84 片道切符

 巻かれた皮紙かみが開かれると、見たことのあるような複雑な魔法陣が描かれていた。

 記述が所々削られていて、妙な既視感が沸く。


「ヴァルム、サインって……」

「埋めてくれりゃあいい。流石にわしには荷が重い」


 ヴァルムは確かに細やかで美しい陣とは無縁だ。かといって技術が拙いわけじゃない。その応用力と、力技とも言える改変力にはビヒトも舌を巻く。

 そのヴァルムが荷が重いと言う陣には嫌な予感しか抱けなかった。

 ちらと見てまさかと否定し、読みとろうとして同じことをした記憶が甦る。


「……ヴァルム、無理だ」

「無理じゃねえ」

「無理だ。人二人どころじゃない。どれだけの魔力が必要になると思ってる! だいたい、何処に跳ばそうって……」


 陣の上で行先の指定は終わっている。それだけ見ても他人には分からないはずなのに、ビヒトはその場所を知っている気がした。

 陣を持つ手が震える。


「魔力はヤツから賄えばいい。デカい図体しとるんだ。魔力も豊富だろうよ。失敗したってこっちは痛くもかゆくもねぇ。成功したらしたで魔力をごっそり削れる。場所はさっきから言っとるだろう? アレイアの、山葡萄の生る辺りだ」

「関係ない国を巻き込むのか!」

「目ぼしい目印アンカーの場所が他にない。あそこなら、街からも離れとるし、普段から人気ひとけもねぇ。海の生き物にゃあ真水の湖は合わんだろうから、最悪水に逃げ込まれても向こうが不利になるだけだろう。それに、あそこには優秀な魔術師が揃っとる。力になるだろう?」


 いちいちもっともだった。うかつに否定できないくらいには、条件が揃っている。

 それでもビヒトは頷けなかった。もっといい場所が、もっと違うやり方があるんじゃないかと口を引き結ぶ。

 アレイアに自分が危険を持ち込むのか。何もできないだけでなく、厄介事を運んでいくなんて……

 そう思わず胃の辺りを押さえると、空気が震えた。

 罅の入った陶器が割れるような音と共に、魔力の壁が崩れていく。

 また一つ帆柱が折れて落ちた。


「……っくそ! 考えるヒマもないのか!」


 いつもそうだ。今回、聞く時間はあったのに、聞かなかったのは自分だけれども。

 見栄も恥も振り切って、ビヒトは桟橋の濡れていない場所に魔法陣を広げて、跪いた。握っていた短剣で指先を斬りつける。


「書くもんはあるぞ?」

「俺の血だ。何かしらのプラス効果はあるだろうよ」

「言うな」


 ヴァルムは苦笑する。


「どうするんだ? を跳ばすだけか? 一緒に行くのか?」

「一緒にはリスクが高い。わしらは冒険者協会ギルドを使う」

「なるほど」


 それならあまり細かい配慮は要らないなと、魔法陣を埋め始めると、ヴァルムが指笛を吹いた。

 すぐに大きな魔力の動きを感じてビヒトは顔を上げる。

 背後の岸壁でまとまった魔力は海獣へと真直ぐに向かって行った。振り上げた触手を掠めるように切りつけ、炎の飛礫つぶてが降る。耳の痛くなるような声がして、船への攻撃が止んだ。


「ヴァルム……?」

「こっちまで来てもらわにゃあ、折角の陣も使えねえからな。その間にアレイアに連絡をつけてもらう。ある程度の範囲の人間を避難させる時間はあるだろう。安心せい。連絡係は帝国にやってもらう」


 再び振り上げられる触手を邪魔するように魔法が飛んでいく。本来相性の悪い炎の攻撃を多用しているのは、ダメージよりも誘うことを念頭に置いているからだ。明かり代わりでもある。それが繰り返されれば、海獣の意識はこちらに向いた。

 筒の腕を持ち上げ、水の球を撃ち出してきたものの、ビヒトの陣が阻む。

 怒りに任せて、海獣は移動を始めた。

 船と睨み合ってじりじりと進んでいた時とは違い、とぷんと潜っては確認するようにまた浮上して距離を詰めてくる。


「ほれ、そんなに時間はねえぞ」


 はっとして、ビヒトは魔法陣の続きを埋める。

 もう、余計なことを考えている余裕は無かった。




「ヴァルム、確認してくれ」


 ビヒトが出来上がった魔法陣を差し出すと、ヴァルムが一瞥だけ寄越して鼻で笑う。


「お前さんが大丈夫だと思うなら、大丈夫だろう。わしは専門家じゃねえ」

「細かいとこを指摘しろって言うんじゃない。ちゃんと発動しそうか、使う人間が危なくないのか、勘でいい」


 やれやれと肩を竦めて陣を受け取ると、ヴァルムは少し厳しい顔でそれを見分し始めた。

 ビヒトは立ち上がり、海獣の位置を確認する。何を警戒しているのか、時折じっと止まってしまうと、魔術師たちがかわるがわる攻撃を仕掛けて誘いをかけている。

 あと三回ほど潜って浮上してを繰り返せば、この桟橋まで届きそうだった。


「問題ねえ。嫌味なくらい綺麗に纏まっとるわ」

「良かった」


 差し出したビヒトの手に魔法陣は戻って来なかった。

 見えているだろうに無視を決め込んで、くるくると陣を丸め、元のように懐に仕舞い込む。胸の上からポンと軽く叩くと、ヴァルムはわざとらしく笑った。


「わしに使えと言うんだろう?」

「ちがっ……血の記述は効果が違うこともあると言ったのはヴァルムだろう! 保証が欲しかっただけだ!」

「まったく、よく覚えとるもんよ。わしの勘などより自分の腕を信じろ。ここまできても、お前さんの穴は埋まってないのだなぁ」

「……あな?」

「さあ、来るぞ。使えそうな陣がいくつかあるから、適当に気を逸らしてくれ。魔力は使い過ぎんなよ。本番はこの後だ。石を使え」


 どこから出したのか、いくつかの皮紙かみと魔力のこもった魔石を無造作に掴んでビヒトに渡す。そんなところまで初めて一緒に過ごしたあの日のようで、自分を信じろと言う割には子供扱いされている気分になった。

 とぷん。と海獣が水に潜る音が耳に届いた。

 ヴァルムが足でリズムを取るように何かを数えながら、魔石を発動させていくつかの陣にくるんではポケットに突っ込んでいる。

 ビヒトも手早くそれに習いながら、宿の荷物の中に腕輪が入っているのにな、と持ち歩いていなかったことを少しだけ後悔した。


 ヴァルムは足の動きを止めると、そのまま海へと飛び出した。高く高く、軽く身長の三倍程度の高さまで。

 足場もないのにと心臓の縮む思いがするが、ヴァルムが落ちてくる前には海面が盛り上がり、ぶよぶよとした物体がビヒトのすぐ目の前に現れた。

 海水の流れる足元をすくわれないようにと踏ん張る。

 近くで見ると、短い触角のようなものが一対ゆらゆらと揺れていて、目のようなものは見当たらない。海面下にあるのか、退化してしまっているのかは判らなかった。

 頭から肩の辺りにかけては、他の場所より高質化した皮膚で覆われていた。ビヒトの短剣では届かないが、狙うなら柔らかい場所の方がいいかもしれない。


 手始めにと、ビヒトは風の魔法ワクウムを放ってみた。

 海中から現れた二本の触手がヴァルムの着地した背の方へと伸びかけ、しばし動きを止める。

 狙った触角はその躰の中へと沈み込むかのように短くなり、真空魔術ワクウムは躰を浅く傷つけながら表面を滑っていった。傷はすぐに閉じてしまい、ダメージになっているのかも判らない。


 触手の一本が鞭のようにしなってビヒトへと襲い掛かった。

 手加減もせず迎えうった短剣は柔らかい触手の肉を半分まで切り裂いたが、異常に気付いたのか、海獣は触手を振り抜くのをやめて、ぐるりと短剣に巻き付けてきた。

 完全に取り込まれる前にそこから抜き取ってビヒトは少し距離をとる。追いかけるように近付く触手を切りつけながら牽制し、もう一本の触手へと注意を向けた。

 あちらの触手はビヒトの方へ向けられる様子はなく、背中の方でうねうねとくねっている。

 できればあれもこちらへと向けたかった。それほど長い時間でなくてもいいはずだ。

 

 ビヒトは彼を絡め取ろうとする触手を叩き落とし、その先端を足で踏みつけた。足に絡みつく前に根本側を切り落とす。勢い余って桟橋の渡し板まで傷つけたが構っている暇は無かった。

 さすがに痛みがあったのか、叫び声を上げ、斬られた触手を振り上げる。もう一本も天を撫でるように振り上がったところで、ビヒトはそれに向かって真空魔術ワクウムの陣を発動させた。

 最初と同じようにゆらりと揺れる触手の外側を掠るように逸らされる。相性の問題か、魔力を纏わせて緩く弾いているのか。

 どちらでもよかった。ヴァルムに少しの時間が与えられれば。


 海獣の背では柔らかい肉にぬめり気が纏わりついていて、ヴァルムは滑り落ちないように膝をつき、剣を突き立ててなんとかバランスをとっていた。

 幸いだったのは、皮膚が厚いのか痛みを感じている様子はなく、虫を払うかのように頭上を触手が行き来することだった。風の盾パリエースを展開させているものの、まともに攻撃をくらえば力の差は歴然だ。

 二本あるはずの一本はビヒトが引きつけているのだろうと、無軌道に揺れる触手の隙を窺う。


 しばらくすると海獣の背が波打ち、両方の触手が天を向いた。

 ここぞとばかりに突き刺していた剣を引いて傷を作り、懐から魔法陣を取り出して陣が海獣の躰に当たるようにその傷に押し込んだ。ついでにとナイフを取り出し、留め具代わりに刺しておく。

 もう一度、先程よりも大きく背が波打ち、ヴァルムはバランスを失った。

 剣を支えに少し浮いた身体を、天を向いていた触手がまともに叩きつけた。




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