6 冒険者の教え

 ヴァルムの相手を務める男も、剣を使うようだった。

 お互い軽く剣を合わせた後は距離を取り、間合いを測る。

 その間にも、男の口は小さく何かを呟いていた。


「……正面」

「ん?」


 思わず口から出た言葉に、隣にいた男が反応する。


「――――――燃やせフラルモ!」


 詠唱の完成と同時にヴァルムの眼前に火の玉が出現する。

 それを身を低くして避けながら、彼は軽く剣を薙いだ。

 キィン、と金属同士のぶつかる音。

 ヴァルムの足元から男は飛び退すさる。

 着地から剣を構え直した時には、もう次の呪文を呟いていた。


くうを満たすもの。天に地に吹き荒れ、我が元に集まれ。その姿、薄き刃のごとく切り裂けワクウム!」

「……右」


 ヴァルムが軽く左に首を傾け、何かを避ける。チッと微かな音がして、短く切れたヴァルムの髪がいくつか舞った。


「戻る!」


 ヴェルデビヒトの声と同時に、ヴァルムが頭上で剣を振る。見えはしないが、空気が確かに震えた。

 見物人の幾人かがヴァルムとヴェルデビヒトを見比べている。

 その間に次の呪文を完成させた男は、剣を構えて足を踏み出した。


「――――――炎の鎖フランカテーナ!」

「足下!」


 ヴァルムが後ろへと跳躍した瞬間、今まで立っていた床から蛇のような炎が螺旋を描きながら登っていく。その場にいたなら炎の壁に取り囲まれていたことだろう。

 動き出していた男は炎の壁に剣を振るい、手応えがないのを感じると炎を回り込もうとした。

 その、ほんの呼吸の間にヴァルムは彼と同じように炎に剣を振るう。

 斜めの太刀筋は炎の壁にその跡をつけ、炎は藁束を切った時のように姿をずらし、次の瞬間、消え失せた。


 ヴェルデビヒトの腕に鳥肌が立った。

 魔法に魔法をぶつけて相殺するやり方はある。より大きな魔力で押し返すことも。

 けれど、今、ヴァルムは魔法を発動した訳じゃない。そういう魔力の流れではなかった。


 炎を斬って前に出たヴァルムに、それを回り込もうとしていた相手の男は対応が遅れた。あっさりと足を引掛けられてその場に転がる。

 見物人は大いに盛り上がり、恥ずかしそうにしながらヴァルムの手を取って立ち上がる男に、惜しみない拍手が送られていた。


「見たか? 見たかよ! 魔法を斬るなんて、何度見ても震えがくらぁ! あああ! 俺もできりゃあなぁぁ!」

「坊主、発動前に場所言い当ててたな? さすが術師の卵ってとこか。ヴァルムは魔法はからっきしだからなぁ。才能ある術師とは組んでみたいだろうな」


 ヴェルデビヒトは曖昧に笑った。

 自分は魔法を発動できない。だが、ヴァルムがあれを自分に見せたかったのだということは解った。


「ヴァルム! 俺も! 俺も、一戦!」

「おめーは魔法使えないだろ。俺は恩人を案内してんだ。終いだよ」

「ヴァルムぅ」


 女のように縋りつく男を背負って投げて、場内はまた笑いに包まれる。

 いくつか差し出される手のひらに、自らの手のひらをぱんぱんと当てながら、ヴァルムはヴェルデビヒトの前に戻ってきた。


「うるさくて敵わねえ。飯でも食うか」



 ◇ ◆ ◇



 適当に入った酒場で適当に注文を済ませると、ヴァルムはエールを飲み出した。

 ご丁寧にヴェルデビヒトの前にもどんと置く。


「酒の匂いをさせて帰れませんよ」

「あぁん? まったく、お坊ちゃんだなぁ」


 ヴァルムは体中ごそごそと手を当てて、何か探し出す。やがてどこからか丸い飴玉を取り出した。

 ふっと一息吹きかける。


「ほらよ。匂い消しだ」

「なんでそんな物持ってるんですか」


 ちょっと疑わしげにじろじろと眺めていたヴェルデビヒトに、ヴァルムはきょとんとする。


「おいおい。わしは冒険者だぞ? 仕事受けるにも、獣から悟られないためにも、絶対必要なもんだろうが」


 仕事受けるときは普通飲まないです。

 言っても無駄そうな言葉は飲み込んで、ヴェルデビヒトは飴玉を受け取った。鼻に近付けるとスッとした匂いが鼻から喉に抜けていく。とりあえず、それはポケットにしまってからジョッキに手を伸ばした。

 未成年だからというより、昼間っから大っぴらに酒を飲むということに、彼は罪悪感のようなものがあった。周りを見れば、誰も彼も酒を手にしているので、それ以外を飲んでいると逆に目立つのかもしれなかったが。

 テーブルいっぱいのを前に、ヴェルデビヒトは先程の試合の話を聞く。

 ヴァルムは常に何か頬張りながら、うーん、と首を捻っていた。


「俺ぁ、説明できないからよ。見てもらうのが早ぇと思ったんだ。おめぇも食えよ?」

「見ても、よく解らなかったですよ。真空魔術ワクウムの時も、おそらく斬っていたんでしょう? ヴァルムは魔法は……」

「俺は一切使えねぇ。魔力の流れを読むっつうのも、実はよく解らねぇ」


 ヴェルデビヒトは驚いた。彼と同じように、魔力の流れから発動場所を特定して避けているのだと思っていたのだ。


「じゃあ、どうやって避けてるんですか!」

「……勘……? やべぇってのがなんとなく判るんだ。だから、ヤバそうじゃないやつはまともに喰らったりする。水戦争ベルルムなんて、巻き込まれるとだいたいずぶ濡れだな」


 呆れて、ヴェルデビヒトはしばらく口が利けなかった。


「坊主みたいに魔力を籠めるのも出来ねぇからな。準備期間が無けりゃ魔法陣使うのもめったにやらねぇ」

「籠められない? じゃあ、さっきのは武器に魔力自体を籠めたわけでもないんですか」

「違うな」


 でも、魔力自体は感じていた。

 口元に手を当てて難しい顔をしたヴェルデビヒトに、ヴァルムは肩を竦ませて「まあ、食え」と勧める。

 

「斬る方はなんとなく分かるぞ。術式の、要の部分を削ってやればいいんだ。ほら、魔法陣を書き換えるのと一緒だろ? 魔法が使えりゃあ、術式を書き換えて返してやることも出来るんだろうが……」

「……ちょ、ちょっと。ちょっと、待って。詠唱の術式を削るって? それは組み上げられて、すでにそこに完成したものだろ? だから、発動する。詠唱を中断させるようにはいかないはずだ。ましてや書き換えるなんて……!」


 ヴァルムは何を言ってるんだと、首を傾げている。


「ん、だから、できたものからそれを固定している物を壊してやれば、消える。簡単だな」

「簡単じゃないっ」


 簡単でたまるか!

 勢い余って椅子を倒して立ち上がったヴェルデビヒトに、ヴァルムはまあまあ、と手で示し、ジョッキの中味を飲み干した。


「ちっとは食え? 腹が減ってると、頭もまわんねぇぞ?」


 椅子を戻し、乱暴に座り直すと、ヴェルデビヒトは据わった目でヴァルムに指を突きつける。


「そういうからには、見えてるんだろうな? 発動されたものに、術式が」


 魔術学校に通ったこともないだろう、魔力の流れもよくわからないという冒険者に簡単だと言われて、流石にプライドがうずいていた。発動させられなくとも、絶対に自分の方が術式には長けている自信があった。逃走に使った隠蔽の魔法陣を書き換えた術式も、自分ならもっとスマートに魔力を節約した書き方が出来るはずだと。


「んなわけあるかい。そういうのはおめえさんたち魔術師の領分だろ? 出来るのだから、どうしてか、なんてことは考えなくてもいい。わしはなんとなくこの辺、を力任せにぶった切っとるだけだ」

「それも、勘か!!」


 はぁぁ、と力が抜ける。額を抑え込みながら、ヴェルデビヒトはだんだんまともに相手をしているのが馬鹿らしくなってきた。


「いや、そっちは割とどうでもよくてな。わしがそれを壊せるのだから……」


 ヴァルムは一度言葉を切って頭を振ると、痛ましげにヴェルデビヒトを見詰めた。

 それに気づいたヴェルデビヒトが顔を上げて眉を顰める。今更、何故そんな目で見るのかと。


「そんな話は後でもいい。ビヒト。食え。食いたくなくとも、食え。血肉を行き渡らせておかねば、力は出ない。不味くとも、最初は吐いてしまっても、食う努力をしろ。詰め込め。動けなければ、何もできずに負けることになる。お前はそれを是としないのだろう?」


 その時、自分がどんな顔をしたのか、ヴェルデビヒトはわからなかった。

 ただしばらくヴァルムの顔を見ていたのは確かで、それから目の前の肉にそっと手を伸ばした。

 もう見るところがないというまで見つめてから、ゆっくりと一口齧り取る。

 味はよく判らなかった。判らなくて良かった。

 喉の奥に何かの塊がつかえている。それもろとも無理矢理に飲み込む。

 う、と戻しそうになるのをエールでさらに流し込んだ。

 それからゆっくりとはいえ、機械的に手と口を動かすヴェルデビヒトを、ヴァルムは黙って見守っていた。

 そのうちに少年の瞳からは大粒の涙がぼろぼろと零れだす。

 肉に齧りつくために開いた口に、いくつか入り込んだ涙の塩辛い味だけは、ヴェルデビヒトにもしっかりと感じられた。




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