83 動く

 それからヴァルムは何やら生き生きと動き回っていた。膠着状態に飽き飽きしていたのだろう。ビヒトの陣があればだいたい大丈夫だと、岸壁で野次馬をしている冒険者たちに見張りを割り振って、ホテルに留まっていた帝国の連絡係と時にぼそぼそと話していたりする。

 人見知りなどない人間だから、どこで誰と話していても不思議はないのだが、魔術屋で見掛けたり、魔術師たちと談笑しているのを見かけるたびに、ビヒトは小さな不安のような物を抱いていた。

 ヴァルムが行動的なのは頼もしくもあるのだが、いつも何かしら頭を抱えたくなる事象を伴わせる。そう言う意味での不安で、不思議とこれから来るであろう戦いへのそれでは無いのだが。


 ヴァルムのすることにビヒトの想像が追いついたことなど無い。だから、頭の片隅で気にしつつも、何をするつもりかなどと聞いたりはしなかった。聞けばきっと止めてしまう。止めてしまえば別の不安が大きくなる気がした。

 あちら側の緊張は増している。

 近いうちになにがしかの動きはあるはずだと、浅い眠りを繰り返すビヒトを現実に引き戻す呼び声が聞こえた。




 起こされたのは夜中だった。

 ばらけた髪もそのままに桟橋に駆けつけると、海の奥の方に、ゆらゆらと誘うような明かりがいくつか揺らめいているのが見えた。

 先にそこで仁王立ちしているヴァルムに並ぶ。


「誘ってるのか」


 曇っているのか、今宵は月は空に無い。暗くてよく見えないが、以前ビヒトが試したことと同じように見えた。

 ちらちらと時折光が遮られるのは、触手がそれを狙っているからだろうか。


「お前さんがか?」

「あ?」


 ビヒトの髪を摘まんでにやつくヴァルムの緊張感は薄い。


「洗ってそのまま寝ちまったんだよ。一段落したら切る」


 以前、同じように並んでいて遠目にヴァルムの女だと見間違われたことがあった。

 細いとはいってもヴァルムに比べれば、であって、普通に接する限りは女性に間違われたことなど無い。苦々しい顔をしながら、ビヒトは髪を括る。


「あんまり力むな。あちらさんだって何度も同じことはしまい」


 スッと伸ばされた指の先に目を凝らす。奥側で揺らめく光をゆっくりと遮る影があるのがわかる。ゆっくり、ゆっくり、ほんの、少しずつ。


「……おとり?」


 確かにアレの気は引けているようで、手前を行く船には触手は伸びていないようだ。陣だと軌道を決めざるを得ないが、船からか、岸からか、魔術師が光を操っているに違いない。


「あのまま、連れていけるのか……?」

「そこまでは期待しとらんと思うが」


 船がアレの横を通り抜けるか抜けないか、ビヒトも思わず息を詰めて見守っていた。

 もう少し、あと一歩でおそらく危険な攻撃範囲を抜ける。

 くっとビヒトの拳に力が入ったところで、今まで光に向いていたいくつかの触手が一斉に水中へと引っ込んだ。

 一瞬の静寂。

 次の瞬間には船の殿しんがりを掠めるようにして、海中から伸び上がってきた。

 「あ」と声の出たビヒトをヴァルムがちらりと振り返った。


 船はそこでスピードを上げ、辛くも叩きつける触手から逃れる。

 別の腕を伸ばす怪物に、船は全ての明かりを煌々と点けた。突然の明るさに一瞬触手の動きが鈍る。その隙に船はまた少し距離をあけた。

 そこだけ明るくなった海上に踊る触手は二本。船を追いかけながら振り下ろしては海面を叩いていた。立つ波に船が大きく揺れる。


 しばらく追走していた海獣は追いつかないとみると、ぴたりと動きを止めた。

 離れていた船も、それに気づいて速度を緩める。丁度、ビヒトが来た日に居たくらいの場所で、あの日と同じように筒のような器官が波間から顔を出した。

 短剣を手に思わず一歩前に出て、ビヒトはヴァルムの腕に留められる。

 吐き出された球体は船に届く前にことごとく形を崩していった。


「魔法として発動しとるな」

「……ああ。魔法陣を教えたからな」


 それが、魔術師だ。

 ビヒトの胸をちりちりと焼くものがあれど、きっちりと仕事をこなす帝国の魔術師は、やはり優秀だ。

 ことごとく抑えられているのが判るのか、球を撃ち尽くした海獣はいつものように小さくならずに、ふるふると躰を震わせながら、もう一回り膨らんだように見えた。

 それを狙ったように、見えている海獣の背(?)が炎に包まれる。すぐにその炎は渦を巻き、その背に穴を開けんばかりに細くなっていく。何か弦楽器の高音を下手くそに弾いたような音が響き渡ったかと思うと、海獣は完全に海に潜っていった。


 魔法で作られた炎は水に潜ったくらいでは消えないが、威力的にはやはり劣ってしまう。風の魔法も同じように水の中では抵抗が強くなるので、陸上と同じダメージを与えようとするなら相応の魔力を籠めなければならない。

 故に普通は水中にいるものは陸へと誘導してから魔法を使うのがセオリーだった。

 しかし、海獣に関して言えば、その大きさや重さをおおよそでも量るのが難しいこと。分かったところで陸に上げるのが困難だと推測されること。住民を避難させるのに十分な時間が取れるまで、いたずらに怒りを買うようなことは避けたかった、というような要因で、今まで大きな攻撃は試したくとも出来なかったのだろう。


 このまま尻尾を巻いて逃げてくれればいいのだけれど、そう甘くはないだろうとビヒトの勘は告げていた。

 それは帝国側も同じようで、じりじりと外海の方へ進みながら警戒を続けている。怒りに任せて船を追うようなら、彼等の賭けは勝ちなのかもしれない。

 張りつめるような時間はそう長くは続かなかった。

 ビヒトが短剣を握り締めていた手の汗を一度拭った直後、海中から現れた触手が船の舳先に巻き付いた。そのまま伸び上がり続ける触手に船は大きく傾いていく。

 誰かが咄嗟に放った風の魔法で巻き付いた先が切れ、船は前方を海面に叩きつけるようにして着水した。


 おそらく、中の乗組員が体勢を立て直す前に、もう一本の触手が今度は後方を掴みにかかる。

 先を切られた方の触手もそれほど問題はないのか、船の上を叩きつけるように何度も上下し始める。魔術師たちの護りがあるのだろう。すぐに船が壊れる様子はない。しかし、時間の問題のようにも思える。

 ギリ、と奥歯を噛みしめて、ビヒトは短剣を船へと向けた。


「ビヒト」


 その短剣を、ヴァルムが軽く押し返した。うっすらと笑いながら。


「アレイアが帝国に恩を売る気はあると思うか?」

「は?」


 ここでアレイアが出てくる意味が分からなくて、ビヒトは少しイライラとヴァルムの手を払う。


「お前さんは、売るつもりなんだろう? あのまま放っておけば、ヤツを刺激した船は全て無くなる。そのまま外海に戻って行くかもしれない」

「戻らないかもしれない」

「だが、手を出せばこちらに意識が向く。そうなればもっと嫌な状況になる。だから、あちらさんも岸からは攻撃を仕掛けてねえんだ」


 それはビヒトも解っていた。

 解っていても、目の前で命が散っていくのをただ見ているのは辛かった。


「それに、お前さんのはかなり魔力を食うだろう? アレと渡り合うのにそれはちと困る。とっておけ」


 ヴァルムの言葉には矛盾があるような気がして、ビヒトは眉を顰めた。


「放っておけと言ったり、渡り合うと言ったり……どうしたいんだ」

「一計はあるんだが、それにはアレイアを巻き込むことになる。あちらに有無を言わす気はないが、お前さんが了承して、サイン代わりをもらわないと実現不可能そうなんだ」


 ヴァルムが懐から一枚の皮紙かみを取り出した時、何かに罅の入るような音が辺りに響き渡った。

 二人が船に目を戻すと、帆柱が一本折れて海に落ちていくところだった。


「あまり時間はねえなぁ。わしはプハロスここが守れりゃいいが」


 どうする? とヴァルムはにやりと笑った。




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