第五章 親と子と厄災の行方
73 青天の霹靂
森から出るのは簡単だった。
行きにかかった日数の半分程度しかかからなかったのは、魔獣の横やりが一度もなかったからだ。
食事の為の狩り以外で剣を抜く場面が無かったのだから、あの主の影響力は相当なものなんだろう。
砂漠の街で短剣の鞘を手に入れ、帝国の港を回ってヴァルムの言っていた船を見たりしてから、パエニンスラの街まで戻る。そこでビヒトはヴァルムから新しい通信具をもらった。
以前に作っておくと言ったのは口先だけではなかったらしい。
「都合よく呼びつけるなよ」
礼を言った後、そう付け加えたビヒトから、ヴァルムはわざとらしく目を逸らした。
一度城に戻るというヴァルムに、じゃあとそこで別れを告げる。
ビヒトも一度アレイアに帰るつもりだった。
「子供らには会っていかんのか」
「セルヴァティオはもう帝都じゃないのか?」
言われて、ヴァルムは考える仕種をした。
「どう、かな。そうかもしれん。その話を聞きに戻るつもりだったんだが……」
「じゃあ、早く行け。俺も、そのうちまた寄るよ」
「おう。そのうち、な」
にやりと笑ったヴァルムは、握った拳を軽く突き出した。ビヒトもそれに自分の拳をぶつけて笑う。
ビヒトが次にパエニンスラに来る予定は無かったし、気まぐれに寄ったところでヴァルムがいることはないだろう。
お互い背を向けて、もう振り向かない。
パエニンスラに来ることはなくとも、ヴァルムにはまた近いうちに会うんだろうなと、ビヒトは小物入れの中の通信具を思って喉の奥で笑った。
◇ ◆ ◇
フルグルの脚で真直ぐアレイアに向かえばあっさりと着いたのだろうが、ビヒトはパエニンスラの東隣のフェリカウダの城下町でしばらく滞在していた。
フェリカウダ領は、半島を差し引いたパエニンスラ領と同じくらいの大きさで、街の規模もほぼ同じ。郊外には小麦やオリーブ、果物の畑が広がっていて、海に面してはいるが、近海漁のための漁港しかない。
国の名前を冠している通り、国の中心となる都のはずなのだが(確かに城は大きく、城下町は活気もあったけれど)どこか長閑だと感じてしまうのは、実際に帝国との国境に面しているのがパエニンスラや他の領だからなのだろうか。
そう考えると、この国がパエニンスラの自由さを許容しているのも、盾としての役割を理解してのことなのかもしれない。冒険者ヴァルムは戦力として、牽制として、手放したくはないだろう。
以前のいざこざが百年と少し前のこと。そんなに昔の話じゃない。
そこからまた東に足を向けても、なんだかんだと言い訳をつけては、あちこちに寄り道をしていく。結局アレイアを迂回し、ワガティオに宿を取ったあたりで、ビヒトはヴァルムのことをとやかく言えないなと自覚した。
とはいえ、どちらかといえば帰って来いと望まれているヴァルムと、勝手に飛び出したビヒトでは気まずさも違う。
ここまで来ておいて、家に帰らずに父に会う方法は無いかとずっと考えていた。
季節は移ろっていて、色付いて目を楽しませていた木々の葉も落ちている。安宿の窓から入り込む隙間風に、ビヒトは毛布を肩まで引っ張り上げた。
娼館で女を買うような気分にもなれず、花の香りの女は気になっていたのだけれど、結局酒場で酒を引掛けても酔えずに部屋に戻って来ていた。
右に左に、寝返りばかりでよく眠れないまま夜が明ける。
半分諦めの気持ちで早々に宿を引き払うと、ビヒトは街道ではなく森を突っ切り、アレイアに入って行った。
湖はいつものように静かで、ただじっとそこにある。
久々に感じる強い気配が魔力だと言われても、今のビヒトなら納得できた。近くでその気配を辿ってみたくもあったけれど、眠っている
だいたい、カンターメンの祖先だというなら、何故主の傍にいるのか。そこと自分たちの血が繋がっているとはどういうことなのか。後から疑問が湧いてきて、計算高く再訪を促されている気がする。それにほいほいと乗っかるのは(乗れるかどうかも分からないが)少々気分が悪かった。
だから、ビヒトは忘れたふりをして、夢は夢だと湖の縁に沿うように進む。
「うわっ……」
ヴァルムと食べた山葡萄の辺りで、魔力の
視線を前に向けると、魔術学校のマントを翻して、生徒がひとり駆け戻って行くところだった。
こんな早朝、魔法の練習にでもきたのだろうかと、驚かせてしまったことにビヒトは少々罪悪感を覚える。
「アレイアでは竜馬はあまり見ないものな」
懐かしく思い返して呟いたビヒトに、フルグルが高い声で応じた。
さっきのポイントはヴァルムが付けたまま解除してないんだなと、もう一度視線を向ける。魔道具か何かが埋まっているのだろうが、本人が忘れているのなら掘り起こしてやるまでもない。想い出の残滓を、ビヒトはそのままにすることにした。
森の出口でフルグルから下りて手綱を引いていく。
久しぶりに歩く地元の街に緊張していたのだけれど、人々は竜馬に反応することはあっても、ビヒトに声をかけてくることはなかった。
家族は、観光客の多い湖の辺りには接客でもない限りは近づかない。人に紛れるという意味でも、もしかしたらいいのかもしれないと、ビヒトはコインの入った袋を覗き込んだ。
――ひと稼ぎしないと。
長期滞在は予定していないものの、安宿に比べれば倍以上の値段がする。
ぐずぐずしてしまわないためにも最長七日と決めて、ビヒトは依頼の掲示板の前に立った。
毎年、年明け前後の三日間はセレモニーに合わせて祭りが開かれている。それの警備に冒険者も駆り出されているらしい、とビヒトは初めて知った。
ひときわ目を引く募集の張り紙には『面接有』となっているので、誰も彼もということではないようだが、報酬もいいので人気の枠なのだろう。特に来年は建国千二百年を迎え、いつもより大規模なセレモニーになるようなことが書かれてあった。
報酬は魅力的だが、年末の話。ビヒトには関係ないと他の依頼に目を移していく。
害獣駆除や薬草採取が無難かと思いながら、城の厨房や兵舎にでも入り込めそうな依頼は無いものかと探してしまう。
物珍しい食べ物を献上しようとする行商人や、他国出身の魔術師などが、簡単な通訳を募集していることもあるからだ。
城の様子を窺えれば、
大公について近隣諸国に出掛けていないとも限らないから、下手をすると家に戻っても会えないかもしれないのだ。
ひとまず、と、薬草やキノコの採集に手を伸ばして様子を見ることにした。
湖周辺はビヒトの庭みたいなものだ。通って来た感じ、特に荒らされた気配もない。楽な仕事になるはずだと、踵を返した。
いくばくかの稼ぎを得て、夜は酒場の隅で聞き耳を立てる。
考えてみれば、昔は俯いてばかりいたので、今の目の高さで見る街並みは新鮮に感じた。当時の級友らしき人物とすれ違うこともあったのだが、誰もくたびれたシャツやマントを羽織った、中途に伸びた髪をこれまた適当に結んでいるような人物と、ヴェルデビヒトを結びつける者はいなかった。
ビヒトは少しほっとして、次の日も朝から採集に向かう。昼過ぎからはもう少し城の方で情報収集しようと決め、アレイアの小さな厩舎では退屈だろうかとフルグルを迎えに行く事にした。
湖の奥の森で放してやればいいかと思ったのだ。
「すみません。昨日、預けた奴を」
「おう! ちょっと待ってくんな!」
小さな管理室に誰も見当たらなくて、奥に声をかけるとそんな答えが返ってきた。
声を頼りに奥に向かうと、厩務員が竜馬の腹に何か器具を当てて、その音を聞いているようだった。
「……フルグル?」
ビヒトに気付いたフルグルは、いつものように可愛らしく喉を鳴らす。
厩務員は振り返ると、少し驚いた顔をした。
「あ。あんたか」
「フルグルに、何か……」
健康チェックは昨日預けたときに終わっているはずだった。
うーん、と曖昧に笑って、厩務員はビヒトへと向き直った。
「どこに行くつもりだ?」
「え? ああ。いえ。ここは運動場もないようなので、湖の奥の森に行くついでに放してやろうかと」
「なんだ。随分仲がいいんだな」
カラカラと笑う彼からも、特に悪い印象は受けないものの、微妙な不安がよぎった。
「もしかして、ずっと一緒なのか? じゃあ、解ってんのか」
「え? 何を」
ビヒトが少し焦って聞くと、厩務員は呆れたように肩を竦めて言った。
「こいつ、多分妊娠してる」
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