(014) Area 30 Unstoppable MCU
--MCU--#カイ
七階、非常階段の踊り場。
床に座り込んで立ち上がれない僕の肩に置かれた北田さんの手が震えているのを感じて、怖いのは僕だけじゃないのが痛いほど伝わってきた。僕はなんとか立ち上がった。
北田さんが僕の顔を見て頷くと、非常口のドアを開けて僕が入るのを待っていてくれる。僕が中に入ると、北田さんは非常口のドアを閉めた。
七階のフロアには想像していたよりずっと大きな空間が広がっていた。天井までの高さはおそらく五メートル近くあり、フロアは壁で区切られておらず、何本もの円柱と太い鉄の梁によって天井が支えられていた。
僕と北田さんが登ってきた
七階のフロアはガランとしていて、北田さんが言っていた通り、六階の薬品庫の真上にあたる場所にはMCUの入った巨大な半透明のボックスが設置されていた。
ボックス自体は幅が二十メートル、奥行きは十メートル、高さは五メートルほどで、フロアの天井につきそうなほどの大きだ。フロア自体の照明は消えているのでボックスの中がよく見えなかったが、目が慣れてくると無数のコードが僕の目に入ってきた。僕はその巨大な装置に息を呑んだ。
「これが、MCU……」
「ああ。そうだよ」
「あの。このMCUは、MCS社のMCUとまったく同じものなんですか?」
「構造は同じだが、MCS社のものは白いボックスに入っていて、中に入り込まないと装置が見えないようになっていたよ。まったく覚えていないか?」
僕はただ頷くと、目の前にある異様なほどの威圧感を漂わせる装置を見つめた。中心部には棺桶を縦に立ててたような空間があり、棺桶の蓋に当たる部分は上部にスライドして開いた状態になっている。中に入ると魂を抜かれてしまうのではないかという恐怖に襲われた。
「
「やっぱりそう思うよね。僕らもあの部分を
「あのキャスケット部分に入って記憶を制御するんですか?」
「あの空間に入ると、上から蓋が降りてきて、キャスケット部分が四十五度に傾くようになっている。傾いた時点で、記憶にアクセスするためにキャスケット内に特殊な液体が機械と人の間の媒体として注入される。記憶制御完了後に液体は気化する」
僕は本当はMCPなんじゃないかな……。センバという人に説明を受けた記憶はあまりに鮮明だ。それがすべて、ただの夢だったとは思えない。
MCUの裏側の壁には『制御室』と記載されたプレートのついたドアがあった。そのドアの中に入ってMCUを操作するらしい。つまり、長方形の大きな
制御室の広さは6畳ほどだろうか、長方形の部屋の奥に画面が四台、上下に二台ずつ設置されておいる。画面から二メートルほど離れた向かい側の位置に細長いガラスのテーブルがあり、デーブルの奥の壁際に画面に向かい合うようにして椅子が二脚並んでいる。
「カイくんも、入って大丈夫だよ」
僕は恐る恐る
「思ったよりも簡単に中に入れるんですね」
「ああ、許可さえ得ていればね。まず、この階に入れるのは、MCPになる人間とこの
許可を得るにはここの研究員になって特別な業務につくか、犯罪者の記憶制御の執行人になるしかない。その中でも、装置内に入ってMCUを制御したり操作できる人間は十数名しかいない。
だから、もし何か起これば、犯人の特定は容易だ。そして、この装置を破壊したものは死刑以上に酷い目に遭うらしいよ。
このような状況下で、このMCUを破壊しようとする人間が現れる可能性は非常に低いと、政府の人間は判断したんだと思う。だから、一旦装置に入ってしまえば、操作は結構自由にできるんだよ」
「もし何か起これば、死刑以上って……そんな危険なことを北田さんはどうして平気でしようとしているんですか?」
僕は、まるで家電製品の使い方を説明するかのような、北田さんの口調に、今していることがどれだけ危険なことかわからなくなってしまいそうだった。
「心配いらないよ。この国はMCPに頼ってさまざまな産業を回してきた。MCPに頼ってきたこの国のシステムがすべて壊れたら、数ヶ月間は混乱が続くと思うから、MCUを破壊した人間を探すほどこの国の政府は暇ではないと思うよ」
本当に心配いらないんだろうか? それとも、どうしてもMCPを破壊したいから、平気なふりをしているんだろうか?
僕には、北田さんが自分を危険に晒してまで、MCPを破壊しようとしている理由がわからない。
「北田さんにもMCPになった家族がいるんですか?」
「いいや、僕には誰もいないから、こんなことしようとしているんだよ」
僕には北田さんの考えていることはよくわからないし、北田さんの過去も知らない。だけど、北田さんが自暴自棄になっているようには見えなかった。
だけど、僕には北田さんが、まるで自分自身に関しては、まったく興味がないのではないかと思えた。
MCUの制御室の中には二重扉があり、その扉の向こう側は一見するとサーバルームのようだが、よく見ると無数のコードが数えきれない機器をつないでいる。相当複雑な配線になっている。
「この二重扉の向こうに入って、物理的に装置を破壊できないんですか?」
「可能だけれど、ここのセキュリティー上、内側にある二枚目の扉の中に足を踏み入れた時点で、扉がロックされて、装置内に閉じ込められる。そして、関係者に支給された端末に通知が届き、さらに電話が鳴る。
加えて、この施設のすべてのセキュリティーアラームが鳴り、警察にも連絡が行くよ。アラームと装置の扉のロックは、五人以上の関係者の承認しなければ止めることはできない。
さらに、扉のロックがかかった時に施設内にいた人間のIDカードはすべて無効になる」
「つまり、二枚目の扉の中に入ってしまうと、その後自力ではこの装置の中から出られなくなるということなんですね」
「ああ、念の為説明しておくけど、まず、二枚目の扉を開けるためには、一枚目の扉を閉めないといけない。
そして、二枚目の扉の奥にはロードセル——つまり、重量センサー——が取り付けられていて、二枚目の扉の中の重量が増えた場合には、二枚目の扉がまだ開いた状態でも、一枚目の扉がロックされてしまうから外に出られなくなる。
だから、中に入って装置を破壊することができたとしても、この装置から出る方法がないんだ。
ただ、逆に考えると、二枚目の扉の向こう側に足を踏み入れたり、何か物を入れたりしない限りは、一枚目の扉はロックされないから、一枚目の扉と二枚目の扉の間に立ったままなら、二枚目の扉を開けて手の届く範囲で装置内部に触れることができる。ただ、手の届く範囲で装置を破壊しようとしても、数本のコードを抜き差しできる程度だ」
「それだけでは装置は壊せそうにないですね」
確かに、二重扉の向こうに入って、物理的に装置を破壊することは不可能のように聞こえる。
「ああ、見ての通り、一枚目と二枚目の扉の隙間にあるのは、一人の人間がやっと立っていられるほどのスペースだから、複数の人間で協力して作業することはできない。
つまり、二枚目のドアを開けて装置内部に爆弾を仕掛けても、一枚目のドアがロックされ外に出れない。もし、一枚目と二枚目のドアの間のスペースに爆弾を仕掛けたとしても耐爆性が高くて、装置を爆破できるほどの爆破力が得られない」
「わかりました。難しいですね」
やっぱり直接破壊するのは無理か……。質問するまでもなかったかな。北田さんだけじゃなく、これまでこの計画に関わってきた多くの人が、MCUの破壊方法を考えてきたはずだ。今僕が数分考えただけで答えが出たら、誰も苦労しないだろう。
「そうだね。難しい。
ただ、どうしてこんなに複雑なシステムなのかわからないし、国が必死で守ろうとしている装置にしては、セキュリティーは甘々だけどね。命懸けで破壊しようとすれば、破壊できないことはないんだから……。
結局のところ、MCUが複製できないという事実やこのMCUの設置場所を知っている人間自体が少ないから、危機管理能力にかけているんだと思う。でも、そのおかげで私たちが破壊を企てる隙があるんだけどね」
北田さんは僕と話している間も、画面の向かいにあるテーブルにノートパソコンを置いて、椅子に腰掛けると、MCUのメインコンピューターにローカル通信で接続した後に、MCUのさまざまなプログラムにアクセスして、着々と作業を進めている。
「カイくん、これからMCUの保護プログラムが発動するからアラームが鳴るけど、さっき説明した通りこのアラームは、二重扉のロックやアラームとは違って、私が解除できるから心配しないでね」
北田さんがキーボードで何か入力すると、施設内にアラームが響き渡ったが、一分もしないうちにアラームが止まった。
「予定通り、無事アラームは解除した。町田さんは今のアラームの知らせを受けて、安全な場所に移動してくれたはずだ。ここからはプログラムを消去し、その後、プログラムを復元できないように別のデータを上書きする」
ここに来る前に北田さんが説明してくれた通り、アラームがプロブラムの消去中に何度も鳴ったが、そのたびに北田さんが解除していく。
北田さんの目の前にはノートパソコンと、部屋に設置されてある四つの画面があり、それぞれの画面に消去されていくプログラムの内容が映し出されている。
「おかしいな。予定だと、そろそろ四十パーセントの消去が完了しているはずなのに、まだ十パーセントしか完了していない。そろそろ消去開始から二十分経つ」
上段左側の画面に、Automatic Recoveryの文字を見つけて、僕は凍りついた。
「あの、北田さん。もしかして、
「どこだ?」
「ここです」
僕は右端にあるの画面を指さした。
「どうして?」
北田さんの表情が曇る。
「あの、このままの状態が続くと、どうなるんでしょうか?」
「作業に時間がかかり過ぎると、政府関連施設の停電が解消され次第、国やこの施設の管理者に気が付かれてしまう。政府が動きを見せた場合にはミエや柏原さんから連絡が来るはずだから、携帯に連絡がきていないか、こまめに確認するしかない」
「プログラムの
「いいや、私が確認したMCUのプログラムには記載されていなかった。もしかしたら、こちら側の動きを読んでいた人間がいるのかもしれない」
「あの、僕の母以外に、MCUのプログラム開発に携わった人はいないんでしょうか?」
「驚くべきことだけれど、君のお母さんが一人でこのプログラムを完成させたんだ。ただ、君の曾祖父にあたる人が構想していたものを、君のお母さんが形にしたと、ミエから一度だけ聞いたことがある」
「僕の曾祖父が……」
理由はわからないけれど、曾祖父という存在を意識することで、頭の中にいろいろな記憶が溢れ出してきそうな感覚に襲われた。
「あの、僕の曾祖父について知っていることはありませんか?」
「え? 突然どうしたの? 何か思い出した?」
「いいえ、何となく知りたくて。祖父がこの装置を構想していたのなら、母は祖父のことを考えながら、この装置を作ったのかもしれないと思ったので……」
北田さんは不安そうな表情で画面を確認しながら、ノートパソコンを操作している。自動復旧が続き、プログラムの消去が進まない状況が続いている。制御室内ではネットワークに接続できないので北田さんは携帯を手に制御室から出た。政府や国立農場などの外の動きが気になるのだろう。
「『時間は巻き戻せない。形あるものはいつか壊れるものだ。だから、壊れた時に嘆く必要などない』」
「え?」
「いや、ミエが事あるごとに口にしていた言葉だよ。もしかしたら、君の
『時間は巻き戻せない。形あるものはいつか壊れるもの……』僕は心の中で、その言葉を何度も繰り返した。
「まさか?」
北田さんの声に僕は振り向いた。
MCUの制御室から出て、ネットワークに接続し、携帯にメッセージが入ってきていないか確認していた北田さんの表情がみるみるうちに曇っていく。
「どうしたんですか? もしかしてもう政府に気づかれてしまったんですか?」
「いいや。違う。だが、想定外の事態だ。カイくん、すまない。危険な行為だが、薬品庫を爆破して、建物ごとMCUを破壊しないと」
「今からですか?」
「ミエが私に連絡せずにここに向かってきている。詳しく話している時間はないが、ミエと私は複数の情報を共有しあって、お互いの場所を追跡できるようにしてあるんだ。あと二十分弱でミエがここに到着してしまう。ミエは何をするわからない。破壊方法を変えるには急がないと。今しかない!」
「ミエが何をするかわからないって、どういうことですか?」
「僕はずっとミエを信用してきたが、もしかしたら、今の彼女は僕が長年見てきた人物ではないかもしれない」
「何を言っているんですか?」
「数週間前に彼女は自分で薬の被験者になったんだ。もしかしたらその時に、何か思い出したのかもしれない。その内容によっては、彼女はMCUを守る側についてもおかしくないんだよ」
「そんな……」
「ミエは薬を飲む前に、もし自分が裏切る立場になったら、躊躇うことなく薬品庫を爆破するように私に言ってきた。だけど、その事態が起こることをできる限り避けたくて、ミエがここに向かうかもしれないことまで考慮して、ミエには秘密で予定よりも早くここに来てプログラムの消去を開始したんだ。だけど、そのことまで先読みされていたみたいだ」
起爆装置のタイマーを起動させて起爆するまで十五分かかる。早く起爆装置を起動させないと! 爆破が成功してもタイミングが悪いとミエがここにたどり着いて、爆破に巻き込まれてしまう。
僕と北田さんはノートパソコンなどの荷物をまとめる暇もなく、フロアの真ん中にある非常口から螺旋階段のある踊り場に出ると、急いで階段を駆け降りて、六階の薬品庫に入り、キャビネットの前で起爆装置のタイマーをスタートさせた。
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