(057)   Area 17 Someone in my head 共鳴

 --共鳴--


「カイ、カイ!」

 リクの声がカイの頭の中で反響する。

「大丈夫?」

 カイは目を覚ますと辺りを見回した。

 カイの手はぐっしょりと汗ばんでおり、息も荒い。

 棚に並んだ時計は止まっていて、カイにはどれだけ時間が経ったのかわからなかった。


「僕、何時間寝てたの?」

「何時間って、そんなに寝てないわ。数分様子がおかしかっただけよ。本当に大丈夫?」


 リクが心配そうな表情で、カイの顔を覗き込む。


「ばあばはどこに行ったの?」

「タキさんなら、ちょっと前に砂糖を取りにキッチンに向かっただけで、すぐに戻ってくるわ」

「本当に、僕は数分寝てたただけなの?」

「ええ、さっきまで喋ってたじゃない」

「そっか」


 カイは、さっきまで見ていた夢は、まるで長編映画を見ているように長く感じたのに、ほんの少しの間しか時間が経っていないと言われても、実感が持てなかった。


 カイの表情が虚ろでなので、リクは不安になった。まるでここにカイの実体がないような錯覚に襲われていた。そして、カイを見ていることが耐えられなくなった。

「私、ちょっとトイレ借りてくるわ」


 リクは急ぎ足で部屋から出ると、キッチンの扉をノックした。

「タキさん、お手洗い借りてもいいですか?」

「もちろん、いいよ。廊下の突き当たりの右側にあるよ。それより砂糖を切らしてたみたいでね、棚の奥に新しいのが入ってるはずなんだけど、見当たらなくて」

「お手洗いから戻ってきたら、探すの手伝います」

 そう言うと、リクはキッチンを後にした。


 トイレまで続く廊下には、何枚もの写真が飾ってあった。ほとんどは、花や山などの自然の風景で、どこで撮られたものかもわからなかった。

 カイの素性がわかりそうな写真がなくてため息をついた瞬間、トイレのドアの向かい側の壁にかかる写真が目に入ってきた。


 写真には、十代後半と思われる女性とタキさんが並んで写っている。そして、その隣にはその女性と少年が並んで写っている写真があった。今よりも背が低く大分幼ないが、この少年は間違いなくカイだ。


(あれ? この女の人、この頃どこかで……)


 リクはどこか幼さの残るその女性の顔に見覚えがあった。でも、いつどこで見たのかは、わからない。しばらく写真を見つめてはみたが、実際に出会った人なのかネットやテレビで見たのか、それすら思い出せなかった。


 リクがトイレから出て、台所の前に差し掛かると、タキがちょうど台所から出てきた。


「砂糖、見つかりましたか?」

「なぜかいつもの棚じゃないところにあったよ。この前片付けた時に、間違えていつもと違う場所にいれたのかもしれない」


 タキはそう言うと、小さな花柄の陶器の砂糖入れをリクに向けて見せた。


「タキさん、一つ聞きたいことがあるんですが、トイレの前に飾ってある写真に写ってる女の人って、もしかしてカイのお姉さんですか?」

「トイレの前の写真……。あぁ、この家の前で撮った写真だね。そうだよ、今から五年ほど前に二人と撮ったんだ」

「本当に仲がいいんですね」

「私にとっては、みっちゃんもカイも孫同然だからね」


   ◇     ◇     ◇


 二人が時計の部屋に戻ると、部屋を出た時と同じ体勢のまま、カイは椅子に座っていた。


「カイ、起きてる?」

「うん、リク。でも、気持ちが悪い」

「困ったわね」

「ばあば、僕はいつからこんなことになったのかな?」


 カイは顔面蒼白で、かなり具合が悪そうだ。


(やっぱりカイの様子がおかしい、これ以上ここにいない方がいい)


 リクはカイの手を握ると、引き上げるようにしてカイを立たせた。


「タキさん、ごめんなさい、せっかくお茶やお菓子まで用意してもらったけれど、カイ、かなり具合が悪いみたいで。今日はもう帰ります」


 タキは驚いた表情で、二人を見ている。


「本当にごめんなさい。また来ますから……」

 リクは、カイを無理やり立たせると、肩に体をもたせかけて歩き出した。


「ばあば」

「何だい?」


 カイは夢の中の出来事を確かめるようにタキに尋ねた。


「あの日、ばあばが倒れた日、僕が本当に救急に電話をかけたの?」

「何を唐突に……。今日のカイは本当に様子が変だね」

「大丈夫だよ、ばあば。それより、あの日、僕は本当に……」


「本当さ。あんなに小さかったのに、みっちゃんと二人で必死に私を助けてくれた。救急病院の人から聞いたよ。少しでも遅かったら、この足はもう動かなかっただろうって。手遅れになってたって。私が助かったのは、カイが電話してくれたおかげだよ」


「やっぱり、本当のことなんだ。本当に、本当の……」


 カイの声が浅くなり擦れていく。

「カイ、大丈夫かい? 空いている部屋があるから、休んで行った方がいいんじゃないかい?」


 タキは心配そうに声をかけたが、二人の耳にその声は届かなかった。リクはカイを連れ出すのに必死だったし、カイ気を失いそうなほど、意識が朦朧もうろうとしていた。


   ◇     ◇     ◇


 季節は秋で、夜には寒い日もあるのに、この日の太陽は容赦無く輝き、真夏のような光を地上に注いでいた。


 しばらく歩くと、リクは道路脇の小さな公園にベンチを見つけた。そのベンチはちょうど木陰にあり、水飲み用の小さな噴水がすぐそばにあった。


「よかった、ここに座って。ちょっと休まないと共倒れしそうだわ」

 リクは、肩に抱えていたカイをベンチに座らせると、その隣に腰掛けて深く息をついた。



 しばらくすると、カイの意識が徐々に戻ってきた。


「ありがとう、リク、連れ出してくれて」

 カイの声は擦れていて弱々しかったが、身体の方はもう大丈夫そうだ。


「やっと意識がはっきりしてきたみたいね。もうこの世に戻ってこないのかと思ったわ」

 リクは、本当はカイのことが心配で仕方がなかったけれど、できるだけ明るく冗談めかした口調で答えた。カイは重い瞼を開いてリクの方を向くと、何て言ったらいいかわからず、少し目をそらした。


「ごめん」

 申し訳そうなカイの態度に、リクは苛立ちを抑えられずにいた。

「謝らないでよ! これは私の責任よ。私がタキさんの誘いに乗ったんだから」

 リクは自分が突っ走り過ぎたことを後悔していた。


「そのリクについて行ったのは僕の意思だから」

 そう言い返した後、カイは唐突にくすっと笑った。少し苦笑いのようでもある。

「どうしたの?」

 リクにはカイの気持ちがさっぱりわからない。


「気にしないで、ただの思い出し笑いだから」

「そういう風に言われると、余計に気になるんだけど」

「僕、前にも『謝るなよ』って言われたことがあって。自分ではわからないけどそんなに謝ってばかりいるのかなって」


 リクは、少し呆れたような表情をすると、空を見上げて息をついた。


「そうよ、カイは何かにつけて、逃げるみたいに謝ってばっかり」

「ごめんなさい」

「ほらまた」

「すみませ、ん。うーん。確かに」

「でしょ?」


 リクは小さく笑うと、困ったようなカイの顔を覗き込んだ。


「でも、逃げてるとは思わなかったな」

「逃げてるわよ。だって、あんなにすぐ謝られたら、したい喧嘩もできないでしょ?」

「したい喧嘩って……」


 言葉を濁すカイに、リクは真正面から言い放った。

「引き下がったり、逃げたり。適当に謝ったり。そんなことする必要ないわ!」


 そしてリクは、カイの言葉を振り払うかのように勢いよく立ち上がると、すとすとと歩きだした。


 カイはリクの強い言い草にタジタジだったので、これ以上言い返すことはせずに、リクについて行った。


   ◇     ◇     ◇


 朝早くに出かけたわりには、リクとカイが神作の店に戻ってきた頃にはもう昼過ぎになっていた。


 神作が店にいないようなので二人はリクのアパートに戻って休憩することにしたが、アパートの玄関の鍵を開けた瞬間にリクの電話が鳴った。


「もしもし。はい。わかりました。今すぐ向かいます」


 リクの表情は疲れているが、その表情とは裏腹に声のトーンは驚くほど明るい。あまりにもちぐはぐなリクの表情と声のトーンを目の当たりにしたカイは、人間の二面性について怖いと言うより悲しい気持ちになってしまった。


(やっぱり、誰でも他人には見せない顔があるのかな?)


 カイは自分の中にある過去の自分は、どんな顔を人に見せていたのか、どんな人間だったのか気になった。そして、このDA2には、自分自身が知らない過去の自分を知る人間がいるのだと思うと、どうも気持ちが落ち着かなかった。


(ついさっきも、さんざんばあばに怪しまれた。もし、昔の僕の知り合いが今の僕を見たなら、過去をすべて隠して生きている人間に見えるだろう。そう考えると、自分という存在が不気味にさえ思える。


 僕は今までに人の本音なんて聞いたことがあるんだろうか?

 オヤジさんは僕に本音で話しかけてくれていたんだろうか?

 リクも何かを隠している気がする。

 穴見さんや牧さんは不安や弱さを僕には見せてくれなかった。


 いや、人のことばかり言えない。僕自身だって、どこまで人と真正面から向き合ってきただろう……)


 物思いに耽るカイの背後でリクは電話を切ると、考えをまとめるために少しだけ間をおいてからカイに向き直った。


「カイ。ちょっとこれから配達のバイトに行くことになったから、部屋の中で待ってて。おそくても夕方には戻ってくるし、好きなように過ごしてくれたらいいから。あと、なんか嫌な予感がするから、レイン以外は絶対に誰も部屋の中には入れないでね」

 リクは早口でそうまくし立てると、玄関のドアから鍵を抜いて、急いで廊下を走って行ってしまった。


「嫌な予感って?」

 カイの声が虚しく廊下に響いた。



 リクがエレベーターのドアの向こうに消えると、カイはアパートの玄関のドアノブに手をかけて小さく息をついた。


「アン!」


 カイが驚いて振り向くと、タイミングよくアパートに戻ってきたレインが尻尾を振りながらカイを見つめている。

 カイがドアを開けると、レインはドアが完全に開かないうちに、ドアとドア枠の隙間をするりと抜けて部屋に入って行った。レインに続いてカイも中に入ると、ドアを閉めて、内側から鍵をかけた。


 玄関のドアにもたれかかり天井を見上げると、カイは慌てて出かけて行ったリクが言い残した言葉を思い出して、警戒心を強めた。


「嫌な予感って、リクは一体何を感じたんだろう?」



 部屋の中は、この前とさほど変わりなく、テーブルの上以外はこざっぱりとしていて、きれいに片付いている。

 カイはリビングのリュックを雑然としたテーブルの片隅に置くと、コートを着たまま、ソファーに横になり額に腕を置いて目を閉じた。


(自分で思っているよりも疲れているのかな。一瞬で眠ってしまいそうだ。耳が聞こえなくなったみたいに静かだ)


 だが、それから数分もしないうちに、その静寂は破られた。


「クーン」


 キッチンの方でレインが鳴いている。

「レイン、どうしたの?」

 カイは重たい体を起こして、レインの様子を見にキッチンに向かった。

(お腹でも空いたのかな?)


 カチャカチャと金属が動くような音がきこえる。

(なんの音だろう?)


「クーン」


 レインの小さな鳴き声が再び聞こえた。


「レイン、大丈夫?」

 そう言いながらカイはキッチンに入ったが、そこにレインの姿はなく、振り向いた途端に体に痛みを感じ、目の前が真っ暗になった。

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