に生活するんだから、穴見さんのように疑問や質問がたくさん出てくるほうが自然なのかもしれない。


「あの、今日は食堂の火事のことについてインターネットで調べたんですが、何の情報も得られませんでした。TW-02530のパスワードもわからないままで……。穴見さんの職場では、今日は誰か火事や食堂について話していませんでしたか?」

「いいや。昨日とは打って変わって、誰一人ムダ口すら叩かずに黙々と働いていたよ。ほんと、不気味なくらい静かな日だった」

「そうですか」


 僕は途方に暮れてしまった。突然誰も喋らず静かになるなんて、何かあったんだろうか?


「もしかしたら、みんな食堂についてしゃべることをあえて避けていたのかもしれない」

 そう呟いた僕から目を逸らすように、穴見さんは視線を下げた。それから少し間をおいて、僕の方を見ると、

「何か気になることでもあるのか?」

 と尋ねてきた。僕は、食堂の火事のことを詳しく穴見さんに話すことにした。

「実は、食堂で起こった火事は、多分、事故ではないんです」

「それはどういうことだ?」

 穴見さんは訝しげな目で僕のことを見返した。


「僕はあの日、火事が起こる前、二階の自分の部屋でベッドで横になっていました。

 雨が降る前兆だったのか、雨戸が風でカタカタと揺れていたのを覚えています。

 僕の部屋は食堂のダイニングの真上にあったんですが、お客さんはみんな帰って、静かなはずのダイニングから物音がしたんです。

 ドアが開く音でした。はじめは、たいしたことじゃないだろう、お客さんが忘れ物でも取りに来たんだろうと思ってベッドで寝ていたんです。でも、それからどれくらい時間が経ってからかはわからないんですが、突然大きな物音がして、オヤジさんのうめき声が聞こえたので、急いで一階に行きました。


 キッチンに入ると、床は油か何かで濡れていて、床にキャンドルが落ちているのが見ました。そして、食堂の外から鋭い光が差し込んできて、少しすると車が去っていく音がしたんです。

 オヤジさんはダイニングの床に倒れていたので、急いでそばに駆け寄りました。

 そのあとキッチンの方から爆発音がして、すごい勢いで炎が広がってきたんです。

 僕はどうしたらいいかわからなくて。

 オヤジさんと一緒に逃げようとしたんですけど、無理でした。


 オヤジさんは痺れた体を震わせながら床に横たわっていて、あっという間に動かなくなって、呼吸も止まってしまいました……。

 それでも何とか外に運び出したかった。けれど、重くて運び出すことができませんでした。

 僕は一人、炎に押し出されるように外に出て、そのあとはただ走って、走って、逃げたんです」




 僕が話してる間、穴見さんはただ黙って聞いてくれている。




「僕は、火事の夜、食堂に来た何者かが、油を床に撒いて外に逃げた後に——タイマーかスイッチかわかりませんが——何らかの方法で爆発を起こして、油に火をつけたんだと思っています。

 ただ、火元や起爆装置を見たわけじゃないし、はっきりしたことは何も言えません。

 だけど、あの夜の一時以降に食堂に複数の人が来たのは確かです」


「一時以降? どうしてそう思うんだ?」

「最後に時計を見たのが、丁度一時で、その後誰かが来て、帰って行きました。その後、時間ははっきりわかりませんが、複数の人の声が聞こえてきたんです」

「そうか」

「あと、これもただの推測ですが、穴見さんの職場が今日は妙に静かだったことから察するに……。えっと、もしかしたらですけど、職場の人たちは、火事は事故ではなく故意に引き起こされたものだと知って、できるだけ巻き込まれないように、この件については触れないようにしているんじゃないでしょうか。まあ、僕の思い過ごしかもしれませんが……」


 穴見さんは少し間を置いて、それなら納得が行くといった様子で頷いた。


「そうか、それなら話は筋が通るかもしれない」


 僕には穴見さんが何のことを言っているのか、何の筋が通るのかさっぱりわからなかった。


「実はな、黙っておこうかとも思ったんだが、今日の午後、俺は早めに仕事を切り上げて、お前が働いてたっていう永薪食堂を見に行ってきたんだ」



 見に行った? 



 僕は意表を突かれて、穴見さんの顔を見返した。


「まあ、見に行ったって、焼け残った家の瓦礫ぐらいしかないだろうとは思ったんだが……。お前が見に行きたがっていたから、とにかく代わりに様子を見に行ってみようと思ったんだ」


 穴見さんは、話を続けることを迷っているわけではなさそうだが、伏せ目がちになると、気持ちを落ち着かせるように深く息を吐いた。




「ここからは、あんまり驚かずに聞けよ。俺は今まで海の住んでた商店街には一度も行ったことはなかったから、アプリで地図を確認しながら商店街まで行ったんだ。


 永薪食堂は桜元町の商店街の端にあるってネットに情報が上がってたから、その商店街に着いてからは、地図は見ず、脇目も振らず、とにかくまっすぐ歩いた。


 二日前に火事が起きた場所なら、焼け跡が嫌でも目に入ってくると思ったからな。それなのに、それらしい場所は何も見当たらないまま通りの端に着いちまった。


 おかしいと思ってあたりを見渡したんだが、焼け跡らしいもんは何もなくてな。訳がわからんだろう?

 それで、もしかしたら、俺は別の商店街にでもいるのかと思ってアプリの地図上で現在位置を確認したんだ。


 そしたら、間違いなくそこはお前が住んでいたっていう永薪食堂のある商店街で、俺は永薪食堂の目の前にいたんだよ。ただ、そこには瓦礫どころか何もなかったんだ。


 まったくの更地で、草一本生えてない空き地があるだけだった。何かの間違いかと思って、周りの建物を確認したんだが、他の店は地図通りにあった。変だろう? 


 警察にも消防にも知らされていないはずの火事の後、その焼け跡ががたった二日で消えちまうなんて……。


 気になってニュースや裏の情報まで調べたが、結局何も出てこなかった。

 やっぱり誰も警察や消防に連絡してないし、彼らが動いた形跡もない。


 ついでに近所の営業中の店の店主にそれとなく聞いてみたら、『昨日の昼間は燃えてしまった建物がまだあったけど、今朝はこの通り、何もかもすべて綺麗さっぱりなくなってたんだ。夜の間に何があったかは知らないがな』って言ってたよ。


 どうしても納得いかなくて、帰り際にもう一度永薪食堂のあった場所に戻ってみたら、土の上に夕陽が反射して光っているものが見えたんだ。


 ガラスの破片か何かかとも思ったんだが、近づくと土に埋まりかけたこれを見つけたんだ。

 これ、もしかして食堂のオヤジさんのものか?」


 穴見さんが差し出してきた手の中には、オヤジさんが大事そうに財布にしまっていた『S to C』と刻まれたシルバーの指輪があった。


 その指輪を手渡された僕は穴見さんに、「はい」と一言返すだけで精一杯だった。


 指輪をテーブルの上に置いてしばらくの間眺めていたけれど、なぜか、手から離していたら無くしてしまうのではという思いに駆られて、右手の人差し指につけた。


 穴見さんが話し終わってからしばらくの間、僕は押し黙っていた。今の状況を整理したいけど、頭の中がノイズのような言葉で溢れかえってしまい、何を考えているのか自分でもわからなくなってしまった。


 僕の行き場のない気持ちを察してくれたのだろうか、穴見さんが何も言わずに熱いお茶を入れてくれた。そのお茶をゆっくり飲むと、思考が少し落ち着いてきたので、何か少しでも手がかりが掴めないかと、ランダムにネットで情報を検索しはじめた。



 DA3のインターネットでは得られる情報が限られていて、大部分の情報を噂や本、闇市ブラックマーケットで強い入れた資料で補わなければ理解できない。


 穴見さんはかなりの読書家らしく、雑学も豊富で質問すれば大抵のことに答えてくれた。ただ、MCUやMCPについての情報は、めったに入ってこないらしく、他のエリアでも情報操作されているんじゃないかと疑っていた。


 僕の焦る気持ちとは裏腹に時間だけが駆け足で流れ、結局その夜もオヤジさんにつながる情報を何一つ見つけられなかった。

 


 水曜日から、たった四日間だけれど、穴見さんともに時間を過ごす中で、僕は穴見さんとオヤジさんを重ねるようになっていた。そして、DA3に一人取り残されることに大きな不安を感じていた。

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