72 対面

 それは不思議な感覚だった。

 彼女に魔力を注いでいるのは自分のはずなのに、注いだ分だけ明らかな異物が入り込んでくる。

 多くはない。強くもない。ただ、純度が違う。

 相手の魔力が、自分の魔力に絡みついて、下手をするとな気がする。


「…………あっ……ぐ……」


 たまらず、胸に手を寄せて呻くビヒトを、腹の上で女が楽しそうに見下ろしていた。

 喰われないように、入ってきた魔力を外に押し出そうとする。それは、自然な反応だった。


「だぁめ。追い出しちゃ意味がないの」

「はっ……なん……」

「飼いならすの。喰われても、追い出してもだめ。魔力操作は得意でしょう? 外に出せない分、そこは上手くなったもの。ヴァイスハイトより、上手よ」


 甘ったるい言葉と香りに、何のことを言われているのか判らなくなる。

 淫らに反応する身体に、舌先を噛んで正気を戻す。


「……ぐ、ぅ……」


 相手の濃い魔力の塊を散らすのも一苦労だが、散らして包んでやれば抵抗は少なかった。抱き返されるような反応が心地良くさえある。

 一度コツを掴めば、時間はかかるが無理ではなくなった。順番に、丁寧に相手の魔力を取り込んでいく。

 最後のひとかけらを散らし終わると、ビヒトはぐったりとベッドに身体を預けた。


「……よくできました。イイコね。ご褒美をあげる」

「!! まっ……いま、うご……」


 目の前に星が散るような快感を、ビヒトは初めて味わった。自分の身体が自分のものではないような浮遊感の中、女のくすくすとした笑い声が満ちていく。

 ふわふわとした気分とは裏腹に酷く釈然としない気持ちになって、ビヒトは閉じていた瞳をこじ開けた。




 目の前に、白髪の、鬼のような男の顔が見えて、思わず悲鳴を上げる。


「ぅ、わあああああああぁああああああぁぁっ!!」


 反射的に出た拳を、鬼はあっさりと避けたので、ビヒトは飛び起きて距離を取った。


「なんじゃい。うなされとったから、起こしてやったのに」


 鬼が喋ったので、ビヒトは少し冷静になった。まず、自分の身体を見下ろす。大丈夫。着衣している。

 辺りは、カンテラの薄暗い明かりだけで、一番煩いのが自分の心臓の音だった。


「……ヴァ……ヴァルム?」

「おう。目ぇ、覚めたか?」

「……あぁ……」


 長い長い吐息が漏れた。

 安心すると、身体がぐったりと重怠いのが分かる。眠っていたのに、酷く疲れているなんて。


「そんなに、経ってないのか?」

「いんや? わしは充分休んだが。そんなに夢見が悪かったんか」

「ああ、うん……いや……」


 悪いかどうかは微妙なところだ。話せば羨ましいと言われるかもしれない。

 口を濁して、ビヒトは荷物の中から水筒を探し出した。

 水を口に含んでいるうちに、背中がぐっしょり濡れているのに気付く。ついでだからとビヒトは着替えることにした。



 ◇ ◆ ◇



 荷物を背負おうとしたビヒトから、ヴァルムはその荷物を取り上げた。


「まだ休んどってもいいぞ。魔力、回復してねえんじゃねーか?」

「いや。ここでの回復は早い。気にするな」


 言った通り、魔力の量に問題はなかった。多少の違和感があるのが、夢のせいなのか、短剣を持って鋭敏になってるせいなのか判断がつかない。それも、徐々になくなりつつある。ここでもう一度眠って、また妙な夢を見るのも嫌だった。


「そういうなら、いいけどよ……ま、荷物くらい任せろ」


 肩ベルトを調節しながらウィンクするヴァルムに、ビヒトはありがたく従う。

 初めに足を踏み入れたホールまでは、侵入してきた野生動物を数匹相手にしたくらいで着くことが出来た。

 ホール入口に小さな影が見えて、ビヒトは足を止める。影はビヒトに気付くと外に向かって声を上げた。そのまま駆けてきて、ビヒトに飛びついてくる。

 短剣を構えるべきなのか迷って、結局両手でその体を捕まえた。

 じたばたと四肢を動かして、不満気な声を上げられる。


「ヴァルム。どうすべきだ?」

「ふむ。人間は怖いと教えておくか?」


 子ハテックの目の前で剣に手をかけるヴァルムに、子ハテックは牙を剥きだしてシャーシャーと威嚇の声を上げる。

 ビヒトが笑うと、低く迎えの声がした。

 ゆっくりと入口に立つ姿に、子ハテックを下ろしてやる。子ハテックはしばらくビヒトを見上げていたが、しぶしぶと迎えのハテックの方へと歩いていった。


「なんで、まだいるんだと思う?」

「さあな」


 子ハテックが傍に行っても、ハテックの動く気配はない。

 しばらく睨み合うような形になった。

 ふっと、ハテックの雰囲気が緩む。溜息のようなものをつくと、踵を返した。顔だけまたビヒト達に向けて「がぅ」と投げやりに声をかける。

 ビヒトはヴァルムと顔を見合わせた。


「『来い』?」

「たぶんな」


 ゆっくりと彼の後を追う。通路を抜け、入口向こうの踊り場でハテック達は待っていた。

 ハテックが視線を流し、子ハテックが階段を駆け下りていくのを見る前に、二人はひらけた一帯の森との狭間に意識を向けていた。

 抑えてはいる。けれど、どうしようもなく漏れ出る魔力の圧力に、意識を向けない訳にはいかなかった。

 ちょこちょこと駆け寄って行く子ハテックと比べれば、小山のような大きさだ。伏せているその躰に子ハテックは駆け登って行く。頭の上に辿り着くと、こちらに向かって一声吠えた。

 ゆったりと尾を揺らして眠っているようだったその瞳が、開けられる。

 睨まれた訳でもなく、ただ目が合っただけなのに、ビヒトは震えが止まらなかった。その額に鎮座するエメラルドのような石は、子ハテックの頭ほどの大きさがありそうだ。


 子ハテックを頭から振り落として、巨大なハテックは長く後引く雄叫びを上げた。

 ビリビリと空気が震えて、遺跡の一部がパラパラと崩れてくる。

 そのまま、巨大なハテックは森の中へと消えていった。

 駆け戻ってきた子ハテックに体当たりされて、ビヒトは尻餅をつく。

 膝の上で得意気な顔をしている子ハテックに溜息を吐くと、ぼそりと吐き出した。


「……勘弁してくれ」


 同情じみた、というか、俺の気持ちを解れと視線で訴えかけてくるハテックに何度か頷く。


「主の子か」


 仁王立ちしたままのヴァルムが、なんてことないかのように言った。

 そのまま、ガラガラと笑い出す。


「なるほど。関わり合いになりたくなかったのか。あれだな? たっぷりビヒトの匂いの付いた子をそのまま戻せば、ビヒトがいらない疑いをかけられるかもしれねえ。一応、ビヒトは命の恩人だものな。借りは返しておきたかったと」


 わざわざ説明するヴァルムに、ハテックは唸りながら牙をギリギリ言わせて顔を近づけた。


「うるせぇ。明日にはもう行く。やるなら、やるぞ」

「やるなら、下でやってくれ」


 睨み合う二人に、ぴしゃりと告げて、ビヒトは階段を指差した。

 その指先から何かがぬっと顔を出す。


「……フルグル?」


 クルルルと、高い声でビヒトに顔を寄せると、フルグルは子ハテックとハテックに視線を向けた。

 ハテックはしばらくビヒトとフルグルを見つめて、少し首を傾げた後、ふっと息を吹き出して、階段を下りていった。途中、振り返ってヴァルムを呼ぶ。

 剣を担いで楽しそうにその後を追っていくヴァルムに少し呆れながら、ビヒトはその場に倒れ込んだ。


 ――あれが、ヌシ


 確かに、一目でわかる。大きさも、魔力の多さも桁違いだ。

 あんなのが何体もいて、この世を平らにしようと思ったら……ヒトなど何の障害にもならない。

 夢の中の彼女の言ったことがようやく解る。星をんでもどうにかなったのだ。現代いまの人間が何をしようと、彼等には憂いももたらさない。言い替えれば、のだ。

 崇められても、忘れられても、彼等のすべきことは変わらない。

 禁忌など、今のヒトには無い。


 急に、可笑しさが込み上げてきた。

 くっ、と堪え切れずに零れた声に、心配そうに覗き込んでいた子ハテックとフルグルが顔を見合わせた。


「く、ふ……あは……ははっ」


 ヴァルムとハテックのぶつかり合いを空気の震えで感じながら、ビヒトはしばらくの間、ひとりで笑い転げていた。




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